第8話

 昭和十四年の夏、街のあちこちで、「パーマネントはやめましょう。パーマネントはやめましょう」の呼び掛けがこだましておりました。国民精神総動員委員会が、女学生のパーマネント・ネオンの禁止の方針を示した流れで、この社会風潮になったのでございます。風潮はパーマネントに限りませんでした。両国花火大会に続き、墨田川、二子玉川、奥多摩、小松川などの花火が中止となりました。同年に施行された映画法で、制作興行が許可制となりナイトショーが禁止されました。また、カフェ、バー、待合に続いて、すし屋、おでん屋、喫茶店も深夜0時以降の営業が禁止されました。熟練労働者が強制的に軍需産業に奉仕する『国民徴用令』が公布されたのも、この夏です。と言いながら、民間航空機ニッポン号が世界一周に飛び立ったのも、豪華客船あるぜんちん丸が世界一周の航海に出たのも、世界初冷暖房完備の豪華客船新田丸が進水したのも、絵画が高騰し贋作が出回ったのも、猛暑が続いたこの昭和十四年の夏でした。贅沢を禁じたと言うより、気を引き締めようと言う、まだまだそんな気配の夏でした。

 先生が原口貞子さんに、

「鎌倉に、海水浴に行ってみない?」と誘われたのも、その夏でした。八月になって間もない夏休みの事でした。

「夙川のおじ様が、保養で七里ガ浜にいるの。おじ様、友達を誘って遊びに来なさいって、電話があったの。彩ちゃんも、是非って。〇〇さんや、△△さんにも、声かけたの。二人とも、行くって返事くれたわ。日帰りよ。朝の汽車で藤沢まで行って、藤沢から江ノ電で七里ガ浜まで行くの」

「夙川のおじ様、体調が悪いの?」

先生は夙川氏を思い出されました。胃がこう、痔がああ、だとか話にあった事を思い出されました。また、氏は心の病んだ、気難しい人、寂しい人と記憶されていました。

「今年、特に暑いでしょ。だから、東京を逃げたのですって。おじ様、夏になると、鎌倉の方で、一人で過ごす事が多いのよ。お母さんも、行くって言っていたから、心配はいらないわ。おじ様、きっと、ご馳走してくれるわ」

先生は氏の気持を理解していると思っていらっしゃいました。これも、お調子者ならではの思い込みなのかもしれません。また氏の事はお嫌いではありませんでした。きっとおじ様は寂しいはず。遊びに行ってあげましょう。先生は、原口さんに明るい笑顔で頷かれました。

鎌倉行の許しをお母様からいただくと、手土産に藤村の羊羹を持って、お約束の朝、東京駅の東海道線のホームで待ち合わせをされました。紺白の縦縞ワンピースにパナマ帽の原口さんのお母さん随伴の下、先生、原口さん、それに仲の良い同級生二人が、七里ガ浜に向かって立たれました。制服姿の少女たちが囲った車両の一隅は、嬉々と賑やかで、淡い光を放っているようでした。

 先生達ご一行が夙川氏の宿泊している泰平楼と言う旅館に到着されましたのは、昼前でした。泰平楼は、七里ガ浜の駅から近い、明治より多くの文人に愛された老舗旅館でした。二階建ての母屋の両脇から続く漆喰塀が、広い敷地を抱きかかえておりました。広い庭には数棟の個室が渡り廊下で繋がり、各棟の縁台からは、松柏と石を配した泉水が見渡せるように工夫されておりました。氏の部屋はそんな棟の一番奥で、縁台のすぐ前には、藤棚があり、それが心地のいい日影を作っておりました。先生達が籐編みのバスケットや風呂敷包みを下す前から夙川氏は、

「いやいや、疲れたでしょう。暑かったでしょう。汽車は混んでいませんでしたか。座れましたか? それはよかった。いや、この猛暑だから、避暑の客で込んでいやしなかったかと、気に掛かっていました。何より、何よりです。座って来られた事が何よりです。ああ、そう、そう、荷物荷物、その辺に荷物は置いて、はい、どこでもいいですよ、遠慮しないで。氷でも掻かせましょうか、いや飯前にそれもないな。そうだ、冷やしコーヒー(コーヒー価格は当時、非常に高騰しておりました)でも持って来させましょう。氷をいっぱい浮かべてね、アイスクリームも用意させていますよ。アイスクリーム。あれは、海から上がった時のお楽しみにして……。コーヒーよりラムネがいいかな。えっ? コーヒーがいい。確かにそれがいいでしょう。ううんっと、氷を入れてね……」と、早口に捲くし立て先生達を下にも置かない歓待ぶりでした。先生はここに来てあげてよかったと思われました。氏は鼠色の麻の縮(ちぢみ)に黒白の鳴海(なるみ)絞りの兵児帯を〆ていました。前より痩せたようでした。背の高い方でしたので棒を紐で縛ったように見えました。髪も前よりは薄くなって、ポマードで固めていたのですが、汗で二筋三筋崩れ、それが日焼けした額に垂れ下がっておりました。老人のように見えました。

