第17話

 昭和十六年十二月八日になりました。その朝の7時前に、

「大本営陸海軍部午前六時発表―帝国陸海軍は本日八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり」とラジオが臨時ニュースを流しました。月曜日でございました、先生とお母様は卓袱台を挟んで、朝ご飯をお召し上がりでした。お母様は、左手に茶碗、右手にご飯粒の乗った箸を構えられたまま、固まっていらっしゃいました。

「お母さん」

お母様にご返事はありませんでした。

「お母さん」

先生は少しあきれ返って、もう一度お声をかけられました。お母様はそのお声にハッとなさって、

「とうとうアメリカと戦争してしまったのね」とおっしゃいました。

先生は唇を結ばれて頷かれました。

「大丈夫かしら?」心配性のお母様は呟くようにおっしゃいました。

「大丈夫よ」と先生は答えられましたが、その後、「勝てるわ」と言うべきか、「なんとかなるわ」と続けるべきか、ご自身もはっきりなさっていませんでした。

先生は、毎日毎日、明けても暮れても、大日本帝国の尊さ強さを吹き込まれていらっしゃいました。愛国心と言う酵母で脳ミソは発酵していらっしゃいました。ヒロイズムとナルシシズムの発酵臭がしていました。先生はそれだけで充分なのでした。尊さや強さの証明などいらぬものでした。むしろ正体を暴かれて鬼や蛇が出てくるぐらいなら、大日本帝国の尊さや強さは、靄の内にボヤッとさせておいた方がいいと思っていらっしゃいました。先生は戦争などには興味なかったのでございます。戦争は海を渡った先の大陸で行われていました。先生にとりましても対岸の火事でした。それも比較的、日本が有利でした。内地には戦争の現実感はありませんでした。物資不足もまだ深刻ではございませんでした。昭和十六年十二月頃日本人の中には、特に女性には、戦争に興味のある人は少なかったと思います。何度でも申し上げます。女には、召集はございませんでしたし……。

なぜ米英と戦争をするようになったのか。いろいろなお説がございます。また聞きではございますが、数あるお説の中のひとつをお話し、衣都子先生の時代を感じていただければ幸甚でございます。

 日本は中国と戦争をしておりました。世界第一位の工業国となっていたアメリカは、市場としての中国に強い関心がありました。ですから、中国への日本の侵攻を快く思っておりませんでした。アメリカは重慶の蒋介石を援助しました。援助は、前述しました援蒋ルートを介して行われました。攻めても攻めても重慶が落ちないのはこのためでした。援蒋ルートは、仏領インドシナとビルマにありました。特に仏領インドシナのルートは規模が大きなものでした。昭和十五年六月フランスはドイツに降伏しました。その頃、日本は日独伊防共協定などでドイツに近づいておりました。そのドイツの後ろ盾もあり、日本は北部仏領インドシナへ難なく進駐出来ました。そして、援蒋ルートを閉鎖いたしました。遡ること半年前の昭和十五年一月に、日米通商航海条約が失効しておりました。アメリカは日本とのしがらみがなくなっておりました。そこでアメリカは北部仏領インドシナ進駐への報復処置として、昭和十五年八月に航空機用ガソリン、九月にくず鉄の対日禁輸を断行しました。日本は資源のない国でした。しかし中国との戦いを続けるためには石油が必要でした。当時、日本は石油の75.8%をアメリカに頼っていました。これ以上、アメリカとの関係が悪化すれば石油の供給が止まり、日本が干上がる可能性がありました。

昭和十六年四月、アメリカとの関係改善の話し合いが始まりました。日米交渉と呼ばれているものです。日本は、石油問題の解決と泥沼化した日中関係の仲介をアメリカに期待していました。同時に日本を侮らせないためソ連と中立条約を結びました。ヨーロッパ・大西洋に眼が向いていたローズベルト大統領は、対日戦は回避したいとも思っていました。諒解案や暫定協定案などで歩み寄りもありました。しかし各方面の思惑や蒋介石の干渉も入り、日米交渉は難航いたしました。進展のない交渉に痺れを切らしたのは日本でした。石油への不安で堪(こら)え性がすり減っていました。日本は北部仏領インドシナまで軍を進めておりました。中東の開発が進んでいなかった当時、世界第二位の石油産出量を誇ったインドネシアまでもう一歩の距離でした。そして昭和十六年七月、とうとう南部仏領インドシナへ進駐を始めました。進駐の大義名分は治安維持でした。中国との戦いが終わり次第撤退すると公言しておりました。時計を少し巻き戻し、昭和十六年六月二十二日に、世界を驚天動地させた事件が発生しておりました。ドイツがソ連に侵攻したのです。この大事件のどさくさで、欧米各国は南進を看過するだろうと日本は高をくくっておりました。しかし南部仏領インドシナは、アメリカ・イギリス・オランダの植民地の喉元でした。あたかも喉笛を切ろうとする軍事拠点を、日本が作ろうとしているように見えました。アメリカ・イギリス・オランダは、日本の資産を凍結しました。日本経済は大打撃を受けました。昭和十六年八月、追い打ちをかけるようにアメリカ・オランダが石油の全面禁輸を断行しました。近衛首相はローズベルト大統領との太平洋上会談を希望しました。ローズベルト大統領も乗る気であったとも伝えられています。しかし他方面からの妨害もあり、最終的にアメリカ側が拒否してきました。丁度その頃、ローズベルト大統領とチャーチル首相が前述しております大西洋上での首脳会談を行いました。チャーチル首相はアメリカのヨーロッパへの参戦を切に希望しました。『大西洋第一主義』のローズベルト大統領はナチス・ドイツの動きを警戒しておりました。そのナチス・ドイツと日本は三国軍事同盟を結んでおりました。日本がアメリカに戦争を仕かけてくれば、アメリカはドイツと干戈を交える事となります。そうなればローズベルト大統領に、チャーチル首相を助ける実しやかな理由が出来ます。大西洋首脳会談後に、ローズベルト大統領の対日政策の方向が固まったと言われております。

