第2話 過ぎ去った時間

       ◆


 遺伝子編集というものが全ての原因だったが、きっかけ、最初の兆候が何だったかは、地球にいた人類、我々「現人類」が「原人類」と呼ぶ人類種の歴史に関する記録の散逸により、調査が進んでいない。

 いくつかの資料を照らし合わせると、いくつかの理由はそれでも浮かんでくる。

 一つは食糧問題。もう一つは環境問題だ。

 食糧問題の解決策として、まず植物に対する遺伝子編集が行われた。生産量を向上させるのが最初の目的だったようだ。気候に収穫量が作用されないように、とか、様々な病気や害虫に負けないように、といったところだ。そのうちに、植物のそのものの性質さえも変えていくことになる。特定の栄養素が強化された野菜、ということらしい。それは現人類からすればサプリメントでも飲んでおけ、としか言えないが。

 植物に手が加えられると同時に、動物にも遺伝子編集は行われた。牛や豚、鶏、羊、様々な魚などが、全く自由に改良された。記録の上にしかないが、三倍体などとも言えない巨大な鶏がいたり、自分では歩けない牛を巨大な施設で育てたこともあるようだ。倫理などどこかの段階ですっ飛んだらしい。

 環境問題は、やはりまず、植生に対する改良からスタートした。温暖化を招いていた温室効果ガス対策として、極端な性質の植物が遺伝子編集から生み出され、それが砂漠や海面さえも覆った時代があったようだ。

 そんな全てが、西暦における二一〇〇年代から二二〇〇年台前半までに地球で行われていたことで、私たちは全く知らなかった。

 というのも、私たち「現人類」は二〇七〇年代に宇宙移民として地球を離れたからだ。

 この宇宙移民の計画は冷凍睡眠技術と宇宙開発の発展が相まって決行された計画で、移民たちは皆、志願者だった。何十年、あるいは百年以上の時間を眠り続け、場合によっては二度と目覚めないことさえも容認した人たち。

 今ではほとんど誰も口にしないが、現人類とは尊い自己犠牲の精神の持ち主ではない。地球で生活できないような事情の持ち主が大半だった。もちろん、身元や背景、思想などをチェックされたが。

 ともかく、現人類が宇宙を旅している間に、地球では異変が起こっていた。

 それは現人類によって「ゲノムハザード」と呼ばれている。

 度重なる遺伝子編集の結果が積み重なり、どこからともなく、動植物が暴走を始めた。

 無制限に植物が繁茂し、ほかの植物を制圧し、無制限に養分を吸い取った結果、そのうちに土地が枯れていく。海もまた海藻などに覆われ、海中の酸素が極端に奪われていき、水質も悪化する。同時に動物にも起こり、生態系の崩壊と同時に異常はそのまま人間たちにも波及した。

 最初は原因不明の感染症や疾病が蔓延し、次に遺伝病が出現する。身体の発達や成長の障害が激増した次に、人間離れした奇形児が生まれ始める。それが際限なく連鎖していく。また出生率が極端に下がったという記録もある。

 どうやら妊娠後の検査で生まれる子どもの状態を詳細に把握する技術もあったようだが、原人類はそれに対してさらなる遺伝子編集で対処しようとした。

 原人類は長い時間をかけて進化してきた自らを、自らの手で歪なものへと変貌させてしまった。

 もちろん、人類が自らの手で変質していく間にも地球環境も社会も激変している。

 ある時には遺伝子編集に異を唱える運動があり、ある時には遺伝子編集を積極的に行うことで環境問題や食料問題、何より社会問題の解消を図った運動が起こった。

 しかしいずれにせよ、人間社会の原理として、一足飛びに進歩はできず、進歩とは長い目で見なければ停滞と大差ないのである。

 結局、打開策を選択することはできず、地球の環境は人間の手に負えなくなり、飢餓が発生し、様々な国家や民族という枠組みが、ありとあらゆる口実をもって内戦状態に突入した。

 恐ろしいことに、一部の国家は人間への遺伝子編集で優秀な兵士を作り、それで軍隊を組織しさえしたようだ。そして、その兵士たちはやがて国家に背き、莫大な血が流れ、破壊の嵐が吹き荒れ、その国家は衰亡して存在しないも同然となった。

 ゲノムハザードがそうして人類の手を離れ、地球の動植物は野放図に、遺伝子のカオス的掛け合わせを数百年の間、繰り返した。その結果、地球は実に奇妙な惑星となった。

 今でも地球はおおよそが青い星として見える。ただそれは数百年前の記録写真と比べるとどこか濁っていた。

 現人類の一部は、今でも宇宙を旅している。移民船団の運営のための技術者は数世代を経ていることになる。それは同時に、移民たちの一部が死に、次の世代を生み、育てているということだ。

 どこにも辿り着かず、狭い宇宙船の中に一つの社会が形成されているのもまた、不自然といえば不自然かもしれない。

 いずれにせよ、現人類の一部が地球に帰還し、母星の惨状を目の当たりにした。

 まさしく無法地帯であり、原始的な世界と変じている地球に、現人類は困惑し、議論の結果、この惑星を再び人類の住む土地にすると決めた。

 西暦にして二二七七年、現人類の最初の一隊が地球へ降下した。

 そして地球の再征服を始めたのである。

 浄化作戦、とも呼ばれる。

 ある程度の結果が出た二二八七年に、現人類は西暦の使用をやめた。

 それ以降、解放歴が公式に使われている。

 ただし、地球は解放されていない。今は亜人類とも呼ばれる地球人類と無数の歪な動植物はほとんどそのままだった。

 しかしそんな存在は、現人類からすれば対応に苦慮するような対象ではなかった。

 駆除すべき害獣に過ぎないのだ。



(続く)

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