美味しく食べたいアレ

ritsuca

第1話

 阿賀野には三分以内にやらなければならないことがあった。それはそれはとても大切なことだ。だというのに


「わわわ、こら、おーじ、だめだ、って、わ、うわああああ!」

「んな~~~~」


阿賀野の足元を遊具と認識してしまっているらしい、同僚の荻野の茶トラの子猫、こと、おーじの動きに阿賀野は翻弄されっぱなしだ。

 別に猫が苦手なわけではない。アレルギーがあるわけでもない。学部時代の友人で同じ会社に就職した荻野と互いの部屋を行き来するようになって、今回のように荻野が不在の折に代わりに面倒を見ることも、就職してからは増えてきた。恐らく数年前の自分と比べれば圧倒的に猫に慣れたし、おーじのことは可愛いと思っている。

 それでもこの状況は困るのだ。


「あああ、あと2分半! おーじ、俺動くよ? 動くからね? って、うわああああ! 危ないから!」

「んな~~~~」


 恐らく、初手を誤ったのだ。台所から熱湯の入ったやかんを運ぶ方が危ない、と思ってしまったのがよくなかった。ここは荻野の部屋で、阿賀野の部屋とは違うのだ。

 阿賀野は和室もソファも炬燵もない家で育った。ゆえに、ひとり暮らしの部屋を作るとき、あまり悩むこともなくデスクと椅子で暮らし始め、就職して少しゆとりができてからは、食事用のテーブルと椅子のセットを買い足した。

 一方、荻野は和室と炬燵と猫とともに育ち、荻野と阿賀野の世代にしては珍しく、家具店などで見かけるような勉強机とも無縁だったらしい。多少迷ったものの結局暖房器具を兼ねて購入した炬燵と小さめの本棚だけが、荻野の部屋にある家具らしい家具だ。

 さて、今はちょうど冬から春に移り変わろうという季節。先ほどまでの自分もおーじも、お互い炬燵で暖をとっていた。阿賀野が来ることも増えたから、と荻野がこの冬に買い替えた炬燵は成人男性二人が入ってもまだ余裕があり、そして新しい炬燵布団は以前のものよりも薄いのに暖かい。そして以前のものよりも少し大きめのその炬燵布団は、敷布団のさらに外側にも広がって美しい襞を作っているが、裾にいくにしたがって床の色と近くなるグラデーションのおかげで、台所から見る分にはあまり目立たない。

 そう、目立たない。だから阿賀野は時折、フローリングの上に広がった炬燵布団を思い切り踏みしめてしまう。踏みしめた結果どうなるかはそのときどきによるが大抵、自分はあまり運が良い方ではないな、と早々に認識する程度の結末が待っている。


「ああああと45秒! おーじ、俺はお腹が空いてるんだ……でも立ち食いは、いやだー!」

「んな~~~~」


 規定量めいっぱいまで熱湯を入れたカップ麺の容器は、とても熱い。けれど阿賀野は知っている。熱いときに食べるから、美味しいのだ。まだ肌寒いこの時期、油断していると麺がのびるだけでなく、すぐに冷めてしまう。

 せっかく家で落ち着いて食べられるのだから、温かいうちに美味しく食べたいではないか。


「あと20秒! あー、もう、おーじ、気をつけてくれよ!」


 もう待ちきれない、と踏み出すべく持ち上げた脚に、器用に背伸びをしたおーじが縋りついた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

美味しく食べたいアレ ritsuca @zx1683

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