昭和十六年十月十八日、第三次近衛内閣が三か月の短命で総辞職し、陸軍大臣東條英機が内閣総理大臣に指名されました。東條は、禿げ上がった頭にチョビ髭に眼鏡と、愛嬌の三拍子揃った風貌で、実直勤勉さらに大真面目と言った性格から、天皇陛下の覚えも目出度く、国民からも広く愛されておりました。東條内閣は陸海軍首脳と連日にわたって議論を重ねました。世論は好戦に沸き立っていました。アメリカに譲歩すべきか戦うべきか。リーダーたちは、アメリカには勝てないと分かっていました。と同時に、今までの犠牲に背を向けアメリカに譲歩することは、恨みに近い批判を買うことでした。つまり命を賭けての勇気が必要でした。日本国内の石油備蓄量は、平時で二年、戦時で一年半。猶予はありませんでした。インドネシアの油田は目と鼻の先にありました。

昭和十六年十一月二十六日コーデル・ハル国務長官が、日米交渉の最後通牒(通称ハルノート)を突き付けて来ました。その主な内容は次の三つでした。

『中国(ここに満州がはいっていなかったと言われております)および仏領インドシナからの速やかなる撤退』

『中国において重慶(蒋介石政権)以外の政府を認めないこと』

『三国同盟の事実上の破棄』

アメリカは、日本がこの条件を飲まない限り、石油はもう売らないと言い切りました。日本国民は、支那事変による耐久生活に苛立っていました。蒋介石が音を上げないのは、アメリカからの援助があるからだと流布されていました。そのアメリカは日本の資産凍結をしたうえに、石油の全面禁輸を突き付けて来ました。諸悪の根源が、強大な国力を背景に涼しい顔で意地悪をするアメリカにあるように、日本国民には映りました。鼻息の荒い日本の投書階級(社会の動きに敏感で、新聞などで持論を主張するオピニオンリーダーを、当時は投書階級と呼んでいました。亜インテリが多かったと言われております)は黙っておりませんでした。投書階級がさく裂いたします。

『このまま、生殺しされていいのか! 自滅せよと言うのか!』

『三十万の尊い命と膨大な血税をつぎ込んで手にした大陸からは、絶対に引くべきではない!』

『米国、何するものぞ!』

この一部の投書階級の発言は全国民の民意のように映りました。新聞は投書階級の気持を代弁するように、刺激的な言葉で紙面を飾りました。刺激的であればある程、新聞は売れました。新聞を読んで、腕組みをし、こめかみに青筋立て、憤(いきどお)る国民が増えました。なぜかくまで憤っていたのか……。それは多分に、小さな島国の有色人種であると言うコンプレックスからだったと想像します。『馬鹿にするんじゃねぇよ』と憤るのは、『馬鹿にされているんだろうなぁ……』と裏に劣等感を抱いているからです。太平洋戦争へ突入した原因は、Aさんのせいでもでも、Bさんのせいでもでもなく、逆らう事が出来ない必然の流れであった事は間違いございません。ただ陳腐な言いようですが、必然の流れを大きな激流に変えたのは、欧米に対する日本人のコンプレックスに裏打ちされたうっぷん晴らしの勢いだったと思います。大日本帝国……、ああ、この仰々しい国名にもコンプレックスが現れています……、大日本帝国の国民は、流されました。ますます、投書階級の鼻息は上がります。

『座して死を待つより、戦って死すべし!』

『起き立ちて、一撃を食らわせろ!』

『事変完遂と『東亜新秩序』の建設に邪魔するものは、すべて排除すべき!』

『東条内閣は毅然とした態度を示すべき!』

本格的に国土を外国に荒らされた事のない日本人は、戦争の本当の恐ろしさが分かっていませんでした。日本には国民皆兵の考え方がありました。しかし日清日露戦争で実際に兵士になったのは、徴兵検査を受けた者の二割にも達していませんでした。自分や自分の身内が本当に戦場に立つことに現実感を抱いていませんでした。

