【KAC20241】フレジエでひとときを①謎の3分サラリーマン
小桃 もこ
謎の3分サラリーマン
そのお客様には三分以内にやらなければならないことがあった。
「あっ、あのっ、シュ、シュークリーム、いいですか!? ええと、その、30個なんですけどあのっ、ささっ、三分以内に、戻らないといけなくてですね、ですからそのっ、おいくらでしょうか!?」
おいくらもなにも。まずはできるかできないかの確認が先でしょうが。と若い販売員の男は冷静に思う。
町はずれにある小さなケーキ店。名前は【フレジエ】。この販売員の男の姉とその夫が営む、味はたしかなそこそこの繁盛店。
繁盛店、とはいえ隠れ家的なその店には常に静かに時が流れ、都会の慌ただしさとはまるで無縁といえる。そこに突然飛び込んできたこのサラリーマン風の男性客は青天の霹靂、ヒマワリ畑に突如降る
この店のシュークリームは注文を受けてからクリームを詰める決まりになっている。となれば現実的に三分で30個ものシュークリームを用意するのは不可能に近い。販売員だがパティシエ経験もあるこの男、
お客様の切羽詰まる様子。額やこめかみに光る汗。上がった息。今の外の気温とこのお客様のおよその年齢及び体型から考えられる体力からして、それなりの距離を走って来店したと思われる。このあたりにこんなサラリーマンがいそうな会社は思いあたらない。ということは最寄りの駅から、と考えるのが自然か。瞬時にそう観察した。
駅から、ということなら遠方からかもしれない。遠方からのご来店ならば、できることなら注文を受けたい。情けというより、店の印象のため。翔斗はいつでもそういう考えだった。利益。繁盛。情けは人の為ならず。
三分、という条件は仕事の合間だからなのか、あるいは駅の発着時刻によるものなのか。ともかく三分は短い。あまりにも短い。
シェフである姉に確認する前に厨房の出入口にある棚を見やった。焼きたての菓子、つまりシュー皮はここで冷ますことになっている。
朝一番に焼き上げられたシュー皮にざっと目を通すと午前も終わりかけの今は20……30、ギリあるか? という個数。ついでに姉の仕事内容も確認しておく。手が離せない状況ではなさそうだった。
三分か。三分、なら。ここまでのやり取りと会計で約一分使うものとして。のこりの二分でクリーム詰め、そして箱詰め。シェフと二人でやればひとりあたり一分間に約8個詰められればいい。秒でいうと七秒以内に約1個。いけるっしょ。
この計算式を「税込 五九四〇円です」と得意のスマイルで伝えながら考えた。お客様の男性にお釣りを手渡し一礼すると即座に厨房へと駆け込む。
「シュー30個。二分以内に詰めるよ」
姉の「は!?」という抗議はすべて「あとで」と流して「いいからやんだよ」と低い声で言って睨む。これは接客時には絶対に見せない翔斗のウラの顔であり素の顔でもある。
姉は弟の無茶に呆れつつも仕方なく手を動かした。まったくこの弟は。こっちの都合も聞かないで勝手に。あとからどれだけ文句を言おうと「なんで? お客様喜んでたじゃん。なら本望でしょ」とにやり笑うのが常だった。
──ピピピ
いつの間にかけていたのかタイマーが鳴る。それを止めると同時にシュークリームが美しく15個ずつ詰められた二箱をそっと抱くようにして翔斗は厨房を去った。
ありがとうくらい言わんか。と姉が睨んでいるが翔斗にはそれは見えていない。端的にはこれを無視とも言う。
と、その足が厨房と売り場を繋ぐ出入口でぴたりと止まった。姉、いちごもすぐにその異変に気がつく。
「いない……?」
お客様の姿がどこにもない。明るい売り場にはアコーディオンの弾むメロディーが静かに流れているだけだった。翔斗が姉のいちごを振り返る。
「ドアベル鳴った?」
「や……どうだろ、集中してたから」
なんともいえない空気が二人の間に漂った。
シュークリームの仕上がりはたしかに『おおむね三分』でありきっかり『三分以内』であったかはわからない。翔斗の計算ではうまくいっていたはずだが、もしかしたら数秒の遅れはあったかもしれない。
「なんなの……」
