11時57分。


 多くの犠牲を払って到達した事務所にて群れ全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れを待ち受けていたのは、一頭のクロコダイル――ワニだった。


「お前が今の俺たちの上司か……」

 満身創痍のヘッドの質問に、ワニは悠々と答える。

「そうです。私こそは……100秒後に死ぬクロコダイル」


「100秒後に死ぬクロコダイルだって!?」

 メガネが声を上げる。

「あと3分……いやあと2分で未来のために小説を投稿しなければいけないぼくらとは正反対! 熱い展開だ!」

「フウフゥ……ちなみに11時59分って、11時59分0秒? それとも11時59分59秒なんですかねエ?」

「プロでもないのにダラダラ締め切りを引き伸ばそうとするみっともないマネはやめな!」


 ミルクメイカーが誤魔化したピエロ命題については、公式サイトにも書いていないので筆者にも分からなかった。

 このような局面においては非常に重要な情報なのだが、そういったところまで細やかな配慮が行き届いていないのは残念な限りである。



「昼休みを早めていただきたい」

 ヘッドは眼光鋭くワニを見る。

「12時から、ほんの1分1秒。それだけで事足りる」


「できない相談ですね」

 だが、ワニは意地悪く口角を上げた。

「この100秒後に死ぬクロコダイルの目が黒いうちは、そういった規則の細かな調整が認められることは一切ないと思っていただきましょう」



「くッ……そう言われちゃあ逆らえねえ」

 悔しげに顔を歪めるヘッド。彼は妻子と25年のローンがある身であり、定職を失うわけにはゆかず、よって会社の言いなりのつまらない操りバッファローであった。

 結婚するということはそういうことであった。誰が否定しようとその事実は絶対的に不変である。


「モ~ゥ」

 万事休すかと思われたその時、ミルクメイカーが色っぽく鳴き、群れが沸き立った。

「慌てる必要はないじゃない。たってあなた、そのうち死ぬんでしょ?」

「ええ」

 ワニは涼しい顔で認める。

「何せ私は100秒後に死ぬクロコダイル。その死の後は、ヘッド。あなたが判断をすることになるでしょうな」

「なんだと……俺が出世するということか?」

「妻子がいるからって昇給のチャンスに目の色を変えるのはやめなさい、ヘッド。どうせ明日には別の上司が来る……ただその間は、あなたの判断が正しいということよ」

「そうか……俺が事実上出世するということだな」

 既婚者とは意地汚いものだが、守るべきものがある身空では仕方のないことだ。我々は寛容な気持ちで許してあげよう。



 ここにきて状況は膠着した。

 群れはここまでの強行軍にすっかり疲弊し、そこかしこでブモブモと自由に休憩を取っていた。


「おかしい……」

 しかしそんな中でも、思索を止めないバッファローがいた。メガネである。

「あなたは100秒後に死ぬワニと名乗ったが」

「100秒後に死ぬクロコダイルです。コンプライアンスというものがありますので」

「それは『いつから』だ? あなたは『いつから』100秒後に死ぬクロコダイルで、その100秒後は『いつ』訪れる?」



 ワニはまた意地悪くにやりと笑った。

 そして、それが回答だった――メガネが声を上げる。


「こいつッ……! 何度も『100秒後に死ぬクロコダイル』と名乗っていたのは、自己紹介なんかじゃない!」

「何ですって?」

 ミルクメイカーは色っぽく聞き返す。ヘッドもメガネを見た。

「どういうことだ」

「概念能力者なんだッ! 100秒後に死ぬクロコダイルは、決して100秒後まで死ぬことはない。こいつは100秒後に死ぬクロコダイルを名乗ることで、逆説的に100秒の生存保証を更新し続けている……!」