 泰平楼は湘南海岸道路に面していました。車もまだ少ない時代でしたので、ザァーザァーと潮騒の音がよく聞こえておりました。四人の少女たちは庭に出て、籐椅子に座ったり、藤棚を見上げたり、三々五々、冷たいコーヒーを前に横に、潮騒と潮風を楽しんでおりました。先生は縁台にお座りになりおみ足をブラブラさせながら、泉水の庭をご覧になっていらっしゃいました。座敷では氏と原口さんのお母さんが、鉄製の扇風機に涼みながら、卓を挟んで会話を交わしておりました。その内容は先生のお耳に届いておりました。

「ここに来ても、寝むれないの?」と原口さんのお母さん。

「ええ、東京に居るよりましですが、やはりいけません。浅いですねぇ」

「海の音が、うるさいんじゃなくって?」

「いや、この音は、心地いい。海はいい。一人、こうやって、潮騒を聴きながら静かに過ごすのが、一番です」

「そう、よかった。お兄さんも、本当に心配なさっているのよ。お仕事は、ここでも……?」

「やっていますよ。もっぱら午前中に終えて、午後からは散歩などして、遊んでいますよ。兄さんにも、あまり心配しないように、言っておいてください」

「でも、見る度に、痩せていっているようよ。朝子さん(夙川氏夫人の名前)は、来るの、ここへ?」

「一人になりたいから、まあ、要は、逃げているようなものですからねぇ」

「それでも、朝子さんや子供たちを、ここへ呼んだらどう?」

「考えておきます。おや」

「どうしたの?」

その時、日傘をかざした老婆と中年の女性が、藤棚の先を長閑に通り過ぎていました。

「あら、今日はお客様ですか」と、紫の矢筈柄の銘仙に臙脂色の帯を〆た中年女性が氏に声を掛けてきました。

「はあ、いいお日和で」と夙川氏。

「この辺で、お湿りでも欲しいところですわ」

「今日は、親戚の者が訪ねて来ておりまして、賑やかですが、どうぞひとつ、よろしく」

「まあ、どうぞ、どうぞ、お構いなく。お互い様です。どうぞ」と愛想を投げたあと、中年女性はチラリと先生に射るような視線を投げました。

「まあ、可愛い」。中年女性は先生を見てそう呟きました。そして、

「あぁ、みなさん、可愛いお嬢さんばかりですこと」と大袈裟な笑みを零し、

「どうぞ、ごゆっくり」と、老婆と頭を下げながらその場から姿を消しました。

「派手な方ね」。原口さんのお母さんが囁きました。

「まあ……、隣の逗留客ですよ。同じ商売をしていましてね」

「まあ、道理で。物書きさん?」

「岡部ちよ子と言う作家は知りませんか? 歌人だったのですが、最近、小説なんぞも書くようになりましてね。作家仲間の会合で、二三度、顔を合わせたことがあって、まさか、ここで隣同士になるとは……。亭主は漫画家で、伯母とか言う老婆と夫婦の三人で、長逗留しています。亭主の方は、よく留守をしていますから、ほとんど、女ふたりですがね」

「顔見知りの人がいるだけでも、よかったじゃない」

「いいか、どうか……、あの家族には、よく客があって、実に賑やかです」

「お隣が賑やかすぎて、ゆっくり出来ないんじゃなくって?」

「どこへ行っても、同じようなものです。東京より、数段ましですよ。ただ、僕の悪口を言っているようでね。同じ商売だから、口うるさい批評家が、どうしても集まってくる。でっ、ここに僕が居る事を知ると、ひそひそ声で、始めるんです。青二才の評論が。口さがない連中です」

