【KAC20241】夢は夢のままが良かったなんてもう言わない。

音雪香林(旧名:雪の香り。)

第1話 生放送なんてしったことか。

私には三分以内にやらなければならないことがあった。

楽屋入りして、メイクを整え衣装を着ること。


アイドルとして、みんなの求める愛玩人形として笑顔を振りまく使命を果たさなきゃならない。


生放送だ。

私が行かないと放送事故ってやつになってしまうだろう。


けれど……彼のことが忘れられない。

アイドルになりたいっていう夢を嘲笑ったりしないで純粋に応援してくれた。


彼のことが大好きだった。

ううん、今も大好き。


なのに彼は私のデビューが決まると「おめでとう」の一言を残して消えてしまった。


いわゆる三行半には「僕は輝く君の隣にいるのにふさわしい人間じゃないから」なんて書かれていて……。


いつ、誰がそんなことを言ったの?

勝手に決めないで。


そう訴えたくても彼がどこに行ってしまったかがわからない。

だから仕事がない日はいつも彼を探していた。


見つからなくて、精神的にもう限界で……今こうして公園のベンチに座って道行く人を観察している。


彼が通りかかったりしないだろうか。

なんて、そんな奇跡あるわけ……。


「輝美! お前、もうすぐ生放送のはずだろう!」


この……声は……。

息を呑んで視線を向けると、一目で「おまわりさん」とわかる制服を着た彼がいた。


なんて奇跡!

私は立ち上がって彼の胸に飛び込んだ。


「バカ……バカバカバカ! 急にいなくなって……寂しかった!」

「こ、こら! 変装しているとはいえ、気づかれたらどうする。スキャンダルだろう!」


アイドルである私の立場を慮った言葉。

でも今はそんなのは求めていない。


「あなたが好き。好きなの。アイドルになったからって、なんで別れなきゃいけないの?」


涙目で彼を見上げると、あきれたようなため息が降ってくる。


「お前が不器用だからだ。僕にのめりこんだままでファンが求めているだけのお愛想を振りまけるわけないだろう。お前の愛は、分割するのに向いてない。一途なんだ。でも、それこそアイドルにふさわしい。ファンは自分たちだけを愛してくれる存在だと嗅ぎつけて崇めてくれる」


何を言っているのか意味が分からない。

ただ、私自身よりもアイドルとしての私のことを深く理解していることだけは察せられた。


「あなたと一緒にいられなくなるなら、夢は夢のままにしておけばよかった……」


瞬間、ひやりとした空気が漂った。

花冷えの時期だから、というだけではない。

怒っているのだ、彼が。


私はつい「ごめんなさい」と言いそうになったが、理由もわからないまま謝罪しても彼の機嫌を損ねるだけだろうと黙る。


すると彼は無表情で私の手首をつかみ、どこかへと歩き出した。

引っ張られるままに着いていくと、パトカーがあった。


後部座席が開けられ、無言で車内に押し込められる。

運転席に乗り込んだ彼は、そのままパトカーを発車させた。


サイレンを鳴らしながら走り出したので私は仰天する。

たしかに生放送を投げ出した私はアイドルとして失格だが、犯罪者ではないはずだ。

それに……。


「警察署の方向じゃない……っていうか……」


生放送の会場がある方面に進んで行っている。


「もうすぐ放送開始時間だから、現場は相当混乱しているだろうな。ちゃんと謝れよ」


冷たい声音ではないが、とても淡々とした口調だった。


「だから、私はもうアイドルを……」

「辞めるのか?」


改めて聞かれると、なぜか即答できなかった。


「そうだろう。躊躇うだろう。だって、アイドルはお前の天職だからだ」


会場まであとわずかという距離になるとサイレンを消し、路肩に停まる。

運転席から降りた彼はわざわざ後部座席の扉を開けてくれて、こう言った。


「普通の人間はな、産んでくれた両親以外の人間に心の底から好かれるなんてめったにないんだよ。一人いれば御の字ってくらいにな。愛されるって、すごいことなんだ。この言葉を頭に入れて、改めてステージに立ってみな。それでもまだアイドルを辞めたいと思ったなら、ここに連絡してくれ」


名刺を差し出され、受け取る。

彼は。


「もう時間がないな。走れ!」


私は反射的に会場へと走り出した。

手の中の名刺を落とさないように、くしゃくしゃにしてしまう強さで握り込み、会場に滑り込んだ。


マネージャーが「どこ行ってた!」と怒鳴りつけてきたが、スタッフが「叱責はあと! 今はスタンバイできるよう秒で準備して!」と私をメイクさんに引き渡した。


メイクさんも衣装さんもさすがプロ。

数分でアイドルとしての私が出来上がり、カウントダウンが始まる。


3

2

1

スタート!


舞台の中央で、スポットライトを浴びて、たくさんのペンライトや団扇、歓声に迎えられる。


なんて綺麗な光景だろう。


彼の言っていた意味が分かった。

確かにアイドルは私の天職のようだ。


もう振り返らない。

あなたが送り出してくれたこの世界で一番になって見せる。


私は、美しく輝く者。

あなたが教えてくれた使命に生き続けることを誓うよ。


でも、最後に一言。

「新曲です。聴いてください『love you』!」


あなたを愛していました。




おわり

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