第3話 大地

        ◆


 どこまでも広がる茨を私は降下ポッドの上から確認した。

 一本一本の茎が驚くほど太い。私の腕くらいあるのではないか。それが複雑に絡まりあっていて、地面はほとんど見えない。降下ポッドを受け止めるくらい訳なかっただろう。

 棘も生えているが、それよりも葉がほとんどないのが特徴と言える。どこかに花でも咲いているだろうかと確認したが、見えなかった。

 私はヘルメットに備え付けてあるカメラの映像を視界に投射しているのを、グローブの指先を触れ合わせることで、最大倍率に変えた。カメラを向けた先は本来の降下地点の辺りだが、何も見えない。

 当初の任務では私と仲間たち三十人は密集して降下し、そこに仮設のキャンプを建設し、周囲一帯の浄化を行うことになっていた。

 浄化とは害獣を駆除し、植物を排除して、安全な領域を構築することだ。浄化の次の段階が、開墾、と呼ばれているがそれはまだ先だ。

 それにしても見えないほど遠いとは。

 我がことながら呆れるしかないが、すぐに気持ちを切り替えた。視界に映る映像を切り替え、周囲の衛星画像を映す。現人類は地球を再征服するにあたって、いくつもの観測衛星を送り出し、地球の全域を詳細に把握することを実現していた。そうでなければ、現人類の効率的な再征服は不可能だ。

 はるか彼方の上空からの映像をズームして、まずは自分を映す。なるほど、半径五キロ程度が茨の野原になっているようだ。グローブによる操作で予定降下座標へ画像をスライドした。

 すると、確かに仲間たちが見えた。彼らは何もない荒野に降りているように見えるが、当たり前だ。

 衛星からの画像でよくわかる。

 彼らが降りているのは、ある種のクレーターだった。

 非原子爆弾とも呼称される高性能爆弾が投下された跡地である。超高熱がそこにも繁茂していたであろうイレギュラーな植物を焼き払い、強烈な爆風が整地してくれた、というわけだ。

 もっとも幾つかの降下ポッドは目標を外れたようで、私と同じように救助を待っているものもいれば、自力へ仮設キャンプへ向かっているものもいる。さすがに私は茨の中を何キロもかき分けて行軍する気になれなかった。今着ているスーツは巨大で硬そうな棘の前には無力に見えたし、下に着ている簡易型の戦闘スーツでも不安だ。降下ポッドの中に重武装を想定したスーツがあるが、着替えるのも難儀だった。

 本来ならこのような任務放棄は許されないが、状況が状況だった。

 現人類はそもそも、宇宙移民船三隻分しか人的資源がないのである。

 再征服や浄化作戦を実行するとしても、無制限に兵士を動員できるわけがないし、そもそも兵士になりたいものなどごく少数だ。

 私が兵士をやっている理由も、別に現人類に貢献したいとか、地球を救いたいとか、そんな高尚なところにはない。

 私は単純に、地球にさっさと降りたかっただけだ。

 私は第六世代だけど、冷凍睡眠組ではないティーンエイジャーの大半は、地球というものを物語の中でしか知らない。正確には無数のデータが移民船にはあったから、映像で見たことはあるし、VRで擬似的に体感したこともある。

 それでも実際の地球、もっと言えば地球の重力や地球の大気というものを実際に知らないのは、ある種のコンプレックスであり、地球そのものを体感することは憧れでもあった。

 というわけで、現人類軍、あるいは解放軍は志願者を可能な限り大事に扱う。無駄に殺しはしないし、見捨てもしない。叱られるくらいはするけど。

 私は仲間たちがすぐそばに同時に落ちたのだろう降下コンテナから荷物を引っ張り出し、陣地を作っていくのをぼんやりと眺めた。まるで蟻を見ているようだけど、縮尺のせいだ。

 人間なんて地球と比べれば小さなものだ。そして現人類の支配する領域は、極めて狭い。

 こんなことで地球を救えるのだろうか。

 あまりにぼんやりしていたので小さな警告音が鳴った時に、危うく降下ポッドから落ちそうになった。ぐっとグローブで降下ポッドを押さえて姿勢を取る。

 目の前の映像が切り替わったが、それはそのまま私の目の前の光景を映している。

 警報は、接近する物体がある、というものだった。注意を促す黄色い表示。降下ポッドに付属しているセンサーからの情報である。目の前に黄色で矢印が表示されているので、自然、そちらに顔が向いた。

 方角で言えば西方向からだった。仲間のキャンプは北東方面にある。

 なんだ?

 西に見えるのもやはり茨だけである。動くものは見えない。

 しかし警報はやまないどころか、赤に変化した。警戒するように、ということだ。

「あー、隊長、リリー、聞こえますか」

 コードで呼びかけた相手はすぐに答えなかった。仲間との作業に忙しかったのだろう。

「リリー、こちらバタフライ・スリー、聞こえますか」

『……なんだ、バタフライ・スリー。救助はもう少し待ってくれ』

 相手が苛立っているのが言葉の端々でわかったが、遠慮している余裕はない。

「その、何かが接近してきます。西からです。そちらよりこちらの方が近いので……、そちらでは把握していますか」

『いや、把握していない。お前の座標は?』

 送ります、と素早くグローブの指を触れ合わせてデータを改めて送るが、視界では赤い表示が点滅している。しかし何も見えない。茨の下か、地中だろうか。相手が見えない不安ほど嫌なものはない。

『こちらでは感知できない。早期警戒機に問い合わせているが、ドローンを送り込むまで時間がかかるそうだ。十分ほどは、バタフライ・スリー、お前が状況を監視しろ。何が近づいてくる?』

「それが、見えません」

 舌打ちが耳元で聞こえたが、私はそれどころではない。ついに警告は点滅をやめ、点きっぱなしになった。

「あの、隊長」

 返事が来る前に、私は素早く降下ポッドの中に滑り込んだ。

「救助を早めにお願いします」

 頭上でハッチが閉まる前に、その音ははっきりとマイクに届いていた。

 キーキーという音。

 おそらくネズミという生物がそれに近い鳴き声を出すはずだ。

 もっとも、ネズミがネズミとして今も地球上にいるかは謎だし、ネズミがいた時代にもここまで多くのネズミの鳴き声が重なり合った音を聞いたものは稀だったはずだ。

 何せ、物理的にさえ感じる音の波だったのだ。

 私がシートに落ち着き、ヘルメットの映像を降下ポッドの外部カメラに切り替えた時、思わず悲鳴が漏れそうになった。

 何か、こぶし大の物体が周囲を埋め尽くしている。一部は降下ポッドを駆け上り、乗り越えていく。

 それはネズミらしいものの大群だった。

 私はどうやら茨に囲まれている上に、ネズミの海に飲まれたようだった。



(続く)

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