「お隣とは、ちょっと離れているけど、ひそひそ声が聞こえてくるの? よっぽどの声じゃないと、聞こえて来ないでしょう。立ち聞きしているの?」

「そんな無礼はしません。ただ、あの椅子に」と言って、夙川氏は庭先の籐椅子を顎で指し、

「あそこへ座っていると、自然に聞こえてくるのですよ」と言いました。

「ひそひそ声が……?」と原口さんのお母さんが怪訝そうに呟くと、氏は兄嫁を睨み返しました。その時、先生がご自身の腿をピシャリと叩かれました。

「蚊が居ますか?」と氏は先生に駆け寄りました。先生の白い腿の上に、潰された蚊と、その残骸から破裂した赤い血が、痛々しく張り付いておりました。先生はいつもいつもご自分の血を見られる度に、赤ではなく青ならいいのにと思われました。いつかセロファン紙を通して見上げた、あの空の青色ならいいのにと。

「一番、美味しそうだと、蚊も思ったのね」と原口さんのお母さんが言いますと、氏はまた兄嫁を睨みつけました。丁度、昼食の膳を持って入って来た中居の一人に、

「君、メンソレータムはあるかい?」と氏は例のヒステリックな声で尋ねました。

「はい、ございますが」

「すぐ持って来てはくれないか」

「はい」

「すぐ、すぐに。配膳は後でいい。すぐ、メンソレータムを持ってくれ」

中居は何事が起ったのかと驚きの体(てい)で、廊下を走りました。そして携えたメンソレータムを氏に渡すとき、あきれ返った顔をしました。蚊ぐらいで何を騒ぐのだと表情に出ていました。氏はメンソレータムの臭いに顔を歪めてから、掬い取った軟膏を先生の腿に塗り始めました。少し指を震わせながら、神妙に、ゆっくりと……。先生は、なんて丁寧に塗るのだろうかと思われました。原口さんたち三人の少女は、先生の赤く色づいた腿を代わる代わる見た後、座敷に上がり、それぞれの藺草の座布団に座りました。

「まあ、ご馳走」。友人のひとりが歓声を上げました。

「夙川先生が、そりゃあそりゃあ、細かく調理場に注文して、拵えた献立なのですよ」と、中居はビールの栓を抜きました。

夙川氏は、蓋を閉めたメンソレータムを床の間の隅に置きました。床の間には、『聖書』が置かれていました。その『聖書』の横に二つの薬瓶がございました。『ベロナール』『ヌマール』と読めました。睡眠導入剤とも書いてありました。先程の氏と原口さんのお母さんの会話のきっかけは、この薬なのだとお気付きになられました。そして、こんなまがまがしい物、隠していればいいのに、とも思われました。

「刺身だ、煮つけだ、ばかりじゃ、若い人には不満足だろうからね」と夙川氏。なるほど、魚のフライ、牛肉のステーキも並んでおりました。

「焼き魚は、照り焼きにしろ、っておっしゃって、まぁ先生は、本当に細かく指示なすって」。中居はサイダーの栓を抜きました。

昼食は、藤棚から零れる日差しと、潮騒の音と、蚊取り線香の香り中で、賑やかに進みました。女五人がかしましく話す内容は、拗ねてみたり、笑ってみたりの遊戯を交え、たわいもないものでございました。夙川氏は相変わらず食は細いようでしたが、それでも箸を動かしながら、ビールを飲み、ゴールデンバットの煙を鼻先に揺らせ、冗談も口にして、始終瘦身の身体を揺らしながら笑い、上機嫌でございました。

 昼食が終わり一休みいたしましたら、海に出る段となりました。夙川氏は、

「アンブレラと浮輪を旅館で借りて、一足先に浜に出ています」と言いました。先生たちは鞄やバスケットを開き、中から水着を取り出されました。そして身支度をしようと、奥の部屋に移動を始められました。先生はバスケットから水着を包んだ青海波の風呂敷を取り出されました。氏はその一部始終を見ておりましたが、少女たち全員が移動し終わり、奥の部屋の襖がピタリと閉まると、麦わら帽子を被り縁台から下駄を履いて庭先へと出て行きました。

