第19話【ユーベルは深く、固く、誓うのであった】

 偃月えんげつたよりの両親は、本気で世の中を革命しようとするヤバい人達だった。文化と権力による人間抑圧が口癖の、極端な思想を持つ人達だった。


 所謂テロリストという奴だ。


 頼という名前を付けたのも、普通の名前を付けるのは、文化と権力による人間抑圧になるからという理由らしい。未だに意味が分からない。祖父母曰く、それで問題ないそうだ。


 幼い頃から沢山の大人がいる家で、殆ど文化的なものを教えられずに育った。


 時には大人として扱われ、時には女として扱われ、時には男として扱われ、時には年相応の子供として扱われ、日によって対応が変わって、子供の頃は酷く混乱したことをよく覚えている。


 彼が一二歳のとき、母方の祖父母に家に置いて行かれた。祖父母は戸惑ったらしい。何せこのときまで、娘が子供を産んだことを知らなかったからだ。


 一応躾はされていたものの、頼は文化的なものを与えられずに育ったため、そういう意味でも戸惑ったらしい。テレビと自動車を知らない子供を初めて見たと、大学生になったときに言われた。


 母親、父親どころか、家族という概念すら知らない気付かれたときは、本気で頭を抱えていたくらいだ。自分という人間の面倒を見るのがどれだけ大変だったのか、今なら実正よく分かる。


 学校に行ったことがなかったため、文字の読み書きや四則演算は出来たものの、理科や社会などの知識は全く知らず、祖父母は一から勉強を教え始めた。


 今の時代は高校を卒業するのは殆ど当たり前とされている時代だから、高校に行けないのは不味いと思ったようだ。


 呑み込みが早い方だったのか、祖父母の教え方が良かったのか、十四歳になる頃には、学年相応の学力が身に付き、中学校に行き始めた。


 その際、皆には病弱で最近まであまり学校に行けていなかったと言うように──と、祖父母に言い聞かせられた。


 親がテロリストであることは言わない方が良いだろうし、病弱だったと言えば、世故に長けていないことも誤魔化せると思ったのだろう。


 自分を祖父母の家に連れて行ったのが、母親と呼ぶべき相手であること、テロリストの集いに育てられていたことを自覚したとき、それとなく祖父母に母に子供がいること、つまり孫がいることを知らなかったことや、どういう経緯で偏った思想の持ち主になったのかを訊ねた。


 偏った思想の持ち主になった理由は分からないが、祖父母の予想では、彼の父親に当たる男性に染まってしまってしまったのではないかということだ。


 誰かと付き合い出した気配した頃に(恐らく彼の父と交際を始めたのではないかと、祖父母は考えているらしい)、突然失踪したらしく、彼を連れて来るまで一切姿を表されなかった──とのこと。


 一五年間、音信不通、行方不明だった娘が帰って来たかと思えば、孫を連れており、孫を置いてまたどこかに行方不明になったという状態で、祖父母もあまりよく分かっていないのが実情だ。


 彼が高校生のとき、彼そっくりの四〇代くらいの男性が祖父母の家を訪れたらしいが、彼が学校に行っていると知ると、「文化と権力による人間抑圧に加担しているとは何ごとだ!」と叫んで、それ以降一切姿を現さなかった。


 勉学は問題なかったが、一二年間特殊な環境にいたため、社会に完全に適応することが出来ず、中学校に通っているときも、高校に通っているときも、変人として扱われた。


「お前は勉強に出来るが、社会をまだよく分かってない。しかも対人能力に致命的な欠陥がある。言い方は悪いが、自分のためにも、社会のためにも、まだ就職しない方がいい。学歴はあるに越したことはないし、幸いにもウチにはお金があるから、大学に進学しろ。就活が始まるまでに、もう少し対人経験を積んでおけ」


 高校のとき進路を相談したところ、祖父からこのようなことは言われ、大学に進学した。


 大学に進学した後、履修登録などはあまり困らなかったが、レポートを作るとき困ったことになった。


 パソコンの使い方が分からなかったからだ。


「もしかして……偃月様、ええっと……間違っていたら、本当に、その、申し訳ないのですが……えっと、その……機械音痴、ですか?」


 そのように話し掛けて来たのは、同じ講義を履修していた先輩──瑶台ようだい美羽みはねだった。


 天鵞絨色の腰まである長い髪と、萌葱色の瞳をした彼女は、それなりに可愛い顔立ちをしていたのだが、一般的な美醜感覚がなため、可愛いという感情が湧き上がらなかった。一般的に見て可愛い部類に入るのだろうということは分かったが。


 深窓の令嬢という言葉が頭に浮かぶ容姿をしていた。


 美羽は特別機械の扱いが得意という訳ではないが、苦手という訳ではないらしく、これからレポートを書くとき、使えないと不便だろうからと、彼に一からパソコンの使い方を教えてくれた。