アメリカのローズベルト大統領は、イギリスの盟友チャーチル首相を救うため、そしてアメリカ世論を戦争へ導くため、日本へ王手をかけてきました。彼はハルノートの原案に「日本がこれを受け入れる可能性はほとんどないだろう。すぐにでも起きる災いに備えなければならない」と書き込みました。彼はまた、スチムソン陸軍長官に「日本は無警告で戦争を始めることで悪名高い。アメリカは来週月曜日にでも攻撃を受ける可能性がある。問題は、大き過ぎる危険を避けながら、最初の一発をどう誘導していくかだ」と話しました。日本がインドネシアの石油を手に入れる事が出来たとしても、本土に輸送するためにはフィリピン脇を通らなければなりませんでした。それを、フィリピンの宗主国アメリカが黙っている筈はありませんでした。フィリピンを占領するには、バックのハワイを叩き潰しておく必要がありました。アメリカは日本外務省の暗号電報をすべて傍受し、その内容を解読しておりました。それを読んでいたローズベルト大統領は、対日戦がハワイ攻撃で始まる可能性があると読んでいました。

『屠れ!米英我らの敵だ』

『進め一億火の玉だ』

大日本国帝国海軍は、ハワイ真珠湾を奇襲攻撃しました!

「December 7 1941 ——— a date which will live in infamy .(1941年12月7日、将来、恥辱として記憶に刻まれるであろう日)」。ローズベルト大統領の声は激しいものでした。真珠湾奇襲の四日後、軍事相互援助を約した同盟国のドイツ・イタリアが、アメリカに宣戦布告しました。思惑通りに事が進んだローズベルト大統領は、「a date which will live in infamy.」と日本への恨み節をひと唸りしてから、大西洋へ、ナチス・ドイツへと戦力を集中いたしました。

と、もしこのお話が本当だったとすれば、『アングロ・サクソン、恐るべし!』でございます。そしてローズベルト大統領は千両万両役者と言うことになります。

 衣都子先生のお話に戻ります。昭和十六年十二月八日当時、各家庭への電気の供給は節約のため、夜間から早朝までと限定されておりました。ただ開戦当日は、昼間も無料で送電を行い、ラジオをつけっぱなしにするように呼びかけられていました。先生が女学校に通われた道々の街頭ラジオも、勇ましい軍艦マーチと軍歌を流し続けておりました。先生は、(ふ~ん、本当に戦争は始まったのね)と思われていらっしゃいました。

女学校には幾人かの軍国少女がいました。軍国少女に引きずられて、教室の朝には意気天を衝く気配がありました。ただ中には、「大変な事になったわね」「これからどうなるのかしら」と不安を囁く者もいました。しかし軍国少女は犬のようにその囁き声を嗅ぎつけ、「あなたたち、そんな事を口にするのは不謹慎よ」と注進すれば、彼女らの口は重くなりました。

職員室はラジオがつけっぱなしでした。教師が真珠湾やマレー戦の大戦果を速報のように教室に伝えました。教室に「ワァー!」と歓声が立ち、万歳を叫ぶ人や小躍りを始める人が現れました。戦争に無関心な先生でさえ、身体の震えが抑えられず背筋に鳥肌をお立てになりました。この熱狂は、不安の、コンプレックスの裏返しでした。心の片隅には何となく、大日本帝国の不敗神話に不安があり、『不敗神話は間違いないのだ』と裏付けが欲しかったのだと思います。

昭和十六年十二月八日に始まった太平洋戦争は、昭和十七年六月五日のミッドウェー海戦までの半年間、日本が予測さえしなかった快進撃を続けました。ビルマ・マレー・シンガポールからイギリス人、インドネシアからオランダ人、フィリピンからアメリカ人を追いました。石油を満載させたタンカーがインドネシアと日本を往復しました。占領地は、南はオーストラリアとの境目、北はアラスカとの境目、西はインドとの境目、東はウェーク・マーシャル諸島まで伸びました。世界地図にその占領地が赤く塗り潰されていきました。ただ日本には、悲鳴も断末魔の声も、爆弾の炸裂音も、撃ち合う鉄砲の音も、擦れ合う刃の音も聞こえては来ませんでした。あたかも紙の上の静かな陣取りゲームのようでした。愛国心を満足させるゲームでございました。日本の戦国時代のお百姓さんは、山の上から武将の殺戮を、弁当食べ食べ、勝敗の賭けをしながら、眺める事を楽しみにしていたとか……。それはともかく、ゲームでなかったのは、兄を戦地に送っていた女学生達でした。先生のご友人にも何人かいました。

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