 泰平楼は七里ガ浜に面しておりましたので、先生達は水着に着替えた後、大判のタオルを肩にかけて日傘をさした原口さんのお母さんを先頭に、庭を歩き、塀に設えられた木戸を潜って、そのまま浜へと出られました。夙川氏は砂浜に立てた分厚い木綿地のアンブレラの下の、茣蓙に胡坐をかいて、ゴールデンバットの煙をくゆらせていました。原口さんのお母さんは、氏の横に腰を下ろしました。浜は多くの海水客で賑わっておりました。先生たちは寄せては返す波打ち際へと急がれました。氏は戸締りをするために、泰平楼に戻りました。

 先生たちの水着は、学校の水練で着用しているもので、黒色の木綿メリンス生地でした。デザインは肩が露わになったワンピースのようなものでした。腰に白いベルトが付いておりました。頭には白のメリンスの、後で絞る帽子を巻いておられました。少女たちは、水を掛け合ったり、水際を走ってしぶきを立てたり、砂山を作っては崩したり、当然、浅瀬を泳いだり、歓声を上げながら、実に楽しく遊び戯れていらっしゃいました。

「姉さん、熱くないですか?」

戸締りから戻って来た氏が、兄嫁に尋ねました。

「いいえ、熱くはないわ。潮風が、気持ちいいわ。それより、見て。森さんって、本当に色が白い子ねぇ」

遊び疲れた先生は砂の上に横座りされて、お一人、海をご覧になっていらっしゃいました。海は青いなんて言うけど青いばかりではない、と思っていらっしゃいました。遠くは確かに、青く見える。しかし近くはむしろ、緑色。空の色は薄い青。空と接する水平線は緑青。あの空、あの水平線から、この波打ち際まで、それでも青はいろいろある。だけど、セロファン紙を通して空を見上げたあの青色はどこにもない、などとも思っていらっしゃいました。

氏は、思いに耽っていらっしゃった先生の後ろ姿を、見ていましたが、

「そうだ、アイスクリームを持って来よう」と、兄嫁に言い残して再び泰平楼へ戻りました。

原口さんとふたりのお友達は、道路と浜の境目の草むらで花を摘んでいました。海水浴客の欣喜雀躍(きんきじゃくやく)の声がザァーザァーと繰り返す潮騒の音と混じあい、濃い色の青空に吸い込まれていました。突然、先生の背後から、

「金閣寺の雪姫様よ」と原口さん叫び、タオルいっぱいに刈り取った花びらを振り撒きました。良家の子女であり作家の姪であった原口さんは、歌舞伎を知っていました。

「まぁ、やめてよ」先生は、ご自分に振り撒かれた花びらに最初は驚かれましたが、やがて、掌を返して額に宛がわれ、右に左にお身体を捩じられながら、乙女チックなお遊びに、声を上げて興じられました。夏でございましたから。海でございましたから。

そんな折、氏がアイスクリームを入れた籠を持って、浜に戻ってきました。氏の目に、先生に夥しい花びらが舞っている様子が入って来ました。それを氏は、飽くことなく見つめアンブレラに座りますと、

「おーい、アイスクリームを持って来たよ」と声を掛けました。

少女たちは遊戯の手を止めて、アンブレラに駆け寄りました。

先生は、払いきれなかった花びらを纏われたまま氏の前に立たれました。白いお肌が、ほんのり桃色に火照っていらっしゃいました。その肌の上に、紫色と黄色の花びらが貼り付いていました。

「まあ、森さん、酷い目にあったわね」と原口さんのお母さん。

「サンタ・マリアのようだ」

夙川氏は、先生を眩しそうに見上げて言いました。

 太陽が地平線に傾き始めました。午後四時前になっていました。先生たちは相南の海を二時間楽しんだ後、泰平楼へと戻られました。そして、藤棚を潜って縁台に上がり、奥の部屋の着替えを持って、お風呂場へと向かわられました。

