第7話

先生が撮影所のスタッフに見送られて正門を出たのは、午後五時でした。ダットサンの後部座席に先生と夙川氏が並ばれました。運転手をいれて三人だけの車内でした。

「良い映画になります」とボソリと夙川氏。

外は暗くなっていました。海風に商店街の幟が揺れていました。先生は浮き立ったお気持ちで、それをぼぅーとご覧になっていらっしゃいました。幟は少女雑誌をめくるように、後ろ後ろへ流れていました。少女ながらもやり遂げた充足感で、胸は張り裂けそうでした。先生はその時まで、そのような充実と満足をお感じになられた事はございませんでした。栗崎その子さんや、いわゆるスターと呼ばれていた人達には、誰一人お会いする事は出来ませんでした。それだけが心残りでした。

「森さん、お腹はすいていませんか?」

「さっき、ドーナッツを食べたから、大丈夫」

お母さんや、親戚の人や、友達は、みんな何て言うだろうか? 羨ましがるだろうなぁ……。先生は口元を少しキュッと引かれ、やや首を傾けられて、後ろに流れる幟を追っていらっしゃいました。

「気にしていますかね?」と夙川氏が言いました。

「えっ?」。先生は、隣の氏を覗き見られました。

「いや、先ほどの小道具の男、気にしていると思いますか?」

「小道具?」

「ほら先ほど、撮影に入る前、小道具の男を責めました。見ていたでしょう」

「あーぁ、はい。見ていたわ」

先生はあの時の、氏の突き刺さるステリックな声を思い出されました。

「いや、言い過ぎたかと」

「気にしなくても、いいと思うわ」

「森さんは、どう思いました」

「わたしですか?」

氏は先生のお目を探るようにして頷きました。

「わたしは別に……」

「君」。氏は前に身体を乗り出して、

「君、明日、あの小道具の男に会ったら、僕が気にして謝っていたと、伝えておいてくれたまえ」と運転手に言いました。

「あっ、はい」。運転手は、バックミラー越しに頷きました。

「監督の大西君も、あきれた目で僕を見ていましたよ。きっと今頃、僕の悪口を言っているに違いない。スタッフもあきれ顔で、いや、笑いながら、僕のことを、気難しい人だ、かかわりたくない、などと陰口たたいていたに違いありません。そう思うと、胃が痛くなってきます」

「おじ様、大丈夫?」

「大丈夫。大丈夫。すぐ治まります」

「森さん、明日、スタッフがどんな感じにしているか、教えてくれませんか」

「おじ様、撮影は今日が最後よ」

「そうだった。そうでしたね」

氏はそう呟いた後、右掌をいっぱいに広げて、親指と小指で左右のこめかみを押さえました。

「おじ様、気分が悪いの……?」

「大丈夫です。……。かかわりたくないと言えば、大西君と少しもめたのですよ。なに、あのあれです。台本を書く時です。一緒に練ったのですが、どうもヤツ、気に入っていなかったようで。当初から、この企画に乗る気ではなかったのか……。どうでした、監督の演技指導とか、いい加減ではありませんでしたか? 手抜きとかしていませんでしたか?」

先生はそう言えばと思われました。京都弁で、「ええ、ええ」と繰り返した大西監督の口ぶりは、投げやりであったように思い出されました。そして先生はつい、

「そう言えば……」と、小さな声をお出しになりました。

「やっぱり、納得していなかったのか。台本を練っていた時も、始終眉を曇らせていました。僕はずっと気にしていたのですよ。台本を見直してみたら、話の展開に強引なところもあるし、不自然と言えば、そう言えます。映画を志賀さんや菊池さんが観たら、なんと言うか。森さんはどう思いました?」

「はい……」

「台本は全部通して読みましたか。そうですか、ではどうでした。思ったことを言ってくれればいいのですよ」

「わたしは、好きよ。ああ言う、ハッキリしたお話が好き」

「気に入ってくれましたか?」。夙川氏の声が弾みました。

「ええ、分かりやすくていいわ」

「分かりやすい?」

語尾を少し上げて返事した氏に、先生はこっくりと頷かれこう話されました。

「ええ、分かりやすくて好きよ。ああ言うお話。いい人と悪い人がハッキリしていて、それでいて、ちょっと捻ってあるお話。おじ様が、得意になさっているお話。本当に好きよ」

それから先生はご自分の両掌にお目を落とされて、

「だけど、最近のおじ様の小説、何だか難しいわ。『螺旋(ねじ)』とか、『東方の友』とか、『馬鹿の生涯』とか、『善妙寺権助の半生』とか、わたし、読んだのよ。難しいの。国語の先生にも尋ねたの。先生も、よく分からなくて。前にはおじ様、『紫の上』のような、分かりやすい物語をいっぱい書いていらっしゃったじゃないですか?」と続けられました。

