三分間、全てを背負って舞う少年の話

魚野れん

氷上の奉納

 セーレンには三分以内にやらなければならないことがあった。

 それは、おおよそ年に一度の頻度で行われる“奉納”である。三分ちょうど。それがセーレンに与えられた時間であった。



「この時代に、ナンセンスだよねぇ」

 重力装置を切って無重力を楽しんでいるベティが笑う。ナンセンスだと言われてムッとしたセーレンは、遠隔で重力装置のスイッチをオンにした。

「わぁっ!?」

 どだっと鈍い音を立てながら床と衝突したベティが「痛いじゃないか!」と文句を言うのを尻目に、セーレンは無言で部屋を出た。


 この宇宙船は生きている。人間という種族が生きることのできる環境を用意する代わりに、人間の正の感情を喰らうのだ。だが、人間とは、正の感情だけで生きているわけではない。当然、負の感情も生まれる。

 この負の感情を宇宙船は嫌う。故に、一定以上負の感情を宇宙船に与えると機能が停止してしまう。


 負の感情の許容量をオーバーする前にリセットする必要がある。その、リセットが“奉納”というわけだ。許容量がオーバーする少し前、宇宙船によって舞台が用意される。

 舞台の位置はいつも通りの場所。宇宙空間が見渡せるようになっているホールである。

 今回は、氷の舞台に靴が一足。その靴底には鋭利な刃が靴底に平行して固定されており、「それを履いて氷の上で何かしろ」と言っているかのようだった。


 宇宙船による準備が何を示しているのかを調査する役、靴の履ける人間を探す役、期限がいつまでなのかを確認する役、とそれぞれが己の役割を果たすべく動き出した。

 その結果、靴のサイズが合ったのがセーレンであり、この舞台が太古にスケートリンクと呼ばれたものを模したもので、おそらくここで踊れば良いのだろうということになったのだった。そして、今回の奉納を行うのはセーレンただ一人。

 一人での奉納は、久しぶりである。それだけに、セーレンの肩に責任という言葉が重くのしかかってきていた。


 期間は短く、訓練では間に合わない。当然の如く、セーレンはプログラムをインストールした。しかし、である。プログラムをインストールしたからといって、全くミスをせずに演目を終えることができるとは限らない。

 また、セーレンの演舞に対して周囲が興奮しなければ、それもまた失敗と見なされるだろう。


 この奉納、失敗すればどうなるか。


 宇宙船の意志により、ここで生きる人間の一部が消える。消えた人間が再び姿を現すことのないことから、おそらく宇宙船に吸収されてしまうのだろうというのが通説である。

 奉納に携わった者が消える時もあれば、そうでない時もある。今回は誰も消えることなく奉納が終われば良い。

 相手は宇宙船で、話の通じる相手ではない。とにかく、万時恙無く。セーレンは強く祈りながら、舞台に上がるしかないのだ。




 数日の準備期間の後、セーレンは舞台の上で住民たちの視線を浴びながら笑顔を振りまいていた。観客の中には、ベティの姿もある。しかし、彼女は不安そうに顔を曇らせている。


「ベティ、笑って。負の感情は困る」


 奉納直前の通信がこんな言葉になるとは。セーレンは一方通行に彼女へ通信し、スイッチを切った。

 三分間の曲が始まった。三分ちょうどで終わるように編集された太古の音楽らしい。音楽に合わせ、腕を動かす。一歩踏み出せば、すうっと前へ勝手に滑り出す。

 氷に穴を開けないように気をつけながら、セーレンは円を描くように滑る。腕はしなやかに、体幹はぶれないように、とめ、はねはしっかり。

 セーレンはプログラムの通りに体を動かしていった。

 セーレンには、どの動きになんと言う名前がつけられているのか分からない。だが、体を最大限使って大きく、しかし大雑把に見えないように指先一本まで制御した。

 セーレンの動きを、観衆の声援が後押しする。その声にこたえるようにセーレンは笑顔を向ける。


 一番難しいのは、ジャンプである。空中で回転するそれは、勇気がいる。練習中に一度転倒したが、あれはとても痛かった。転んでも体が滑ってしまい、立て直すのも難しい。

 一度それを経験してしまうと恐怖が先に立ってしまい、思うようにジャンプができなかった。

 しかし、そうは言っていられない。


 セーレンは覚悟を決めて踏み込んだ。ざり、靴が氷を傷つける音がする。怖くない。踏み込んだ足をバネに飛ぶ。回転の邪魔にならないよう、両腕をきっちりと胸の前にたたみ、足を揃える。

 着氷まであっという間だった。着氷の衝撃を生かして足を上げ、腕を開いてバランスを取る。うまくいった。

 あとはこの調子で滑り抜くだけだ。


 セーレンは残った数十秒、無心で乗り切った。


 曲の終わりと共に、セーレンの動きが止まる。観客の声援が歓声へと変わる。不思議と不安はなかった。

 やり切った。そうセーレンが小さな笑みを浮かべた瞬間。

 セーレンの視界は暗転した。ああ、失敗したのだ。セーレンは覚る。

 他に誰も巻き込まれずに済めばいい。そう思いながらセーレンは意識を手放した。

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三分間、全てを背負って舞う少年の話 魚野れん @elfhame_Wallen

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