先生は青海波の風呂敷包みをお手にされていました。そして脱衣場で、その包を解こうとされた時、ハッとなさいました。風呂敷が縦結びになっていたのでございます。お母様から、風呂敷は横に結び先が納まる真結びにしなければならないと、しっかり教えられていました。この風呂敷も、間違いなくそう結んだはず。いや、今日は心ここにあらずで、いい加減に結んだのかしら、いえ、絶対そんなことはない。間違いなく真結びにした。それは目の前によみがえる記憶だと、先生は確信されていらっしゃいました。そして、誰かが、この風呂敷を開いたのだ、と思われました。誰が? 先生たちは、原口さんのお母さんと一緒に浜へ出られました。部屋は、夙川のおじ様が施錠したはず。誰も入れないはず。原口さんのお母さんが、用足しで、戻った? いや、原口さんのお母さんは、ずっと浜にいた。旅館の人が……、そんな馬鹿な。旅館の人が何のためにわざわざわたしの荷物を……。となれば、夙川のおじ様以外、誰も部屋に入れなかったはず。おじ様は、施錠と、アイスクリームを受け取りに、二度、旅館に戻った。そのどちらかの時、おじ様が……。おじ様が風呂敷を開いたのだとすれば、何のために? 先生は汗に濡れた手で、風呂敷を解かれました。またハッとされました。衣類のたたみ方の気配、重ね方の気配が、違うように感じられたのでした。間違いなく誰かが……ではなく、夙川のおじ様が、この中を探った? どうして、どうして、何のために。先生はご友人達の様子を横目で観察されました。みんな無邪気に水着を脱ぎ、一糸まとわぬ姿になっていました。彼女たちのをんなになりきっていない危うい裸体は、脱衣場の噎せ返る湿り気の中で緩い曲線で動いていました。先生は、息を飲んだまま水着の肩を抜き腰から腿へとずらされました。と、その時、屈んだ先生の目に、ご友人たちの陰部の黒い毛が飛び込んで来ました。そして次に、ご自身の腿の蚊に刺された跡がお目に滑り込んで来ました。夙川氏がメンソレータムを塗った時の、指の感触を思い出されました。おじ様は心が病んでいる。

「あっ」

「どうしたの?」と原口さん。

「えっ、いいえ。何でもないわ」。先生に、それ以上の言葉はありませんでした。そして、気を取り直し、

「蚊に刺された跡が、赤くなっていたから」と、明るく笑われました。

しかし先生のお気持ちは、明るいものではございませんでした。夙川氏が寂しいと思って鎌倉まで来たのだ。可愛そうだとさえ思って来たのだ。その氏に卑劣ないたずらをされた……。心が病んでいるからと言って、許せるものではない。先生はお風呂場で始終、平静を装われましたが、本当は怒りの流動物が口から溢れそうでした。

 部屋に帰ってからも平静を装われました。先生はまだ、氏を疑い切ってはいらっしゃいませんでした。ですから氏を試そうとなさいました。まず氏を無視して、その反応を確かめようとなさいました。掌を返したような急な無視に、氏が動揺するようなら怪しいと考えられたからでした。先生の無視に接して氏の反応は最初、「あれっ」と言った様子でした。やがて取り付く島もない先生の拒絶に、オドオドし始めました。ご視力のお弱い先生は、人の気配に敏感でした。氏が恐々と、チラチラ先生を盗み見ている様子も、手に取るように分かりました。それは後ろめたさそのものでした。それでもまだ疑い切れませんでした。先生は部屋の片隅にあった原口さんの風呂敷包みをご覧になると、おっしゃいました。

「あら、原口さん、真結びにちゃんとしているのね。お行儀いいわ」

風呂敷が縦結びだった場合には、「あら、縦結びになっているわよ」と言われるお積りでした。つまり、原口さんの風呂敷の結び方はどうでもよかったのです。

「真結び?」

素っ頓狂な声を出した原口さんは、真結びを知らないようでした。

原口さんのお母さんは、「えっ」と風呂敷包みを見た後、

「偶然にそうなっていたのよ。貞子、真結びを教えてあげていなかったわね。いい機会だわ。その風呂敷を持ってきなさい」と風呂敷包みを指さしました。思いもなさらなかった流れになって参りました。そこで先生はすかさず、

「この風呂敷でどうぞ、おば様」と、丁度お手にしていらっしゃった青海波のご自身の風呂包を卓の上に置かれました。

「貞子、みんな、知っていなかったら覚えておいて。風呂敷はね……」と、原口さんのお母さんが、結び目を解いて結び始めました。

氏は、卓の上の義姉の所作を見つめておりました。氏は、流石にナイーブな人でした。顔が土気色になり表情が強張りました。もうこうなれば、疑いは間違いないものでした。先生は、氏を視界の隅に入れるのも汚らわしいとお思いになられました。

旅館の中居が部屋の廊下際に、汽車の中で食べるようにと用意された弁当を並べました。

並んだ弁当包を目にした氏は、「少し疲れたから、駅へ見送りに行けません。ここで失敬します」と頭を下げました。瘦身の上に浅黒い肌が急にザラつき、氏はミイラのようでした。

