第35話 時間稼ぎ

 ◇ ◇ ◇


「あの子に見つかって、連れ戻された」


 そんなことはいちいち説明しなくとも、山荘に舞い戻っている時点で誰もが理解しているのだが、直樹なおきは敢えてそれを報告した。派手に叫び声を上げながら、平然と皆の前に戻ることはどうしても出来なかったのだ。


 三人は直樹を気遣うように、黙って頷いた。


 亮平りょうへいの話では、直樹がここに姿を現した瞬間、木の葉がぴたりと静まり返ったらしい。

 あの子とこの山に、完全に振り回されている。

 直樹は椅子にどっしりと腰を下ろし、全力疾走でくたくたの体を休めながら、皆に尋ねた。


「で、最初に誰が行くか決まったのか?」

「俺と直樹、ということになった」


 意外だ。男二人がここを離れるという選択をするとは。


「時間稼ぎだ。あと二時間半ほどで日が昇る。明るくなったら、莉奈りなあおいに下りてもらうことにした」


 そういうことか、と納得する。


「もし俺が先に山を下りることができたら、救助要請する。ここに戻れるようなら、俺も戻る」


 と、亮平が葵と莉奈を安心させるように言った。


 直樹はポリタンクに手をかけ、それを傾けながら少しずつ水を流し、もう片方の手のひらを洗い流す。砂利で擦りむいたのか、ひりひり痛む。

 痛みを感じるということは、これは夢ではないということだ。

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