第16話

さて、芸名をいただいた先生でしたが、興国映画株式会社も世間も、まだ本物の女優とはみなしておりませんでした。エラ・メイヤー女史の映画は封切りされておらず、内田衣都子としてのデビューも済んでいらっしゃいませんでした。映画は本当に完成するのだろうかと疑うムードもありました。つまり先生は、ただのきれいな女学生でした。そして、興国映画俳優養成所の新米研修生でした。

 養成所には夏休みから通われ始められました。夏休みが終わられますと、お母様との約束もあり、女学校が優先になりました。ですから養成所に通われたのは、土曜日の午後か日曜日がもっぱらでした。働きながらの研修生も多かったので、休祝日にも開校していたのです。

 先生は、尋常小学生でも女学校でも、人に嫌われるとか仲間外れにされるとか、そのようなご経験はありませんでした。ご想像通り、女学校には女学校らしい面倒で複雑な人間関係がございました。しかし先生は割合に難なくお過ごしでした。先生は、好奇心旺盛で、お調子者で、明るく快活な少女でした。お勉強は中の下で、あまりお出来になるほうではございませんでした。ご本はお好きで、ロマンチストでした。「彩ちゃんは、夢見る夢子ちゃんね」と笑われながら人に好かれておりました。可愛いとか、きれいねとか、お友達には羨ましがられました。羨ましがられると、やはり嬉しくお思いでした。正直、自惚れもございました。しかしあまりに羨ましがられますと、特殊扱いされたような、いえ状況によりますと、からかわれたような複雑なお気持ちになられ、お顔を曇らされていらっしゃいました。お友達はそれを謙虚ととっていました。

 養成所は違っておりました。「わたしこそ日本で一番きれいな女」どころか、「世界で一番きれいな女」と思っている人が大勢いました。彼女たちは、人の目に留まろうと、虎視眈々と機会を狙っておりました。当然、目立つために、人を掣肘(せいちゅう)し足蹴りする事などに頓着しておりませんでした。人を立てると言った安っぽい道徳心など、歯牙にもかけておりませんでした。先生は国策映画に出てもらうための、唯一無二の球(たま)ではもうございませんでした。しかし、とにかく主演映画を撮り終わっていらっしゃいました。妬まれました。出る杭は打つ。「お手並み拝見ね」と、先生の練習の寸劇を睥睨(へいげい)しました。そして陰で笑っておりました。陰で笑うのは一人では面白うございません。幾人かで笑いました。そうするうちに、先生を馬鹿にして毛嫌いする集団があちらこちらに出来ました。先生は仲間外れにされたのでした。研修生には、カフェの女給や、身過ぎ世過ぎのもっと危ない商売もしている女性もいました。彼女たちは、世ずれて、すれっからしで、ある意味、不良でした。その意地の悪さと申しましたら、無慈悲そのものでした。先生もそれなりの処世術はお持ちでした。おべっか、お愛想、追従、作り笑い……。すべて駄目でした。例のキャラメル配りもされました。キャラメルは貴重品になっておりました。貰った人は目を瞠(みは)って喜びました。(これで仲良くなれる)と先生は思われました。しかし、貰った時だけの笑顔でした。彼女らは演技を学んでいました。流石でした。かつて、映画に出るために一緒にご勉強された、仲良し三人組も養成所にいました。竹林社長が、優等生で気立てがいいと太鼓判を押した三人組でした。先生はその三人組にすがろうとなさいました。彼女たちは言いました。

「一緒に勉強していたって、言って欲しくないんだけど……」

 養成所では研修生同士の恋愛は厳禁でした。しかし、若く自惚れの強い男女が集まる養成所で、それを禁じる事は所詮無理な話しでした。ことによると研修生たちは、興国映画の職員とさえ、お安くない関係を持ちました。気障な男は山ほどいました。やはり不良でした。男前だと思っていました。女を騙す事など朝飯前だと自負していました。仲間外れにされている先生に言い寄る男もいました。付け入りやすいと思ったのでした。しかし先生は、甘言には乗りませんでした。わたくし、先生の態度をご立派だったと思います。お年ごろから申しまして、誘惑に勝つには並々ならぬご覚悟が必要だったと思います。本当にご立派でした。ただ言い寄る男も、やに下がった、鼻持ちならない気配がムンムンでした。それらはつまり、先生の嫌悪するタイプでした。そうなりますと、「可愛げないオンナ」とレッテルが貼られ、男たちまでが先生を爪弾きしていきました。