「本当に、お疲れのようねぇ。今日はいろいろお世話様でした。ゆっくり休んでね」と原口さんのお母さんが言うと、少女たちは口々に、

「おじ様、今日はありがとうございました」と心配そうに挨拶しました。

先生は、氏に何かしらの置き土産を残したいとお思いでした。先生は思い出されました。『青に赤をにじませて』の撮影が終わったあと車の中で、氏が他人を傷つける事を異常に気にしていた事実をでございます。先生は氏に強烈な置き土産を残そうと思われました。

先生は幼い頃から空想の遊びが大好きでした。それも変な空想で、ご自身の『死』の空想遊びです。先生はそれを、『涙ごっこ』と名前を付けて楽しんでいらっしゃいました。ご自身の死の場面をご想像されると、面白いように涙が出てくるのでした。嘘泣きを見せよう。先生は悲劇の空想にズンズン沈んで行かれました。それはこのような空想でした。病院のベッドの上に先生はいらっしゃいます。朝日にシーツが輝いています。先生は不治の病に冒されています。何と言う名前の病気なのか、そんな事はどうでもいいのでした。とにかく、死にゆく病に冒されていたのでした。ベッドの周りをお母様やご親戚の人たちやお友達が取り巻いています。先生は、震えるお手を上げられ力ないお声を絞り、「皆さま、ありがとうございました。彩子は幸福でした。皆さまの愛情に甘えられて、本当に幸せでした。あ、あ、ありがとうござい……」とそこで、言葉を途切らされ、バタリとお手をベッドの横に落とされます。ワッと泣き声が病室に響きます……。すると、先生のお鼻の奥がキュッと痛くなり、手品のように涙が零れて来ました。今だ! と先生は思われました。友人たちと一斉に挨拶の頭を上げられた時、涙で濡れたお目を錐のように、夙川氏の目に捻じ込められました。美しい目の、同情、嫌悪、軽蔑。その凄さ! 先生の視線とぶつかった氏は、ギョロリと目を剥きました。氏の紅彩は、灰色となり生気を失っていきました。そして氏は、死体が折れ曲がるようにして挨拶を返しました。

 先生が朝刊で、夙川虎之進氏の自殺をお知りになりましたのは、七里ガ浜からお帰りになった二週間後の事でございます。ヒリヒリと薄桃色に灼けたお肌から皮が剥がれ落ちた頃でございます。氏は飯田橋の自宅二階の書斎で自殺をしたと、朝刊に書かれておりました。大量の睡眠薬服用による中毒死と小見出しが付いていました。家族宛ての遺書には、自殺の理由をふんわりした憂鬱への疲労だ、と綴ってあったそうでございます。多くの文芸評論家そして夙川文学ファンは、『東洋の鬼才』の自殺を、複雑な精神的苦悩と解釈し美化を始めました。そしてその美化は、時間が経てば経つほど深まりました。

精神的苦悩はさておき、まだ少女であった先生に、『東洋の鬼才』の自殺の真意などは、容易に分析できる代物ではございませんでした。ただ何とはなく、自分は夙川のおじ様の背中を押したのではないかと感じていらっしゃいました。おじ様がわたしに、なにがしかの感情……、それは劣情、とにかくそれに近い感情を抱き、風呂敷を解いてしまったのなら、おじ様はおじ様自身を情けなく感じた事だろう。情けなさと後ろめたさで張り裂けそうなおじ様を、わたしはあからさまに責めた。ただおじ様は、わたしの責め以上に、自分自身を責めたはずだ。おじ様は、海岸でわたしのことを、「サンタ・マリアのようだ」と言った。サンタ・マリア、それは崇高な存在。おじ様にとってわたしは、ただの少女ではなかったのかもしれない。おじ様は小説家だ。ただの感受性ではない。崇高な存在に劣情を抱き傷ついた。そして崇高な存在に侮辱され、打ちのめされた。おじ様は、人とはいろいろなカードのトランプの束だと言った。何枚目のトランプがそんな皮肉を呼び寄せたのか。繊細なおじ様には、耐えられなかった筈だ。わたしは、複雑な場面で、複雑におじ様を追い詰めたのだ。