でもだからといって数秒の遅れも待てないなんてことがあるのだろうか。代金もきっちり支払っているというのに。
「ちょい外見てくる」と翔斗が店の周りを見に出たが、やはりその姿はどこにもなかった。
店に戻って目で訊ねる姉に首を振って応えた。「はー、なにこれ。気持ちわるー」
幻? 過労? タヌキかキツネか、それともSF的な? ああ、三分経ったら変身が解けるやつ? それとも星に帰らなきゃって話だったか? いろいろな説が瞬時に翔斗の脳内を駆け巡る。
たまらず唸ってその場にしゃがみこんでしまった弟に、姉のいちごは「とりあえず冷蔵庫入れとくね」と受け取り手不在の白い箱をかかえ上げた。
謎のサラリーマン風の男性が再び【フレジエ】に現れたのは日も暮れた、営業終了間際のことだった。
「いらっしゃいま────あーっ!」
接客専用の王子様キャラも忘れて翔斗は珍しく取り乱して相手を指さした。
「あんたっ、昼のシュークリームの人! なんで急にいなくなったんすか! こっちはちゃんと三分で用意したのに!」
昼に対応してくれた素敵スマイルの販売員と同一人物か一瞬見まごうほどの翔斗の迫力に圧されて仰け反るような体勢になりながら男性は弁解した。
「や、その、すみません。用意していただいている間に電話が鳴って、どうしても戻らないといけなくなってしまって……そのまま」
「ひと声かけてくださればよかったのに」
こほん、とひとつ咳払いをして本来の接客モードを取り戻す。
様子から見て今は時間に余裕がありそうだと判断し説明をはじめた。
「当店のシュークリームはご注文後にクリームを詰めることにより生地のサクサク感を楽しんでいただけるようにこだわって作っているんです」
「ああ……そうなんですね」
ほんとにわかってんのかよ、このジジイ。と翔斗は思うが口はもちろん顔にも出さない。
「ですから……こうして半日もあとになって取りに来ていただいても、もうシュー皮が水分を吸って柔らかな状態に変化してしまっています。つまり本来お渡しする予定だったものと同じものとは言えないんです。そしてそういったものを通常の価格でお売りすることも、店としては」
話の途中で「やっぱり、だめですか?」と眉じりを下げた顔が翔斗を見つめた。歳の頃は翔斗よりも十かそこら上くらいか。仕事のよくできそうな、家庭ではちょっと肩身が狭そうな、そんな人の良い『お父さん』に見えた。
自分が歩んできた人生ではこんな父親にはきっとなれないだろうな、などと心で思いながら、翔斗は不安げなお客様にふ、と微笑んで伝えた。
「三分、お待ちいただけますか」
今度のタイマーは、きっかり三分。「お待たせしました」と箱を渡された男性は「わざわざありがとうございます」と安堵して喜んだものの、「でも……」とまた困り顔を見せて言う。
「その……、昼のシュークリームは」
フードロスがなにかと話題になる時代。そうでなくても食べ物を粗末にすることは常識的にしてはいけない。いくら仕事のせいでも、いくら店のこだわりだからといっても、食べられるものを簡単に捨てていいわけがない。男性のその顔は自分の犯したことのせいなのだから追加で購入してもいい、と今にも言い出しそうだった。
「ああ、それならご心配には及びません」
翔斗はその顔を前に待ってました、とばかりににやりと笑んで胸を張る。
「昼のシュークリームは、すでに分けてほかのお客様へ販売しております。お客様のすぐあとに立て続けにご注文がありまして。あっという間になくなりました」
男性はキョトンとした顔をしたかと思うと「ああ……」と言って控えめに笑い、小さく謝った。
「だけど、ここにまた30個……。失礼ですがそんな無限にあるわけじゃないですよね? いつもすぐ完売するって、娘からも聞いていたので」
「ええ、そうですね」
言いつつ翔斗はちらりと厨房を振り向いた。いちごは現在洗い場におりこちらの会話は届いていないらしい。
──いいよ。追加で焼くから。
──でも来るかわかんないよ。来なかったら丸ごとロスじゃん。
──うーん。でも焼くよ。お金もいただいちゃってるし。
──今日また来るとは限らないっしょ。もう夕方だよ?