 そのことが切っ掛けで、一つだけとはいえ同じ講義を取っていたこともあり、それなりに話すようになった。というか、あまりにもパソコンに対する知識がない彼が心配になったらしく、気に掛けてくれるようになった。


 何度か話している内に、「偃月様……普段、どうやって生活しているんですか?」と、不思議そうに訊ねられたことがある。


「電卓を知らない人、始めて会いました……」


 講義で使うからという理由で、その先輩は普段から電卓を持ち歩いていたのだが、祖父母は算盤派だったため、祖父母の自宅でも電卓を見たことがなく、「此れ何ですか?」と訊いたら、素っ頓狂な表情を浮かべたまま、彼女は暫く固まっていた。電卓を使ったことがないならまだしも、大学生にもなって知らないとは思わなかったらしい。


 その後、電卓について教えて貰ったが、そのときに、「電子算盤みたいなものですか」と言ったのが、今でも忘れられないとのこと。


「あの、その、失礼なことを言いますが……なんだか、半径一メートルで世界が完結している人みたいです……」


 要するに、狭い世界を生きている人、と言いたいのだろう。


 言いたいことはよく分かる。

 実際その通りだ。


 パソコンの扱い方に慣れて来た頃。


「あの……頼様、一つ、お願いがありまして……実は、私の友人がサークルを立ち上げようと考えてまして……書類の方は殆ど用意出来ているのですが……最低限、必要な人数は、揃っているのですが……もう少し人数が欲しいと、憂様……サークルを立ち上げようとしている友人が、仰っておりまして……頼様はサークルに入っておられないみたいですし、良ければ……その、ゲームサークルに所属しませんか」


遊戯ゲームですか……殆ど知りませんが、其れで良いのであれば」


「全然大丈夫です……来てくれるだけで、嬉しいので。ありがとうございます……」


 この時点で、彼は彼女に対して好意的な感情を抱いていたのだろう。そして信頼・信用していたのだろう。両親がテロリストことだったことは話せていないが、祖父母の世話になる前は、特殊な環境がいた程度のことは、それなとなく話していた。それぐらい、胸襟を開ける相手だった。


 ゲームサークルのメンバーは癖は強かったが、面白生物であることに変わりなく、彼の世間知らず具合を気にする性質たちの者ではなかったこと、妙に気を遣わなくて良いこと、とにかく一緒にいて苦ではなかったから、自然と夜雨対牀やうたいしょうの仲になった。


 彼ら彼女らは、ある意味では鷹揚なところを持っていた。常識から外れた人物だから、非常識なところがあっても、多少ならば受け入れる努力を持っていたのだ。文句を言ったり、ツッコミを入れたりすることはあれど、本気で鬱陶しがったりすることはない。独特な漢字使いをしているせいで、メッセージの文章が読み難いという苦情は入れられたが。


 彼が大学二年生になったとき、新たに入ったサークルメンバーとは馬が合わなかったのだが、それ以外のメンバーとな良好な仲だった。


 家庭用ゲーム機でプレイするゲーム、パソコンでプレイするゲーム、ボードゲーム、TRPG、ありとあらゆるジャンルのゲームをプレイしていく内に、彼もゲームが好きになった。


 その影響なのか、最初は大学内での付き合いだったが、次第にプライベートでも付き合うようになり、サークルメンバーを祖父母に家に招くまでになった。「アンタに友達が出来る日が来るなんて思わなかったよ」と、祖母は感動のあまり涙を流していた。


 尊い、推しという概念を知り、美羽を推しだと言い出した件に関しては、何とも形容し難い微妙な表情を浮かべていたが。ちなみに祖父からは、「正気かお前」と言われた。


 楽しい日々も、事故のせいで終わった。

 事故に遭ったせいで、皆、死んでしまった。


 衰弱した美羽が、更に弱っていく光景を見ながら、何も出来ずに死んだあの日のことは、偃月頼──ユーベル・シュレッケンにとって、生まれ変わっても、絶対に忘れることは出来ない光景だ。


「この身は貴方を守る為に存在しています。此の様に、来世で会うことが出来たのも何かの縁でしょう。一河の流れを汲むも他生の縁と云います」


 瑶台美羽こと、ミウリア・エーデルシュタインに語り掛ける。


「貴方の事を、僕はたっとく思っております。貴方と一緒に居るには相応しくない男ですが、此度こたびは貴方に怪我を負わせてしまった如何どう仕様しようも無い男で御座いますが、今生は力だけは在ります。異能力という力が。不肖ふしょうながら、今後も貴方の傍に居させて下さい」


「……………………この怪我に関しては、ユーベル様の責任ではありません。だから、そんな顔をしないで下さい」


 今己のどのような表情をしているのかは分からない。けれど彼女を心配させる顔になっていることは確かだ。


(貴方を困らせたい訳では無いのに)


 何故上手くいかないのだろう。

 世の中、儘ならないものだ──次こそ、彼女を守らなければと、ユーベルは深く、固く、誓うのであった。




The world is still enclosed.

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