これは先生以外、誰もお気付きの事ではありませんでした。いえ、ひとり、気付いていた人がいたようです。女流歌人でもあり、作家でもある岡部ちよ子女史が、『瀕死の白鷺』と言う夙川氏の回想録のような小説を、とある文芸雑誌に投稿していました。その内容は鎌倉市七里ガ浜での氏との交友を綴ったものでした。最後は、このような文章で結ばれておりました。

『……、と言う次第で、東京に見送った時の夙川氏の状況は、凄惨な憔悴以外の何物でもなかった。

さて、最後にひとつ、少し気にかかっている話をさせていただく。夙川氏には、ずいぶんと来客が多かったが、その最後は、賑やかな少女の一団であった。わたしは、その少女たちを、庭の散歩の途中で目にした訳だが、中に、恐ろしいほど美しい少女がいた。あまりに美しいものは、哀しく切ない。ただ、美しさが度を超すと、不安で怖いものになる。夙川氏は、異常に繊細な人だった。わたしは、その美少女に、夙川氏の宿命のようなものを感じた。何が、どう、宿命的であったのか、それを語ろうとすれば、筆が鈍る。なぜか分からないが、手が渋る。ただ、それだけを伝えておきたい。

     おみなごの 清き睫毛は など清げ 

清きはいかで 白鷺は病める         』

 ところで、夙川虎之進氏が他界して一か月経った初秋に遺作が発見されました。それは日本軍がノモンハンの国境紛争で、ソ連軍・モンゴル軍に敗退後(本当は勝っていたとも言われておりますが、わたくしにはよく分かりません)、停戦協定を結んだ頃でした。題名は『かくれんぼ』。本の装丁は左綴じで西洋風に、物語は横書きでと、指示されていたそうです。その内容は、ざっと次のようなものでした。

『不思議な国のアリス』で、すっかり有名になってしまったアリス・リデルは、貴族や富豪のサロンに引っ張りだこになってしまう。『不思議な国のアリス』の作者のルイス・キャロルは、社交場への出入りが派手になったアリスから、純真さが失われるのではないか、そして何よりアリスが自分から遠く離れていってしまうのではないかと不安を感じる。ある夜キャロルは貴族邸の庭の噴水の近くを歩くアリスを目にする。声を掛けようと一歩踏み出したとき、一人の貴公子がアリスの方に駆け寄る。アリスは貴公子を認めると、薔薇色の微笑みを浮かべ、恥じらいに身体を捩る。それは、キャロルが見た事のない、アリスの嬌態だった。キャロルはそれから一週間、部屋に籠りきりで一つの物語を書く。書き上げると小瓶の薬を飲んで自殺する。残された物語は、『数式の国のアリス』と言う題名。『数式の国のアリス』は、キャロルとアリスが、フェルマーの最終定理を解く遊びをしているところから始まる。Xは鯛に脚を一本食われたヒトデになり、Yは風に真ん中の枝を折られた白樺の若木になり、Zはシッポを岩に挟んで千切ってしまったガラガラ蛇になり、1が煙突になり、2がアヒルになり、3が毛虫になり、4が旗になり……、こうしてキャロルとアリスは記号や数字たちとだんだん複雑になっていく数式の冒険をする。やがて数式がこんがらがり、収拾がつかなくなった時、大きな柱時計が0時のチャイムを十二回打つ。そのチャイムが呪文となって、すべてのものがこの世から消え去ってしまう。キャロルとアリスも、チャイムの音が一回打たれるたびに、身体は透明になっていき、十二回目で完全に消滅してしまう。

この遺作の最後には、FOR FOREVER INNOCENT A と記されていました。Aは、誰の事かと詮索されました。作者夙川氏の自殺に、Aが関係しているのではないかと話題になりました。評論家はこのAを、アリスのAだと結論付けました。そして、Aは純真さの象徴と解釈され、誉(よ)望(ぼう)に汚れた夙川氏自身の苦悩と対比したものだと深読みされました。かつて夙川氏は、先生のために物語を書くと約束しました。先生はこの遺作が、その約束の物語ではないかと思っていらっしゃいました。ですからこのAは彩子のAなのだと、確信していらっしゃいました。だたその事は、誰にもおっしゃいませんでした。

「わたしは、Aは、彩ちゃんの事だと思うわ」と言ったのは、夙川氏の姪で、先生のお友達の原口貞子さんでした。原口さんと夙川氏は、気の合った叔父と姪でした。その原口貞子さんは昭和四十年に夫と子供を捨て、十歳以上も若い男性と北海道のホテルで心中自殺をしました。

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