第2話 マリッジブルー

 ガタンガタンとひとり電車に揺られているといろいろなことが思い出される。

 龍明は医学部、わたしは看護、よくある出会いだった。

 はじめから龍明は強引で、出会ったその日に彼はわたしを彼女にすることを決めたと言っていた。その通りになったわたしもわたしだけど⋯⋯。

 思えばどうして龍明のお嫁さんになろうなんて思ったんだろう? みんながうらやましがったから?

 もしわたしが目の前で今日みたいに転んだら、腕を掴んで引き上げてくれたかもしれない。「恥ずかしいから早く立てよ」って。

 今日だってわたしが100パー悪かったと思うけど、あんな言い方ないじゃん。その前に「大丈夫か?」は?


 ⋯⋯って、知らない男の子にちょっと優しくされたからって逆上しても仕方ないんだけどさ。

 でもなんか、大切なものを思い出した気がした。

 ずっと少女時代から探してたキラキラしたものを。

 それは地位や名声ではなくて⋯⋯王子様みたいな優しくて紳士的な人に憧れる気持ちだ。

 純粋だったわたしの気持ちはどこに消えたんだろう?

 そうして純粋じゃなくなったわたしは、現実的な龍明のお嫁さんにこのままきっとなるに違いない、んだ。


 ◇


 龍明のご両親はとてもいい方たちで、遅れてきたわたしを一言も責めなかった。それどころか話を聞いて、傷の手当を見て、ひどく同情してくれた。

 食事会は時間が遅れたこと以外はつつがなく済んで、駅で、わたしたちはご両親と別れた。

「しっかし、なんだよその格好! 着替えてこれなかったの?」

「⋯⋯もう一本次の電車で良かったなら」

 彼は嫌な顔をして横を向いた。わたしの顔など見たくない、といったていだ。

「まぁ、なんだ、人生に一度くらいそういうこともあるんじゃねぇ? 結婚前ってほら、あれがあるだろう? 『マリッジブルー』」

 そんなことを言い出す人じゃないので意外で、わたしは彼の横顔を見上げた。

「俺もお前もそういうの、少しあるんだよ、多分な」

 お前もかよ、と少し反発しつつ、ドキッとした。

 龍明はいつも上から目線でわたしのことなんて、つまり医師から見た看護師くらいにしか思ってないのかと思ってたから。

 わたしは正直に言うと困惑した。逆に龍明の方が結婚に舞い上がってる可能性もあるんじゃないかと⋯⋯。

「龍明、わたしをすき?」

「なに言ってんだよ、今更」

「そういうのが大切なんだよ」

「バーカ。に決まってんだろう?」

 花冷えかなぁ、なんて言いながら龍明はポケットに両手をしまった。

 わたしの傷だらけの手は、空っぽだった――。



 式場見学の日、遅刻しないようにと願いつつ電車に乗った。

 ガタガタ、いつもと同じく電車は揺れる。

 ちょっとした市街地を抜けるとすぐに両側は畑になる――。と、斜め前に知った顔を見つけた。

「仁科さんじゃないですか!」

「いや、斎藤さん、気付いてなかったみたいだったんで声をかけたら悪いかなって」

 彼はなぜか頬を赤くして恐縮した。わたしはきちんとお礼を言うために、彼の隣に座った。

「あの日は大丈夫でしたか?」

「ええ、なんとかなりました。仁科さんのお陰です。あの日の薬代⋯⋯」

「お金の話はやめましょう」

 話が途切れた。

 電車が揺れる度、肩と肩が触れそうになる。触れてもおかしくない距離だ。

「⋯⋯デートですか?」

「はい?」

「いや、先週も素敵な格好でしたし、今日もなんていうか⋯⋯その、ワンピース素敵です」

「ありがとうございます」

 やだ、ふたりとも真っ赤になるならそんなこと言わなきゃいいのに。第一、結婚前の女をそんなに褒めてもいいことないし、わたしは仁科さんよりずっと年上だ。

 そんな自分がちょっと恥ずかしくなって、意外に思う。別に年の差なんて関係ない仲じゃん。

 またどちらもなにも言えなくなってしまう。仁科さんは沈黙を生み出す天才だ。

 わたしはバッグから財布を出すと、千円札を数枚取り出し、仁科さんに渡した。

「やっぱりお金のことはきちんとしておきましょう?」

「そんな年上っぽい顔しないでください」

「おかしい! だってわたしの方がずっとオバサンですよ。わたしね、仁科さんと同じ看護科の〇〇年卒なんです。ね、オバサンでしょう?」

 仁科さんは千円札を持ったまま黙って俯いてしまった。そして小さな声でこう言った。

「でも僕、医学部二浪ですから⋯⋯。あの、また会いたいです。迷惑だと思うんですが」

 そう言うと仁科さんはわたしの手に千円札を戻して、すぐ次の駅でさっと降りてしまった。

 わたしは呆然とした。

 会う前に連絡先さえ知らないじゃない?

 共通点は病院関係ってことだけで、お互いなにも知らないのに。なのに?

 そしてなにより、わたしは結婚準備を着々と進めているところなのに?


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