寡婦と孤児

赤スグリ

寡婦と孤児

 風が吹き抜ける。黒い制服の袖を揺らし、飯田とは違う草花の匂いと気配に三男治は静かに息を吐いた。あの頃とは何もかもが変わってしまった、時勢も自分も。

 遠くに子ども遊ぶ声が聞こえ、幼いその声にかすかに眉が動く。自分と十も違わない。そんな子どもたちが夢中になって遊ぶすごろくやめんこには暗い戦争が影を落とす。

「もうすぐ完成か」

 背後からかけられた聞き慣れた声に三男治は腕を動かしたまま無言で頷いた。

「神苑会の嘱託の仕事は」

「ああ、順調だよ」

 からりと笑ってそう言う秀麿に、三男治は本人同様明るかった昨年の彼の卒業制作を思い出す。

 人の興味を惹き、同級や師の顔を描きこんだこれからの希望に満ちた秀麿の絵。頭に思い浮かぶその絵の明るさが余計に視線の先にある自身の絵の異質さを強調したようだった。

(秀麿と自分はまるで正反対だ)

火と氷などという新聞連載小説のような気障なことを言うつもりはないが、そんな気はあるのは確かだった。

「この絵はきっと議論を呼ぶだろうな」

 秀麿の言葉にこくりと頷く。絵の表現法だけではない。題材も意志も見るものが見ればわかるだろう。これを若さだと言い切ればそれまでだが、事実書き途中のこれを見て反戦論者だと官に思われないかと顔を歪める者もいた。

(けど、この手は止められず、止める気もなかった)

 最初は平重衡の南都焼き討ちを描く予定だったし、そのために兄に金を借りてまで京と奈良へ行った。

 だが、この痛々しいばかりの昂揚が満ちる情勢で描かずにはいられなかった。

 この絵を見る人が見れば気づく、この寡婦と孤児は。

 息を吐いて、一度遠目で眺める。

 戦いや以前描いたような武者の姿ではなく、奈良で見たような立派な寺でもない。壊れかけた家で、死んだことを示唆するような甲冑。あどけない孤児を抱く女性の姿。

「……これは、高揚と共にある真実だ」

 横目で秀麿を見ると、彼は考えるように腕を組んだ。

 今朝の新聞にも載っていた戦争の状況。こんなにも犠牲者が出た理由は無知が原因だ。だが、そんなことはまだ誰も知るよしもない。

 描いた寡婦のように途方に暮れ、どうしようもなく、だがこの腕に抱えるものが愛しく離せない。悲しみも自分のものではなくなるような静かな叫びがそこにある。

「空気がいい。見えるようだ」

 ぼそりと口を開いた秀麿に三男治は顔を上げる。彼には何も言わずとも伝わるものがあった。表現した心を自然と汲み取るような。

「……ああ」

 仕上げをするために取った筆がかたりと音を立てた。

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寡婦と孤児 赤スグリ @glasperle

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