3分で出来ない魔王様!

白千ロク

本編

 魔王様には三分以内にやらなければならないことがあった。それは元の性別に戻るためには絶対にしなければならいことであったのだが、内容が内容だけに頭を抱えるしかない。


 どうして自身の護衛騎士とキスをしなければならないのか。一応義理の弟でもあるんだぞ。いや、待て。考えを改めよう。キスだけで戻れるというのならば、まだマシなのかも解らないではないか。これが濃厚な接触を必要としていたのならば、すぐさま駆け出していたことだろう。どこでもいいから逃げていた。必ず捕まるにしても。


 部屋――私室の最奥たる寝室の隅で小さく丸まる魔王様は、扉にもたれかかる男を見られなかった。詰め襟もとい団服に身を包んだ姿はそれはそれは美しく神々しい。目が痛くなるほどに眩しい。


 肩を越して腕の関節部辺りまで伸びた淡い色合いをした艶のある赤髪を髪紐を使いゆるく後ろで纏めている容姿端麗は長身痩躯でもあり、冷酷無慈悲な男である。文武両道だからか書類仕事もあっさりこなしてしまうし、精霊を斬り殺したとか暴れドラゴンを丸焼きにしたとかの武勲だって凄まじい。姿を見ているとこれでもかと劣等感しか生み出さない。幼い頃に義理の兄弟となってからはずっとそうだ。いまに至っては腹が立つほどである。自分を差し置いてモテすぎるのは腹が立つ。言葉には出さないが、『オレではなく、もうコイツが魔王でいいんじゃね?』と思わない日はない。


「兄さん――ああ、いまは姉さん、かな? 覚悟は決まった?」

「話しかけんな」


 覚悟など決まるわけなかろう。早朝の日課としていた鍛錬終わりに、いつもどおり魔力回復薬を飲んだはずだったのだ。冷やされたものをぐいっと一息に呷った。


 ――ら、すぐに効果を発揮しおった。伸びないことを気に病んでいた身長は縮み、出るところは出た。なんでや、出すぎだろう。胸ぇ! である。胸だけがやたらキツキツなのは嫌がらせかなにかか。


 うぇぇぇっ!? と慌てる魔王様をにこにこ顔で見ていた護衛騎士は護衛の仕事を放棄していたのだからダメだろう。


 性転換薬を魔力回復薬だと間違って飲んだ自分が一番悪いのだが、貴重な薬をそこらに置いていた護衛にも非がある。キッと睨んだ男はしかし怯むことはなく、「涙目で睨んでもなんの迫力はないよ」なんて言いながら、片手で両頬を挟んで潰してきた。護衛対象をもてあそぶなど、護衛騎士としてはいかがなものか。常々そう思ってはいたが、いまはさらに弄ばれそうで落ち着かなかった。これは絶対に面白がっている。


 なにをするのかと払い落とした手はしかし、今度はがしりと腰に回してきたではないか。思わぬ密着具合に「ひょわぁ!?」と情けなく叫ぶと、護衛騎士もとい義理の弟は愉しげに笑う。整いすぎた顔は厄介だ。微笑みひとつとっても、怒りを長続きさせないのだから。


「元に戻りたいのなら、三分以内にキスをしないといけないらしいね」

「なんでだ!?」

「作った人の趣味だって。ちゃんと瓶に張り紙がしてあるでしょう?」


 張り紙とはなんと親切なのだろう。だが、悪意しかないように聞こえてくるのだが。どんな趣味なんだと苦々しげに吐き捨てると、「暇潰しみたいだねえ」と軽い調子で返してくる。が、その軽さであっても、身長差が広がった分だけの圧があった。負けじと睨んでも、上目遣いにしかならないのは悪意以外ないだろう。暇潰しなら他でしてくれ。柔らかな笑みを浮かべたままの男の友人は感じが悪い。合う時があれば文句を言ってやる。


 くそっ、早く戻って仕事を押し付けねば!


 そうは思っても、キスは気が重いわけである。ほいほいと出来るものではない。好きな人のためにとっておきたいぐらいなのだから。


「そんなに思い詰めなくてもいいよ。する場所はどこでもいいみたいだし」

「えっ?」


 唇でなくてもいいの!?