「よもや気付くとは。素晴らしい想像力だ。作家になったらどうだね?」

「そのために小説を投稿したいんです!」

「だが許すことはありません。この私、100秒後に……」



「させるかよ~~~ッッ!!」

 そこへいよいよ美味しく焼き上がったビフテキがステーキ皿から飛び出した。

 熱血漢の彼は、語るワニの開いた口の中へ飛び込む。

「ビ……ビフテキ!!」


「……なあ」

 彼は宙でメガネを振り返り、笑った。

「今度、お前の小説に俺を……出してくれよ」



「もぐ」

 ワニはその大きな口を閉じ、ビフテキを丸呑みする。

「ビ、ビフテキ~~~! 小説を書くと話した相手に対して創作に理解のない奴がやるありがちなクソリクエストが最後の言葉になるなんて……!!」

「んぐんぐ……少し火が通り過ぎていますね」

「あっでもビフテキ(料理)なら割と小説に出すのは難しくないな! くそっ! 無神経な熱血漢に見えて意外と繊細な気遣いができる奴だったのかよ!」

「ビフテキちゃん……あなたはその道を選択したのね」

「紅一点とのただならぬ関係も匂わせてきやがる! 許さねえ!!」


 メガネの慟哭とミルクメイカーの涙も意に介さず、ワニは口を大きく開いた。

「まったく、火の通り過ぎた肉に三文芝居。そんなものでこの私、100秒後に死……」



「……やれえッ、ピエロ!!」

「ヒャ~~ッッ!!」


 ワニの前に、今度はヘッドの命令を受けたピエロが躍り出る。

 彼は歓喜の声を上げて、そのツノをワニの口へとねじ込んだ。


「んがっ!?」

「ヒ~ヒヒヒィ……どうです? はたしてこの状態でも『100秒後に死ぬクロコダイル』を名乗れますか……ァ~??」


 ムードメーカーの無茶な突撃に、群れがざわめく。だがヘッドは冷静にメガネへ確かめた。

「奴が最後に『100秒後に死ぬクロコダイル』を名乗ったのはいつだ!?」

「え、えっと……ちょうど40秒ちょっと前です!」

「つまりあと60秒を待たずに、奴は死に、俺が出世するということだ……」

「あ……!」


 メガネは時計を見た。事務所にかけられたアナログ時計は、ちょうど11時59分0秒を示した所だった。

「ピエロのツノで、ワニの寿命更新を防いだんだ! すごいよ、こんなの能力バトルじゃないか……!!」

「だが、全ての問題が解決した訳じゃない。まずお前は小説の投稿の準備をする必要がある」

「うん。ぼくの方はもう大丈夫……でも、間に合うのかな? ピエロ命題の答えにもよるんだよなあ」

「まったく、運営サイドもこのくらいの状況は想定しておいて欲しいもんだな。だが今は……11時59分59秒の投稿で間に合う方に賭けるしかない」



「んあががが! んあががががが!」

 ワニもただその瞬間を待つばかりではない。その喉を必死で動かし、ピエロをツノもろとも飲み込もうとしている。

「ウフフフ……させませんよ、クロコダイル殿……」

 だがピエロは、その身を頭から食われながらも、朗らかな笑みで笑っていた。

「我々は『群れ』なのです……群れの一部であるメガネがそれを望んだら、ワタシは当然、群れとして命を賭ける……!」


「ピエロ……」

 小説投稿の準備を終えたメガネが思わしい目でピエロを見ると、彼は穏やかに笑っていた。

「ワタシは……単なるムードメーカーでした。ほんの少し、毎日上司を殺戮することだけが趣味の、単なる道化ピエロ。それがワタシでした」

「そんなことっ……!」

 涙ながらに否定しようとしたメガネへ、ピエロは問う。

「……どうでしょう。ワタシはメガネの勇者になれましたか?」



 ごくん。

「タ、タイトル回収だ……!!!」

 ワニは、『100秒後に死ぬクロコダイル』を自称した彼は、はしゃぐメガネの目の前でピエロを頭から飲み込んだ。


 そして、その瞬間が最後だった。

 時刻、11時59分56秒。

「ぐえっ……」

 ワニがひっくり返る。彼が最後に『100秒後に死ぬクロコダイル』を自称してから、ちょうど100秒が経過した時だった。


「今だ」

 ヘッドは、その瞬間を逃しはしない。

 妻子がいる彼には、自分が行使できる権力を得た瞬間を絶対に逃さない社会的意地汚さが、ある。


「メガネッ! 今この瞬間から昼休みを開始し、インターネットの私的利用を許可する!!」


「はいッッ!!」




 全てを破壊しながら突き進むバッファローの群れには。

 その群れの一員たるメガネには。

 同胞の想いを託された彼には。


 三秒以内にやらなければならないことがあった。



 小説の投稿である。



   ◆   ◆



 いかがであっただろうか?


 この物語が実際にあったことかどうか、現実にモデルがいるかどうかは、あえて明言を避けたいと思う。

 だが、これに近いことであれば、小説コンテスト参加者の身には日常のように起こっているはずだ。


 今後、あなたがweb小説を読む時は、どうか想像してみて欲しい。

 その何気ない小説の投稿に至るまでに、作者がどれほどのものを犠牲にし、託されてきたのかを。

 すると、あなたがその小説から感じ取れるものも、少しだけ変わるはずだ。

 そうなることを、このワタシ、メガネの勇者は――祈ってなりません。

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メガネの勇者 浴川 九馬 @9ma

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