──まあね。だけど。
残念がるのはお客様じゃなくて、私たちのほうがいいから。取りに来られなかったらなんとか工夫して別のお菓子に使うから。
ね? といちごに押し切られ、店主がそこまで言うのなら、と翔斗がのほうが折れたのだった。
「あなたが戻ってくると信じて、ご用意してお待ちしておりました」
いちごの気持ちも上乗せした、にっこり素敵な満点スマイル。これにはいい歳のオッサンであるこのお客様のハートもギャヒンと宙に飛び跳ねた。
「……はは。参りました。娘の言う通りの、素敵な店ですね。ほんと、娘も喜びます」
「娘さんに贈られるものなんですか?」
さっきから登場する『娘』というワードが気になっていた。すご腕販売員の翔斗はお客様の顔や名前を覚えることにかなり長けている。名前や特徴がわかれば、その娘を記憶の中の顧客リストから特定できる自信があった。
「ええ。じつは私、長年単身赴任をしていまして。妻と娘とは長く離れて暮らしていたんです。でも娘が中学に上がるのを機に、家族揃ってこっちに引っ越そうという話になりまして」
「はあ。そうなんですね」
相槌を打ちながら、内心で首をかしげる。最近越してきたばかりの女子中学生なんていたっけか。
「でも、年頃の娘というのは難しいもので。早速『なんもわかってない』と、機嫌を損ねてしまいまして」
男性は苦笑いしつつ、シュークリームの箱が入った紙袋をがさりと持ち直した。
「今日、誕生日なんです」
ははあ、それで。と返しつつ、「でも30個も?」と翔斗は訊ねる。すると男性は少し照れた顔をして答えた。「挑戦状でして」
「挑戦状?」
「ええ。娘のことがすっかりわからなくなってしまった私は、また見当ちがいなものを贈って機嫌を損ねてしまわないように娘に直接訊ねたんです。『誕生日になにがほしい?』と」
「はあ」
「それが、ここのシュークリーム30個だったというわけです」
「ええ?」
なんだそりゃ。としか思えない。どんな女子中学生だよ?
「こちらのシュークリームは予約もたしか、できないですよね?」
男性に訊ねられて、はいと頷く。厳密に言うと交渉次第ではできなくもないが表向きにはデコレーションケーキ以外の予約注文はフレジエでは受けていない。
「ずっと仕事ばかりの私に、平日の今日、売り切れ必至の人気シュークリームを、それも30個。これがどれだけ困難なことか娘はわかっていてせがんできたんです」
こわいですよ、まったく。と男性は笑う。つまりはいわゆる『仕事と私、どっちが大事なのよ!?』的なやつのようだ。
「部活の友達が大勢来るから、食べる口は心配しないでくれって。はは。そう言ってました」
言うと男性は「おっともうこんな時間だ」と時計を見つつ片手を挙げた。
出入口の扉を前に、男性は思い出したように「あ」と翔斗を振り向く。
「娘と妻は、ここの本店のほうで大変お世話になったそうで。シュークリームのことも、ここでならほとんど同じ味が食べられると教えていただいたとかって」
唖然と驚く翔斗に男性は続ける。
「またユッコと……ああ娘と、妻と三人で来させてもらいます」
小さくなってゆくスーツ姿の背中を見送りながら「
そうして過去に本店で勤務していた僅かな期間の脳内顧客リストを呼び起こす。ええと、何年前になる? ここに移ってもうかなり経つ。今中学生だとしたら、ひょっとしたら当時は5、6歳だったりするかもしれない……。
──ユッコ
ユッコ……? ゆっこ……
「……ぶっは! まじかい。あの『ゆっちゃん』のお父さんかよ」
該当者の『ゆっちゃん』をしっかり思い出してその成長を想像しつつ、月日の経過の早さに苦笑いを浮かべた。
星々の瞬く夜空を背に橙色に照らされる店内へ戻ると、カランとドアベルを鳴らしてゆるりとそのガラス扉を閉める。
ほどなくして【CLOSE】の札がゆらゆらと揺れた。
おわり
【KAC20241】フレジエでひとときを①謎の3分サラリーマン 小桃 もこ @mococo19n
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます