第19話

 先生は早速その日、稽古を終えられると興国映画社一階の試写室に向かわれました。午後五時前でした。中村さんと言う古参の社員が、老武者のように試写室の番をしておりました。試写室には資料室も併設されていました。興国映画以外のフィルム資料もたくさんありました。中村さんはそれを全部把握していました。中村さんは五十を過ぎておりました。その指先は、煙草のヤニで茶色くなっていました。若い頃、カツキチと揶揄された熱狂的な活動映画ファンだったと聞いております。カツキチが高じて興国映画に入社したらしいのです。映画の生き辞典でした。試写の英語『Preview』を捩られて、プレさんと呼ばれていました。

 先生が試写室の扉をノックされると、プレさんがベレー帽を乗せた顔をヌッと覗かせました。

「来たなぁ」とニヤリと笑ったプレさんは自身の聖域である試写室に、先生を招き入れました。

「あんた、また映画に出るらしいなぁ」

プレさんは流石に耳が早いとビックリなさりました。

「聞いとる、聞いとるでぇ。映画をぎょうさん観て、勉強せえって言う専務の命令なんやろ」

「命令なんて、されてないわ」

先生は唇を尖らせられておっしゃいました。事実、命令などされていませんでした。

「まあ、ええがなぁ。そや、そや。ええ映画を観るのが一番ええ。役者の学校をうろうろしとっても、上達せえへんがなぁ。一流のもん目に焼き付けるのが一番の近道や、なぁ」

テレビなどなかった当時、役者の演技を楽しむためには、劇場か映画館に行かなければ叶いませんでした。それを試写室で、好きなだけ自由に鑑賞できる事は、夢のような贅沢でした。

「プレさん。何か参考になる映画ってある?」

「せやなぁ……、女優の勉強のためやったら、女形を観るのがええやろなぁ。まあ、あっこへ座っとり。ええの観せたる」とプレさんは、臙脂のビロード張りの椅子をヤニで汚れた指でさしました。

 写された映画は、新派の女形上がりの衣森(きぬもり)貞之丞監督作品『十三夜』でした。主役は、関西歌舞伎の立女形(たておやま)中村畑之助。彼の若かりし頃の映画と言うより、古い活動写真でした。白塗りの厚化粧に、ぜんまい仕掛のような動き。無声映画。先生が苦手とする部類でした。主演のお力を演じる中村畑之助が男であると思うと、ゾッとなさいました。しかしやがて、やがて観続けられているうちに、樋口一葉の筆の力でぐいぐい物語の世界に入り込んで行かれました。と同時に、中村畑之助の繊細な演技に、引き込まれてしまわれました。学ばなければと先生は気負っていらっしゃいました。ですから先生は、ノホホンと映画をご鑑賞なさってはいらっしゃいませんでした。鵜の目鷹の目。真剣そのものでございました。この主役は、作られた女。しかし現実の女以上の女。先生は冷静に中村畑之助の演技を分析なさいました。目の媚びの凄惨、指の曲げ方腰の捻り方の優美。首の呼吸、動作の間合い。お目から鱗が落ちる衝撃を感じられました。そこには新鮮がありました。そして、リアリズムだけを信奉していたご自身の愚をお悟りになられました。

 次にプレさんが観せてくれたのは、溝呂木健也監督作品『京の悲歌』でした。主演は大スター鈴風(すずかぜ)五月(さつき)でした。現代劇。いいところのお嬢さんが妾に堕ちていく、典型的な貴種流離譚。プレさんが一押しした鈴風五月の演技の素晴らしさ。それはリアリズムへの執着、迫真、気迫、気合、根性。ここまでのリアリズムも、やはり新鮮でした。そしてそこへ天から授かった鈴風五月の才能が、リアリズムの花の上で揚羽蝶の貫禄を見せていました。カメラに語る言葉は甘く、カメラに投げる視線は熱く、カメラに向ける指先は、その指先は銀幕を飛び出し、先生のお胸に突き刺さりました。先生はぐったりとして鈴風五月の映画を観終わられました。

「プレさん、鈴風五月って凄い女優ね」

「ああ、凄いでぇ。大阪の女優や。うまい。何やらかしてもええ」

「何を演ってもいいの?」

「ええ。あんたも、あんな役者にならんとあかんなぁ。あんたは、別嬪やしなぁ」

「またぁ……」

「どうせやったら、別嬪だけのお人形で終わったらあかん。ええ役者にならんとなぁ。先生と呼ばれるようにならへんとなぁ。鈴風五月がウチの会社に居ったら、岡庭のおばちゃん、『鈴風五月先生』って呼びはるやろなぁ」

「岡庭のおばちゃん?」

「あんた、知らんのかいな、岡庭のおばちゃんを」

先生は口を尖らせられ頷かれました。

「食堂で味噌汁ついどるオバハン知らんのかいな?」

「ああ、あの人のこと。知っているわよ」

食堂で先生が気付かれれば、いつも蛭(ひる)のような視線を貼り付けてくる、初老の婦人を思い出されました。

「ウチの役者で先生って呼ばれてはんのは、理事の吹雪貫太郎、それと月(つき)成(なり)半蔵、瀬川一郎だけや。この三人だけが、岡庭のおばちゃんに先生と呼ばれとる。あのオバハンが一流と認めた役者だけが、先生と呼ばれてはんのや」

「そうなの……」

「女優には厳しいオバハンでな、何でも川上貞奴の劇団におったらしいんや。川上先生以外に一流の女優はおらへんってな、ウチの看板の栗崎その子も先生と呼ばれてへん。何でもパリやロンドンで、舞台に立った事があったそうや。先代の時から、ウチの会社におって、社長も頭上がらへんのや」

