六話 瑞兆の獣の脅し文句。やっと追放。旅立ち


 それなのに、私にほんの少しの恵みを、実りをさも仕方ないからというていで与えて酷使する腐敗ふはいした根性しょうねは見上げたものだ。……見上げやしないがな。むしろ、見下みくだすし。


 腐って、んでいるというのに、自覚もない。この上なく憐れだ。とてもとても憐れで可哀想で情けない三拍子揃えていてもはや笑えてくる。笑えもしないのだけど、ね?


 どこにもいけない私。鬼に魅入みいられた忌子いみごだ、とさげすまれてうとまれる私などを迎え入れてくれるさとむらごうがあったとてそれだって私の中にいるハオの力にかれてのことだ。


 誰も私を見てくれやしない。見てほしい、とも思わない私がいるのはそうだが、それでも今だって夢に見る浩のような優しいひとに見つめてもらいたい。あの日、「飼育しいく」が決まった瞬間、水面鏡みなもかがみすら見なくなった私の顔は果たしてどのようになっているのか?


 あの時と同じ冷めた、凍えた表情? 無慈悲な鬼のようで恐ろしいかおをしている?


 わからない。わかりたくない。自分をきおろす真似をしたいわけではないが、だって仕方ないじゃないか。私は浩を宿す鬼の忌子。ひとであってひとでない存在だもの。


「おい、わっぱ共」


「!? だ、誰」


「それが他人ひと様にものを頼む態度かえ?」


「ひっ、き、ききき、きつねが喋……っ」


「なんぢゃ、大の男が揃いも揃って情けないことよのう。ジンきもの方がよほどわっておるわ。で、小僧共、わらわ見初みそめたげに美しき心根こころねの娘にかような真似をしてタダで」


「ひ、ひぃ、ひいいいいいぃっ!」


 突如、聞こえてきた耳を刺すような悪意を持った声に聞き覚えがあった私が見る先にいる小汚い狐。天狐てんこユエがなぜかいて私に「必要な」しつけをしていた大人たちを払った。


 払った、というか追い払った。こちらがより正しいだろうか。しかし、困ったな。


 あの大人たちが邑長むらおさに報告すれば私はともかく弱っていると言っていた月の食い扶持ぶちがなくなるが、わかっているんだろうか、この狐。てめえでてめえの首絞めた、って。


 月は私のそばに寄ってきて折檻せっかんあとを気にしてか、ふんふんにおっていたが、傷が水膜みずまくに覆われて癒えていったのを見て私の強気な態度に得心とくしんがいった様子。そう、浩が私の中に息づく限り、私にとってこの程度は掠り傷にもならない。すぐ無傷に戻っていく。


 だから余計なことをしてくれた。ただでさえ八分はちぶなところもいいというのにこれ以下は当初示された道のひとつ、山の奥深くで鬼として生きろ、ただし水は欲しいとかさ。


 そういうふざけた要望をだされそうで少しだけ怖いし、いやだ。これ以上利用されるなんて最低だ。最も低い扱いに違いない。本当にひと以下の扱いだな、そんなの……。


「どうぢゃ、妾の威厳のほどは」


「いや、アレはあいつらが言葉をるほど高位こういなあやかしを見たことがないからだ」


「はあ? それでアレほどのドでかい態度を取れるとな? まっこと不可思議ぢゃ」


 不可思議。そこは同意するが、本当に余計な真似をしてくれたものだ、この女狐めぎつね


 でも、ここで座り込んでいてもどうしようもないので家に戻った。月も私の後ろをついてくる。そして、家に帰るなり茶をれろだのと騒いだが黙殺もくさつ三度みたび、そう処理した。


 それからの日々は変わりないものだった。朝晩の水やりをして、家で家事に追われてすごす。月はさも当たり前のような顔で居座り、なにかにつけては邑人をおどしていた。


 だから、予見はしていた。


「でていけ」


「……」


「今すぐでていけ、鬼め。情けをかけてや」


「記憶にねえな、そんな恩も情けも」


 ばしっ! 硬いよくしなる木の枝が私の肩をぶつ。邑の纏め役、長老たるじじいは怒り心頭に発した様子でいる。おそらくもないが座布団で忍び笑いしている狐の「悪さ」か。


 いや、だけではないか。情けをかけてやった、だと? ……笑わせるな。いつ、てめえらが私に情けをかけた? てめえらが私にしたことをよもや、履き違えていないか?


 てめえらに舐めさせられた泥汁どろじるの味を私は忘れていない。てめえらに浴びせかけられた嘲笑ちょうしょうを忘れていない。てめえらが手前勝手に私を使っていたことを忘れていないぞ。


 そして、そもそも、私がいなくなって一番困るのはてめえらだということを忘れていやしないだろうか。あとで戻れと言われてもお断りだ。でていけと言うならでていく。


 ご命令のまま。残される田畑の世話にせいぜい苦心くしんし、疲弊ひへいし、くたばりやがれ。私はもう知らない。こういう言い方をしたらなんとなく月に自分の手柄てがらだと主張されそうでいやだが自由になった。やっと、息苦しい、生き苦しいこのクソっ垂れた邑をでれる。


 私は内心意気揚々いきようようとない荷をつくり、月を連れて邑をでていった。持っているのは最低限の衣だけ。路銀ろぎんも、いくあてもないがひとつ、旅をしてみよう。水が各地を廻り廻って雨となって地上に舞い戻るように。名案だ。ここに思い残しなど一切ないのだから。


 背に邑人共のうるさい「お見送り」が聞こえる。の感情が溢れる見送りからしてやはり頭が弱い。これまで生活に必要な、一定水準の実りをえていられた存在を切った。


 この意味が本当にわからないのか?


「能天気な連中よな。静という力を切っておのらになにができるかも勘定かんじょうできんとは」


「てめえが言うべきでないとは思うが?」


「静。中に鬼妖きようようの気にてられておるか知らんがおなごなら言葉は綺麗に」


「必要ねえだろ」


 必要ない。私のこれからの命に礼儀作法が必要になってくるだなんてありえない。


 そう、思っていた。裸足はだしで、くつさえ与えれなかった私はきだしの土を踏みしめて歩いていく。一歩ずつそれこそ沓をえたような気分で大嫌いで忌々いまいましい邑をあとにした。


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