少女A

夏香

少女A

 誘惑という名の甘い罠が、車のドアをノックした。

 ある夏の昼下がり、人気ひとけのない公園の駐車場に車を止め、沢崎大輔さわざきだいすけは運転席のシートを倒し、いつものごとく昼寝をしていた。東和日報という三流雑誌の記者をしていた沢崎は、毎日、やる気のない、ただ出社するだけの日々を送っている。

 新聞を顔にかけて寝ていた沢崎は、車の窓を叩くコンコンという音で目を覚ました。何気に車の外を見ると、一人の少女が立っていた。ドアを叩いていたのは、その少女だった。

 少女は、原宿あたりで買った洒落しゃれたパーカーにミニスカート姿、年は十五、六歳の高校生くらいに見えた。

 沢崎はウインドウを下げて顔を出した。しかし、顔を合わせた少女のいきなりの言葉に、沢崎は一瞬、唖然あぜんとした。

「オジサン、アタシを買ってくれない」


「キミ、年はいくつだい?」

 沢崎が車の運転をしながら訊いた。少女は、助手席でスマートフォンのゲームと格闘している。

「いくつに見える?」と少女。

「十六ぐらいかな」

「じゃあそれでいいわ」

「家は都内かい?」

「違うわ」

「学校は?」

「夏休みだもん」

「いつも、こんなことしてるのかい?」

「ねえ、アンタ警察? 補導員? よけいなこと訊かないでよ」

 少女はめんどくさそうに言った。

「キミみたいな若いが、突然あんなこと言うなんて、少し驚いてね」

「お金が欲しいから言っただけよ」

「バイトなら他にもあるだろ」

「イヤよ、時給900円なんて、バカバカしい。カラダ売っちゃう方が手っ取り早いもの」

「でもねー」

「ヤルの? ヤラないの? 早く決めて」

 沢崎は、郊外のラブホテルに向かって車を走らせた。助手席の少女を見ると、まるっきりマジメな学生という感じではなかったので、まあいいだろう、という軽い気持ちになっていた。

 いつもつまらない記事ばかりを書かされている退屈な毎日、たまにはこんな日があってもいいだろうと思った。そして、最近女を抱いたのはいつのことだったろうと思った。商売女を買う余裕のないひもじい毎日だ。自分へのご褒美と思うと気持ちが弾んだ。

「いくらだい?」

 沢崎は助手席の少女に値段を訊いた。少女は人差し指を一本立てた。

「十万は高いな、最近は風俗だってー」

「一万よ」少女はニコリと笑う。

「買った」

 沢崎は即答した。


 ラブホテルの部屋に入ると、少女は先にシャワーを浴びると言い、浴室に入っていった。ザラザラとした曇りガラス越しに、華奢きゃしゃな裸体がクネクネと踊っていた。

 沢崎は、ベッドの上に無造作に放り投げてある少女のバッグが目についた。悪いとは思ったが、バッグを開いて中を探ってみた。

 ミッキーマウスの財布、化粧道具の入った小さなケース、ガチャポンで取ったようなアニメキャラのマスコットなどが入っていた。いかにも女子高生らしい。沢崎は可愛いと思い、フフフっと笑った。

 しかし、バッグの下の方にはドキリとするものまで入っている。それは小さなナイフと数枚のコンドームだった。

 なるほどと思った。コンドームを持っいるなら、セックスの経験はそれなりに豊富なのだろう。

 その他に小さな手帳も出てきた。見ると学校の生徒手帳だった。学校は北海道の札幌市内の高校だった。少女の住所を見ると、同じく札幌市内の住所だ。


 札幌の少女が、なぜ……


 沢崎は少しばかり唖然あぜんとした。なざなら、沢崎自身、北海道の出身だったのだ。それに少しの間だったが札幌にも住んでいたこともある。沢崎は、少女の生徒手帳を眺めながら、その当時のことを思い浮かべていた。

 それは二十年前のことだった。沢崎は大手の新聞社に勤めていた。それなりに仕事に燃え、充実した毎日だった。

 やがて一人の女と出会い、同棲し、子供ができたので入籍。やがて子供は生れ、親子三人でのアパート暮らしになった。

 しかし、記者という仕事柄、ほとんど家にも帰らず、家庭と仕事をはかりにかけるような毎日が続き、やがて沢崎は、家庭よりも、夢中だったルポライターとしての仕事を取ってしまったのだ。

 そして離婚。妻とは、離婚時の取り決めとして、子供が成人するまでは養育費を支払うこと、子供が高校入学までは逢わないということだった。

 離婚から十五年、沢崎は札幌を出て東京に引っ越したが、養育費の約束だけは今も守っていた。

 沢崎は思った。今から抱く少女は、自分の娘と同じ年なのだ。そう思うと、ムラムラとした気持ちも、少しだけえてくるような感じがした。

 少女の名前は何というのだろう。生徒手帳に書かれている名前は、西尾明菜にしおあきなと書かれていた。

 

 明菜あきな、か……


 いい名前だと思った。別れた妻との間にできた子供に、沢崎自身が命名した名前と同じだった。沢崎が、昔、好きだったアイドル歌手の名前からとったものだった。

 

 苗字は西尾にしお、か……


 札幌には多い苗字みょうじなのか、別れた妻の旧姓も確か西尾にしおだったような気がした。

 西尾明菜、西尾明菜、西尾明菜。沢崎は何度もその名前を胸の中で反復した。

 

 まさかッ!


 沢崎は、体に雷が落ちたような衝撃を感じた。

「生徒手帳、見たのね」

 沢崎は、突然、声を掛けられた。

 振り向くと、シャワールームの入口のドアにもたれ掛かり、少女が立っていた。白いバスタオルを細い裸体に巻き付け、濡れた髪を掻き上げていた。

「キ、キミの名前は……西尾明菜っていうのかい?」

「手帳に書いてあるでしょ」

 少女が、濡れた体のまま近寄って来た。

「偶然かな、同じ名前の女の子に心当たりがあるんだが」

「でしょうね、アタシ、あなたの娘だもん」

 少女は、平然へいぜんと爆弾宣言をした。

 その言葉に、沢崎は一瞬で凍りついた。頭の上に原爆を落とされても、これほど驚きはしなかっただろう。言葉が喉に詰まり出てこなかった。

「どしたの? 驚いた?」

「じょ、じょ……冗談だろ」

「冗談でこんなこと言える? 生年月日を見たら」

 明菜は沢崎に背中を向け、脱いだ下着やブラジャーを付け、服を着ながら言った。

 沢崎は生徒手帳に書かれた生年月日を見た。それは忘れもしない娘の生年月日と同じ日だった。

 そして沢崎は、少女の顔をまじまじと見つめた。確かに、言われてみれば、どことなく別れた妻の久美子くみこと顔立ちは似ている。いや、似てるどころじゃない、久美子のコピーのようにそっくりだった。どうして気付かなかったのだろうか。

「わかった、認めるよ。でも、どうして?」

「逢いに来たかっていうの。だって私が高校生になったら、逢ってもいい離婚の時の約束だったんでしょ」

 沢崎は頷いた。

「いっくら待ってても、なかなか来てくれないから、こっちから来たってわけ。探すのに大変だったんだから。東京じゅうの出版社に電話して、やっと見つけたのよ。札幌から掛けてたから電話代がスゴかったんだから」

 沢崎は、お母さんは元気かと明菜に訊いた。

「うん、とっても元気よ。最近は生命保険の勧誘なんかやり始めて、やる気満々よ」

 沢崎はそれを聞いてホッとした。しかし、もっとホッとしたのは、危うく自分の娘とセックスしてしまうところだったということだ。持っていたバッグの中身を見ずにいたら、本当にヤッてしまうところだった。

 そのことを明菜に訊くと。

「そりゃ~その時になったら、娘だってことを告白するわ。実の父親とヤッちゃうわけにいかないもの」

 明菜は、最後はストップを掛けると言った。

「でも、男っていうのは、その時になると、なかなかストップがきかないなんだぜ」

 沢崎が冗談混じりに笑った。

「大丈夫よ、男のアレが入口まで迫ってきたら、なんとしても抵抗するから心配しないで、お父さん」

 明菜は、悪戯っ子のように笑った。

 二人はこの後、東京見物などしながら、ほんのひと時ではあるが父と娘の時間を過ごした。そして明菜は、午後の最終便の飛行機、羽田発千歳行きに乗り、北海道に帰って行った。別れ際に明菜が言った。

「お母さんからの伝言があるの。養育費、長い間ありがとう、だって」

 沢崎は、当然だと言った。

「たまには電話ぐらいしてあげたら、お母さん、ぜんぜん怒ってないみたいだから」

「わかった、いずれな」

「あっ、そうだ、お父さんが若い女の子をとしてたことは黙っててあげるわ」

 明菜は、笑いながらそう言うと、手を振りながら搭乗口に消えていった。

 沢崎は、滑走路を飛び立つ白い翼を、いつまでも眺めていた。




  THE END


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少女A 夏香 @toto7376

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