「そうなの……」

先生は『岡庭のおばちゃん』の事は軽く流され、時計にお目を向けられました。午後八時になっておりました。

「プレさん。今日は遅いから、これで帰るけど、もっといっぱい映画観せてね」先生は腰掛に置いてあったバッグをお手にされました。

「ええでぇ。色んな役者がおる。スターになっとるもんもぎょうさんおるが、芝居が上手いとは言えんのも多い。まあ、いろんなん観たら分かるようになるわぁ」

 実際プレさんは、いろいろな映画を観せてくれました。簪のビラビラが額に踊る姫君。お歯黒に眉を落した商家のご内儀。洗い髪を襟足に貼り付かせた囲い者。出刃包丁を咥えた毒婦。舞踏会でドレスの裾を持ち上げる貴婦人。片目片腕を失った浪人。軍配を掲げる戦国大名。纏いを振る火消し。十手を握る岡っ引き。蝦蟇蛙に乗った忍術使い。往年の大スター、栗崎その子、夏樹静子、田山嘉子、鳥羽直子、中村妻次郎、坂東彦左衛門。ベテランの、田山絹子、雷鳴(らいめい)朝子、片山百蔵、吹雪貫太郎、摂津傳五郎 月成半蔵、瀬川一郎。注目の新人、峰美枝子、浜勢津子。満州のスター王(おう)眉(び)香(しゃん)。グレタ・ガルボ、マレーネ・ディートリッヒ、メアリー・ピックフォード、ベティ・ディヴィス、グロリア・スワンソン。そして、彼ら彼女らの演じた架空の人生をお目でご体験なさったら、先生ご自身が一皮お剥けになられて、人としても、何と申し上げればいいのか、ご成長なさったようで……。特に恋愛映画には、お年ごろのせいか、色めくものもおありでした。それはさておき、先生のお脳の中で、お芝居の訓練が相当な早さで進んでおりました。なる程、養成所で手足をばたつかせるより、映画鑑賞はよっぽどお利口な勉強でございました。  

 先生はまた女学校が終わった夕方から、あるいは休日、劇場へまめにおみ足をお運びになられました。誠蔵専務の口添えは、竹林興行株式会社傘下の津々浦々の劇場に行き渡っておりました。入口で例の名刺をお示しされれば「伺っております」と恭しく、特等席に案内されるのが常でした。

様々なお芝居をご覧になりました。歌舞伎、新派、少女歌劇。中村歌左衛門、中村若(じゃく)衛門(えもん)、喜多山碧(へき)水(すい)、花柳仙太郎、沢村橘(たちばな)、水上重美子、市川秋子、江崎たみ子。特等席の先生のお目の真ん前で演じる役者たち。生の演技は誤魔化しが効かないもの。当然、女形には興味津々でございました。映画で、作為の女の衝撃をお受けになっていらっしゃったからでございます。女が男に化ける少女歌劇には、甘さや狡さがありました。しかしその逆は、芝居の極限への挑戦がありました。そして、専務の名刺の裏に走り書きされていた『あら探しが肝心』は、生の舞台を前にすると、ズシリとお腹(なか)に響きました。あらはいたるところにありました。舞台の大道具小道具、鳴り物、照明。最初はあらを意識して見つけられていたのですが、そのうちにあらのほうから先生のお目に飛び込んで来るようになりました。当然、あらは役者にもありました。台詞の無い脇役者の所作。それ以上に台詞のある役者の宙ぶらりんの手。稽古勉強不足から滲み出る拙さ。いや、稽古勉強以前の問題としての天性有無。あら、あら、あら。あらばかりでございました。あらが見えてくると、その中に本物がギラリと光って見えました。それは尽きぬ真砂に、一粒の砂金が輝くようなものでした。その一粒の砂金を丁寧に掴み上げ、上から下から斜めから、じっと観察されておりますと、本物とは何か、何が肝になって本物になるのか、ホホホッ……、先生はまだお若かったので、あまり多くを期待なさらないでくださいませ。まあ、重い緞帳の向こうにある本物を、そっと覗いたぐらいのものです。ただ、何となくでございますが、本物の核心がお分かりになったように、お感じになっていらっしゃいました。本物のために汲み上げなければならない仕草、本物のために捨てなければならない動き。それは確かにございました。声だってそうです。美人だから美しい声だけでは駄目。声は一種類ではお客様に飽きられる。七色の声を七通りに扱(あつか)えて、四十九通りで一人前。息の音で、人を感心させれば本物。かと言って、過剰に縋るのは駄目。必要な声音を必要な場面で、必要最小限にチラッと絞り出さなければ人を惹きつけられない。難しい事でございますが、先生は何となくお悟りになりました。そして、上手い役者のいいところも。下手な役者の拙いところも、すべて材料とお胸に仕舞われ、さてお一人になれば、お部屋の姫鏡台、あるいはお店の等身大の鏡の前に、仕舞われた材料を並べ出され、『あそこが良かった』『あんな表情はどうやったら……』などと真似られ、真似られて違うと首を振られ、あるいは得心して頷かれ、それを繰り返され、また繰り返され、それがもう、お楽しみのお一つになっていらっしゃいました。

映画『弟』の撮影の一週間前、例によって試写室をお訪ねになった先生にプレさんが言いました。

「あんた、この頃目の色が変わたんちゃあうかぁ?」。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る