 慌ててそう聞き返すと、細長い小さな薬瓶が眼前へと突きつけられた。中身は飲んだ後なので溢れることはないが、勢い余って指が目にぶっ刺さるかもしれないのは危険だろう。いや、この男は自分に対しては物理的な暴力はしない奴だが。


「張り紙は読まないとダメだよ?」

「お前に言われたくない!」

「はい。どうぞ」


 屈んだ護衛騎士の蕩けた顔を見てしまえば、どうにも気恥ずかしくなり、「みゃーーーー!」と大きな声を出して寝室に逃げ出したのだった。


 そしていまの時間は、約二分と二十八秒を過ぎた頃である。頭を抱えてう゛ーう゛ー唸るばかりの魔王様に近づいた護衛騎士はそのまま腰を屈めると、こそりと耳打ちした。魔法薬のお蔭で伸びた艷やかな暗く濃い藍色の髪を優しく耳にかけながら。


「――三分以上経ってからキスをした場合は発情するって書いてあるよ?」

「お前それを早く言え!」

「言ったら面白くないじゃない。はい。じゃあ頑張って」


 勢いよく上げたその顔色は悪い一方だが、蕩けた顔をした色男は内心で歓喜した。想像以上にかわいらしいなあと。


 本人は母親譲りの顔に対して一番の劣等感を持っているようだが、かわいくてかっこいいのは反則だろう。領地運営のために――領民のためにあちこち走り回っているというのに、弱音らしい弱音を吐かないのは強さがあるからだ。失態を犯した者にも――国を揺るがした男の息子にも手を差し伸べられるのは優しさがあるからだ。


 父は最終的に領地を取り上げられたが、家の取り潰しまでは行われなかった。隣領に加わることになった領地はいまもきちんと存在している。幽閉となった父とともに。事前に上に知らせれば会うことだって可能だ。


 それもこれも、魔王様――あの時は王子だったが――が言ったからだ。『刑に処しても、この人のような有能な人は簡単には現れないし、育たないだろ』と。生かして知識を教えてもらえばよくないのかと。


 死を覚悟していた自分は生きている。魔王様の護衛として。義理の弟としても一番近くにいる。たとえ人質のようなものだとしても。


 触れたいと思うのも、手に入れたいと思うのも当然だろう。腕の中に閉じ込めてやりたい。この高潔な人を、これ以上誰かの目に触れさせたくない。


 ひっそりと訪ねた友人宅で魔法薬の作製を頼めば、『俺が言うのもなんだけどさあ、君も趣味が悪いよね』と言われたのは二年ほど前になる。その前から――荒れ狂う気持ちに気がついてから、ずっと計画していた。貴重な魔法薬を簡単に作ることが出来てしまう友人がいたからこそだ。もちろんこちらで素材を集めて渡すことが前提なので、能力を鍛えることは忘れなかったが。


 窺っていた機会はこうして訪れたというわけだ。


 どこにしたらいいのかと悩む姿は格別であったし、額に触れた柔らかな感触は生涯忘れることはない。


「よく頑張りました。まあ、三分は過ぎてるんだけど」

「い、嫌だぁあぁあ!」


 いつの間にか強い力で抱きしめてきていた護衛騎士の腕の中でうわああああ! と暴れ始めた魔王様だったが、発情は嘘だと教えられて号泣したのは言うまでもない。確認した薬瓶にも、ふざけたように『びっくりした? びっくりした? 発情しないよ〜ん』と小さな文字で書かれていたのが安心を運んできたのだ。改行して『性別が戻るのはゆっくりだから、二、三日はかかるよ〜ん!』『魔法薬ってそういうものだから☆』とも書かれていたが。涙で文字が滲んでしまっていたから正しいかは解らないが、うぉんうぉん泣く自身はあやされていた。確実に。


 耳元で聞こえた「俺以外の手で発情させるなんてそんなことするわけないでしょ」という囁きは聞かなかったことにしよう。


 そう、心の平穏を保つために――。




(おわり)

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