お茶の時間

入江 涼子

第1話

 あたしは紅茶を三分以内に淹れないといけない。


 それは、幼い頃からの習慣だ。祖母が凄く紅茶が好きな人で厳しく淹れる方法を叩き込まれた。だからか、お湯さえ沸いていれば、手早くできるようになっている。

 今日も遊びに来た友人の透子に紅茶を淹れてあげた。

 まず、沸かしたお湯でカップを温める。温まったら、お湯を捨てて。ティーパックを手早く、箱から出す。それをカップに投入して、お湯を再度注いだ。陶器製の蓋をして、約一分蒸らした。

 タイマーで時間を計りながら、お砂糖や牛乳を用意する。ピピッとタイマーが鳴り、蓋を開けた。ふわりと湯気が揺蕩う。あたしはお砂糖を入れ、牛乳を適量加えた。ティースプーンでかき混ぜて。壁の掛け時計を見たら、約三分近くが経っていた。よし、今日もできたわ。小さくガッツポーズをして、お盆に載せた。リビングに向かうのだった。


「あ、いつも悪いわね。紅子」


「うん、まあ。あたしが好きでしているから。気にしないで」


「ははっ、紅子の淹れるミルクティーは絶品だしねえ」


 あたしは答える代わりに、透子にミルクティーが並々と入ったカップを置いてあげた。自分のも同じようにしたら、テーブルの前に座る。


「それにしても、紅子。あんたさ、いつになったら彼氏ができるの」


「……藪から棒に何?」


「もう、私もあんたも三十を越してんのよ。私には旦那がいるから、いいとしても。紅子はまだ、独身だしね」


「うーむ、考えてはいるよ。けど、出逢いがないしさ」


「んなもん、あんたが積極的に行かなきゃ。でないと、いつの間にか婆ちゃんよ。今の内に彼氏くらいはいてもいいんじゃない?」


 あたしは言葉に詰まる。透子の言葉はそのものズバリだ。けど、あたしには友人が少ないしなあ。


「……うん、ならさ。透子が紹介してよ。旦那さんの知り合いとかにはいないの?」


「……あんたもなかなか、言うわね。まあ、いない事もないわよ。旦那がどう言うかは、分からないけど」


「じゃあ、旦那さんに相談してみて。あたしが彼氏を欲しがっているってさ」


「分かった、その代わり。期待はしないでよ?」


「それでもいいよ、待ってるから」


 渋々ではあったが、透子は了承してくれた。あたしは頷いたのだった。


 あれから、三日後に透子から連絡があった。何と、旦那さんがあたしに友人の男性を紹介すると言ってくれたのだ。ちなみに、旦那さんは名前を勇輔さんという。男性は勇輔さんの会社の同僚らしく、あたしより二、三歳は上らしいのだが。

 名前は伊東さんという。その伊東さんとは翌日の昼頃に会う事になった。あたしは大慌てでよそ行きのワンピースやパンプス、アクセサリーなどを準備したのだった。


 翌日、朝早くに起きて身支度をいつもより、念入りにする。まず、歯磨きなども丁寧にして。普段は少量しか使わないお化粧水をたくさん使ったり、美容液や乳液、クリームなども塗り込んだ。そうしてから、淡いオレンジ色の長袖でひざ丈のワンピースを着る。上に、同系色のカーディガンを羽織った。 

 メイクも時間を掛け、念入りにした。まあ、濃すぎない程度にはしたが。最後にヘアセットもする。寝癖直しウォーターを掛け、ムースで型を決めたら。最後にヘアワックスで固定した。ふんわりと香水も掛けたら、何とか見られるようにはなる。よーし、いざ出陣だ!

