「寿限無」でやめなかった話

清水らくは

「寿限無」でやめなかった話

 小学生の時に「得意なもの発表会」があり、私は意気揚々と本の朗読をしたのだが、先生に「何言ってるかわからん」と言われて相当へこんだ。ただ発表会をやり過ごすだけならば多人数の発表も可なので、みんなで合唱とかが無難だ。明らかに口パクの人もいた。それで注意される者もいないのに、なぜ私はひどい評価をされたのか。私は憤慨した。

 そして、私は皆がしないものに挑みたかった。ひねくれ者だったのである。

 当時の私は、ラジオをよく聴いていた。プロ野球の中継を聴くためである。そしてその時間は、月曜日や雨の日、オフシーズンには歌謡曲の番組になる。歌謡曲に目覚める……のではなく、ラジオDJに興味を持った。担当しているのは落語家が多く、次第に落語に興味を持っていった。落語をよく聴くようになり、ある日、「寿限無が言えるようになっている」ことに気が付いた。

 これだ! 私は「得意なもの発表会」で、落語を発表すると決め、練習に励んだ。本番では受けた。「寿限無」は偉大である。名前を言うだけで毎回受けるのである。

 しかしここでやめないのがまずかった。別の噺でも挑戦したくなったのである。「千両みかん」はちょっと受けた。しかし明らかに「寿限無」よりも受けるレベルが落ちている。当然だ、私はちゃんと修業したわけでないし、小学生にはあまりなじみのない世界観である。語感ではなく話の中身で笑わせるのは大変だし、身振り手振り、間の取り方などはそもそもあまりよくわかっていない。

 意地になった私は、どんどんマイナーな作品を演じていった、もう、クスリしてもらえないことがあった。それはそうだ、そもそもど素人の演芸が受けるのがおかしかったのだ。心が折れる。「寿限無」だけをやっておけばよかったのだ……

 私にとって落語は、演じるものではなく聴くものになった。まあ、それが普通だ。大人になった今ならわかる。そ私は、本の朗読を続けるべきだった。好きならば、得意なものにしていけばよかったのだ。

 大人になって詩を詠むようになり、そのたびに小学生の私が本の朗読を辞めたこと、落語でスベッたことを思い出す。そういえばこれは、今日まで誰にも言わなかった私の「黒歴史」である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「寿限無」でやめなかった話 清水らくは @shimizurakuha

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画