サクラ

鷹橋

本編

 この男には三分以内にやらなければならないことがあった。

 というか、今現在進行形で続けてもいる。

 周りの同い年くらいの人たちは、まじめにテスト用紙を上から見ている。カリカリとした鉛筆の音を響かせている。

 すでに終わったのか、違う意味で終わってしまい諦めたのか、突っ伏して船を漕いでいる人もちらほらいる。

 この男がどうしてこんなに焦っているのかというと、三分後にMなんたらとかいう巨人の住む星に帰れ、と胸のアラームが知らせているわけでもない。

 ——シンプルに時間が足りないのだ。

 彼は、前日に気合いを入れてエナジードリンクを三本空にして完徹したあとに、今朝に眠いからと追加で二本おかわりしたのだ。

 エナジードリンクには、カフェインが含まれており、そのため眠気も吹き飛ぶ。

 カフェインには、利尿作用もあるのは言わずもがな。

 ……猛烈な眠気も迫っているのに、膀胱も決壊寸前なのだ。

 これですべての試験は終わるといえ、このままでは、もう一年勉強を余儀なくされる。

 つまるところ、浪人確定。星にも自宅にも帰りたいわけだ。

(あと一問)

 彼は必死に問題に目をやる。

 膀胱が言うことを聞かない。しかし、制限時間もある。その締め切りを破ると、華のキャンパスライフも遠のく。少なくとも一年は。

 往々にして英語という科目は、残酷である。

 (こんなときに、野生のバッファローの話題かよ)

 バッファローなら、日本にはいなさそうなものだ。

 飼育するにも許可も要るだろう。そんなのが普通に出てくるのが大学入試、なのか?

(すべてを破壊? いや頼むからしないでくれ!)

 彼の頭の中では、冷静に日本語に訳せてはいる。その設問は、問題文でさえも全部英語表記だった。翻訳をするだけでも彼の膀胱と頭は悲鳴を上げる。

 話題が、哲学みたいな抽象的にあいまいなものだったら、ふんふんとは言わないにしても、難なくこなせていたかもしれない。

(残り一分、やば)

 彼は思わず、過去を振り返る。

 いわゆる死亡フラグでもあるが、過去問対策をしたときのことだ。

(ここの問題の回答は、最後は『2』、なことが多い)

 傾向と対策は大切だ。

 ただ、同じ問題もそんなには出ない。

 回答についても『2』が多かった傾向があるだけである。

 最後の力は振り絞る。

 ……膀胱は、手で抑える。

「はい。時間です。やめて」

 彼の額からは、だらだらと汗が滴る。気持ち少しだけ体も震えている。

「回答用紙だけ集めます。問題〜」

 ここ一カ月で何度も聞いたテンプレの試験監督の言葉も頭には入らない。

(トイレどこどこ)

 彼の頭の中はこれだけで埋め尽くされている。

 バッファローの大軍が頭から出ていってくれないくらいには、先の設問にやられていた。

「じゃあ、気をつけて帰ってね」

 解散の知らせを伝えられて、彼は自分の荷物に目もくれず、講義室から飛び出す。

 廊下は歩こう。

 ——サクラ咲け。そして散るな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

サクラ 鷹橋 @whiterlycoris

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説