 あたしはブランド物のショルダーバッグを片手にパンプスを履いた。自宅を出たのだった。


 待ち合わせ場所までは徒歩で五分程だ。既に、透子と勇輔さん、見知らぬ男性の三人組が待っていた。


「……ごめん、遅れたかな?」


「ううん、そんな事はないよ。あ、紅子。紹介するね、こちらが勇輔の友達で伊東さんよ」


「初めまして、大野紅子と申します」


「……はい、初めまして。俺は伊東俊哉と申します。以後、お見知り置きを」


 あたしが自己紹介を簡単にすると、伊東さんは丁寧に名乗る。うう、我ながら人見知りなのが情けない。


「じゃあ、近くにカフェもあるし。そっちに行こうか」


「うん、そうしよう。行こ、紅子。それに伊東さん」


「ああ、春中はるなか。大野さんも」


「は、はい」


 あたしは頷いて、三人に付いて行った。伊東さんが心配そうにこちらを見たのには、気づかなかった。


 カフェで適当に、飲み物を頼んだ。ちなみに、勇輔さんや透子、伊東さんはホットコーヒー、あたしはレモンティーで。一人だけ、紅茶だから浮いていないか。ちょっと、内心では気になっていた。けど、さり気なく透子はフォローしてくれたし。伊東さんも気遣ってくれた。勇輔さんは元が大らかだから、気にしていないようだ。


「ねえ、勇輔。私達、そろそろ別行動にしない?」


「そうだな、いいか。伊東」


「構わないよ」


「じゃあ、決まりだね。コーヒー飲んだら、私は勇輔と一緒に行動するからさ。紅子は伊東さんと一緒にいてね?」


「……分かった」


 あたしが言うと、透子は小さく頷いた。同じようにすると、コーヒーを口に含んだのだった。


 レモンティーを飲み終えると、本当に透子は勇輔さんと二人で行ってしまう。あたしは伊東さんと二人きりになる。ちょっと、気まずい。


「あの、伊東さん。そろそろ、カフェを出ましょうか」


「そうですね、出ましょうか」


 伊東さんが頷いたので、あたしは立ち上がった。彼も同じようにする。レジに行き、お会計を済ませようとした。けど、伊東さんが止めてくる。


「……あの、支払いは俺がします」


「え、あの?!」


「まあ、これも何かの縁ですから」


 伊東さんはそう言って、レジ台に立つ店員さんに財布を示す。


「あの、支払いを一緒にしますので」


「……はい、では。お会計は九百五十円になります」


「じゃあ、これで」


「九百五十円、丁度ですね。では、レシートはこちらになります」


 伊東さんはレシートを受け取ると、そのまま仕舞い込んでしまう。仕方なく、一緒にカフェを出たのだった。


 ……いや、あたしは奢ってもらったのか。しかも、三十七歳にしてだ。ちょっと、軽くショックではある。けど、お礼は言わないと。


「あの、さっきはありがとうございました」


「ん、これくらいは当たり前だから。気にしなくていいですよ」


「……はあ」


 あたしはちょっと、居心地が悪くなった。また、会う機会があったら。お礼返しをしないとなあ。そう思いながら、伊東さんと雑踏の中を歩いたのだった。


 伊東さんと二人で、あたしはスーパーに立ち寄る。お礼返しと考えて思いついたのが手料理をご馳走する事だった。大した事はできないが。


「伊東さん、今日はあたしん家に寄って行きませんか?」


「え、いいんですか?」


「あの、カフェでご馳走になりましたし。お礼返しはしたいと思いまして」


 それを言うと、伊東さんは目を見開いた。心なしか、固まってもいる。


「……え、あの?」


「……マジか、大野さんて料理できるんですか?」


「はい、それなりにはですけど」


「へえ、じゃあ。だし巻き卵とかお願いしても?」


「うーん、だし巻き卵なら作れます。お味噌汁も付けましょうか?」


 あたしがさらに言うと、伊東さんは相好を崩した。


「ハハッ、大野さんって家庭的なんですね。イマドキ、珍しいですよ」


「はあ、それはどうも。あ、買い物を済ませますから。伊東さんは入口で待っててもらえますか?」


「……いや、俺も付いて行きますよ。荷物持ちくらいはさせてください」


 あたしは頷くと、買い物カゴを取りに行く。カートは伊東さんが引いて来てくれた。二人で買い物に行ったのだった。


 レジにて、精算を済ませて。材料やら、缶ビールやらをナイロン袋に詰め込んだ。合計して二袋あるが。さて、両手に提げようとした。伊東さんは先にナイロン袋を取り、スタスタ歩き出す。