 凄いのは教授連でございました。確かに先生はさほど演技も舞踊もお上手ではございませんでした。半年ほどのお稽古、それも女学校を通いながらのお稽古で、いかほどの上達を望めますでしょうか。竹林社長の息のかかっていた頃のお稽古では、腫れ物に触るように接していた教授連が、今ではそのプロとしての本性丸出しで、突き放すように先生に接してきました。

「あんた、才能ないんとちゃう? 諦めよったら」とか、

「大根は、あなたの為にある言葉だねぇ」とか、

「あら、それダンスのステップでございますか。わたくし、足踏みされているのかと思いましたわ」とか、

「女学校に通っている……? ここの門を潜る時に、お嬢様気分は捨てるんだな」などと、ケンモホロロでございました。

研修生に冷たくされ、教授縁に厳しくされ、先生のお稽古の動きは委縮し、声は小さくなっていかれました。そして鬱(うつ)に籠られるようになられました。先生は悩まれました。眠れませんでした。お食事も喉を通りませんでした。養成所への足取りも重くなられ休みがちになりました。女学校さえも休まれる日が出来て参りました。お母様は、「やっぱり、無理なのよ」とはおっしゃいませんでした。休むなら休んでもいいと、静かに傷つかぬように、見守っていらっしゃいました。

 そんな仲秋の日曜、健一郎様が散歩に出ようと誘われに来られました。先生はその前々日の金曜日からお部屋に籠りっきりで、ミサさんが運ぶお食事にもほとんど箸をお付けになっていらっしゃいませんでした。お二人は靖国神社の方へ行かれました。青銅の大鳥居が、紅(も)み染(ぞ)めの樹々を背景に重く厚く起立しておりました。お二人は大鳥居の前で一礼をなさいました。

「塞いでいるんだって」と健一郎様。

「……」

「姉さんが心配してたぞ」

「……」

「こりゃ、相当、重症だな。彩子も、ある程度の事は、覚悟していたんだろう? 聞いたぞ、こっぴどくやられているんだって? そうかそうか。大変な世界だろうなあ、映画界ってな。分かる気がするよ」

「わたし一人が、目の仇(かたき)にされているって感じなの」

「まあ、仕方ないさ。映画のヒロインを演ったんだから、目立つからな。妬まれているんだよ」

「ええ、それも含めてね、お腹(なか)くくっていたのよ。でも……」

「でも?」

先生は思い出されただけで、悲しさ苦しさ情けなさがこみ上げて来られ、言葉を詰まらされました。

「分かるよ、分かる。個性派ぞろいだろうからな。でもなぁ、この程度で挫(くじ)けていたら、女優稼業なんて出来ないぜ。足引っ張り合って何ぼの世界なんだぜ。乗り切らなきゃな」

「叔父さん、分かっているの。それもこれも含めて、分かっているの。でも、築地には一人も味方がいないの。いたたまれなくなっちゃうの。陰湿なの。物凄く。」

「そうかぁ~。コンシェルジュリー監獄のトワネットだな」

「マリー・アントワネットって、フランスの?」

「ああ、そうだよ。囚人扱いされて、虐待を受けたらしいよ」

「そうなの……」

「でもね、フランス王妃の誇りを忘れずに、毅然としていたらしいよ。かえって、周りがびっくりしたらしい。流石、育ちが違うんだよ。でもさ、きっと本人は、看守の一挙手一投足に、おっかなびっくりしていたと思うよ。でも、おくびにも出さなかったんだぜ。マリー・アントワネットは偉いよ。彩子、マリー・アントワネットを演じてみたらどうだ? 女優だろ。演技で一泡ふかせてやれよ、いけ好かない連中にさ」