「伊東さん?」


「……もう、暗いですから。早く帰りましょう」


 あたしは頷くと、また渋々付いて行った。


 自宅に帰り着くと、玄関の鍵を開ける。ドアを開けて伊東さんが入りやすいように、広めにした。伊東さんは「ありがとう」と言って、ナイロン袋二つをドサリと上り口に置いてくれる。


「……本当に何から何まですみません。すぐに、仕度をしますね」


「はい」


 あたしはパンプスを脱ぐと、ショルダーバッグを置きにリビングまで行った。置いたら、リビングや台所などの明かりをつけに行く。小走りで玄関に戻り、伊東さんに声を掛けた。


「伊東さん、玄関にいるのも何ですから。上がってください」


「はい、お邪魔します」


 頷いて、彼は靴を脱いで上がる。キョロキョロと辺りを見回す。あたしは急いで、台所に行った。手を洗い、エプロンを着ける。玄関に行き、ナイロン袋を一つ持った。気がついた伊東さんはもう一つを持つ。二人で行ったが。台所にたどり着くと、あたしは手早く一つ一つを出す。冷蔵庫の扉を明けて、入れていった。缶ビールやおつまみはテーブルに置き、一通りできたら。卵や調味料、お味噌などを出した。炊飯器も見て、昼間にお米を炊いていたのを思い出す。ほっとしながら、調理を始めたのだった。


 卵を三個割り、ボウルに入れる。菜箸で溶いてから、調味料を入れた。また、混ぜて。卵焼き器を火に掛ける。油を薄く引いて卵液を少量、入れた。菜箸でくるくると巻きながら、何回かそれを繰り返した。ある程度、巻いたら。まな板に置いた。再度、卵をボウルに割り入れ、調味料を入れて。同じように焼いた。


 お味噌汁も具材をワカメとお豆腐にして。手早く作った。ご飯もお碗によそって、テーブルに置いていく。


「おお、ちゃんと手作りだ」


「こんなのしか、出せませんけど。召し上がってください」


「いや、夕食をご馳走になれるだけで十分ですよ。ありがとうございます」


 伊東さんは笑顔で言った。お箸を手渡すと、受け取ってくれる。


「いただきます!」


 手を合わせると、だし巻き卵から食べ始めた。ちょっと、目を開いたが。その後は黙々と食事を進める。あたしも椅子に座り、手を合わせてから食事を始めた。うん、いつものだし巻きね。そう思いながら、ちびちびと食べた。


 伊東さんは二十分としない内に食事を終えた。あたしは後少しだが。


「ご馳走様でした、いやあ。大野さん、本当に美味かったですよ。また、食べに来てもいいですか?」


「……はあ、いいですけど」


「うっしゃあ、あの。初対面ではありますけど。紅子さんって呼んでもいいですか?」


「いいですよ、あたしも俊哉さんと呼ばせてもらいますね」


「よし、決まりですね。じゃあ、そろそろ帰ります」


 伊東さんもとい、俊哉さんは軽く頭を下げながら言った。あたしはエプロンを外す。頷いて、玄関に二人で向かったのだった。


 その後、俊哉さんを見送る。彼は「また、明日!」と言ってスタスタと帰って行く。あたしはしばらく、その場に立ち尽くした。


 あれから、毎日俊哉さんはあたしの家を訪れるようになった。夕食目当てにだが。そんな日々が半年程は続いたか。俊哉さんから、「あの、紅子さんの事が好きです」と告白されたのは半年目の真夏の夕方だった。あたしはもちろん、OKする。俊哉さんとめでたく恋人同士になった。


 さらに、一年後にあたしは俊哉さんと結婚した。三十八歳の初秋にだが。自宅にて、彼と一緒に暮らした。

 現在、あたしはおめでたになっている。たぶん、男の子かなとは思う。


「ただいま、紅子」


「お帰り」


 俊哉さんは靴を脱いで上がる。すぐにあたしの元にやってきて、お腹を優しく撫でた。


「……ん、だいぶ大きくなってきたな」


「うん、もう妊娠七ヶ月だしね」


「そっか、紅子。無理はしないでくれよ」


 あたしは頷いた。俊哉さんは軽く、抱きしめて来たのだった。


 ――END――

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