「演技で……」

「そうさ。無視するんだよ。『わたくし、みなさんのことなど、眼中にございませんから』ってな。ハハッ……」

「そんなことしたら、もっと……」

「もっとって言えるんなら、まだ我慢出来る余地ありってことだな。うん、どうなんだ?」

「我慢なんか、限界を超えているわ。あれ以上ひどい仕打ちはないわ」

「なら、やっちゃえよ。千人、万人、敵に回したって関係ないだろ。ツンとして……、彩子、中途半端にするんじゃないぜ。徹底的に、無視するんだぜ。空気相手してるようにだぜ。彩子が、落ち込んだりして見せるから、余計面白がってんだぜ。それをはぐらかしてやるんだよ。期待を裏切ってやるんだ。面白いぜこれは。女優冥利に尽きるぜ。ハハッ……」

村田蔵六の銅像が見えて参りました。健一郎様は立ち止まられると、

「彩子、笑ってみろよ」とおっしゃいました。

「そうだ、そう。もっと口角を上げて。良い顔だ。ふてぶてしさの中に気品、うん、気品があるぞ、これこそ、マリー・アントワネットだ。その顔で通すんだ。『おはようございます』ってその顔で挨拶する。でも相手は無視するだろ。それでもその顔で、相手にしない。なぁ。すると相手の方がたじろぐさ。陰で『とうとう気が違ったのかも』と笑う連中だって出てくるだろう。そんな連中、無視するんだ、右の頬を打たれたら左の頬を差し出せだ。挨拶を返さないヤツには、殊更の笑顔で『おはようございます』ってやるんだ。なに? 養成所の先生の事か? それもその笑顔だ。ボロクソに言われたら、『申し訳ございません』ってその笑顔だ。そうすると相手は、『何だその態度は』ってなるよな。それでもその笑顔でもう一発『申し訳ございません』だ。『出ていけ』とか『破門だ』なんてな、奴さんが言ったらな、『わたくし、先生の会社の養成所で教わっておりませんの。竹林さんの養成所に通っていますの。社長に相談させていただきます』ってな、その笑顔で演(や)るんだ」

人は無理にでも笑顔を作っておりますと、なんとなく気鬱が散じてまいります。それに健一郎様のお話は、いたずら好きの先生の琴線を弾きました。先生のご気分は晴れ晴れとしたものにおなりでした。

「叔父さん、早速、やってみる。アントワネットを演じてみるわ。面白いわ。殺されるわけじゃあないものね。関係ないわ」

村田蔵六が、緑青の眼で、遠くを睨んでおりました。

「わたし、女優ですものね。ありがとう、叔父さん。これから養成所に行ってくるわ」

先生はお調子者でございました。わたくし、お調子者は女優に必要な条件のひとつだと思います。お調子者で、好奇心旺盛で、ナルシストで、いたずら好きで、ちょっぴり芝居の才能がある事、この五つは女優に大切なものと思います。

 靖国の散歩の一か月後、エラ・メイヤー女史の映画『Dem Boden(大地)』が封切られました。邦題は『うつくしき国』。タイトルロールに、『Ituko Utida』と、ドイツ少女・イタリア少女の名前と並んで映りました。健一郎様のご助言は、本当にタイミングがいいものでした。と申しますのは、『うつくしき国』が公開されてからでは、そのご助言の内容が、お高く留まっていると、取り付く島もないほどに嫌悪される可能性があったからでございます。先生は、健一郎様の言われた通り、始終笑顔で通されました。研修生たちを空気のように扱われました。それは割合に面白うございました。最初の一週間は、気持ち悪がられました。教授連の前でも笑顔で通されました。叱られても罵られても、馬耳東風の笑顔でした。二週間目には、顔色を窺われるようになりました。三週間が経つと、笑顔を返す人が現れました。そして、『うつくしき国』の『Ituko Utida』の文字が、養成所の人々の気持を炙ったのでした。一人一人を焦がしつけたのでした。そうなると、流れが変わって参りました。先生を相容れない人は、やはりいました。それは仕方ございませんでした。しかし少しずつお友達も出来て参りました。教授たちも真剣になってまいりました。先生は人に嫌われるようなお方ではなかったのですから。

 

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