「飽きられますからね。いつまでも、同じものを書いていたら、飽きられます。それにあの手のものばかり書いていると、馬鹿にされます」

「そうなの?」。先生はお目を上げられて氏の横顔を見られました。暗い影の横顔でした。

「飽きられたらね、お仕舞ですからね。僕たちの仕事は、競争相手がいっぱいいまして」

「それで、最近はああ言った作品、ううぅん……、そう、ほら、独り言のような、日記のような小説ばかりになったの。わたしには、やっぱり難しいわ。心が病んだ人ばかり出てくるわ」

先生は、つい「心が病んだ」とお口から洩らしてしまった事に、しまったと思われました。(おじ様のお母様は脳のご病気だった。おじ様自身も、それを気にしているかもしれない)そう思われた先生は、十三歳なりのお知恵を絞られ、

「おじ様は、普通の方なのに、どうしてあんな変な人ばかり、小説に書くの?」と、先の言葉を埋め合わせようとされました。

「ふ、普通……」氏は、嫌がる反応をしました。

先生はびっくりなさいました。普通と言われたら、氏が喜ぶと思われていたからでございます。氏の嫌がった表情は先生の頭の中に彫り込まれました。

「この手を、握ってもらえますか?」

氏は、唐突に言いました。暗い車内に、大きく薄い手のシルエットが浮かび上がりました。

「どうしたの、おじ様?」

「森さんに手を握ってもらえたら、いい小説を書けるようになるかもしれないと思ってね」

「ええ、良くってよ、おじ様」

先生には撮影の余韻がまだ残っていらっしゃいました。女神になったようなお気持ちで、お目の前の暗い手を握られました。先生はお調子に乗りやすい少女でした。いたずら好きの乙女でした。お優しいお心もお持ちでした。握られた手は、冷たく乾き、ビリビリと震えておりました。氏は先生の手を自分の頬に宛がいました。先生はびっくりなさいました。

「いい小説が書きたい」。氏は先生のお手を頬に擦り付けながら言いました。

「書けます。絶対に書けます」

「ありがとう、森さん」

「正しい人と、悪い人が、ハッキリした。読んで、すっきりする物語がいいわ」

先生のお手は氏の額に持って行かれました。熱が少しあるようでした。

「おじ様、気分が悪いの……?」

「大丈夫、大丈夫……。そう、正しい人と、悪い人が、ハッキリした小説の話でしたね」

「その話はもういいの、おじ様」

氏は先生のお手を自分の腿の上に乗せ両の掌で包み、首を振りました。

「人は、正しいとか、悪いとか、理だ非だとか、簡単に割り切れないのです。だから、そんな単純な小説は、支邦の影響を受けたいけないモノです。芸術じゃあない。軽薄です。…………………。おじさんはね……、そう時々、僕はね、自分の書いた本を、全部焼き捨てたくなるのです」

先生はあまりにビリビリ震え続ける氏の掌に、怖さを感じ始められました。

「人には、色々な面があって、それを『清濁併せ持った』って言うんだけどね、とにかく人は複雑なものです。トランプの束のようです。優しいカード、怖いカード、寂しがるカード、妬みやすいカード、そういったトランプのカードの束です。カードは、自分や他人の運命まで変えてしまいます。僕らの仕事は、そんなカードでゲーム遊びをしてみせることです。志賀さんなど、そこが実に素晴らしい。あたかも詩のような手際です。人を殺したり、化け物を出させたりしてゲームをしない。あれは詩です。僕が、詩の真似事をすると、『螺旋(ねじ)』や『馬鹿の生涯』のような、グロテスクなものになってしまいます。森さんや、森さんの先生が理解できない、へんてこなゲームになってしまう。僕は、詩を書くのが苦手です。つまり、二流のギャンブラーなのです」

先生には話しの内容がさっぱりご理解出来ませんでした。氏はまた少し考えた後、早口でこう続けました。

「二流のギャンブラーは、体当たりするしかないのです。今、こうしていても、誰かが、『螺旋(ねじ)』や『馬鹿の生涯』を読んでいます。そう思うと、裸にされて鉛のピンセットで、僕自身が分析されているようです。ドロドロした怪物なような腫瘍(しゅよう)を抉(えぐ)り出して、笑っているかもしれない。のみならず、稚拙なトリック、単純なアレゴリーを嘲(あざけ)っているかもしれない」

氏は息を呑んだ後、首を横に振り振り、

「人を傷つけるようなものも、書いたかもしれない。いや書いた。あの本でも、あの評論でも書いた。自分の事を棚上げして書いた。傲慢と言う薪から立ち上がる羞恥の焔に、書いた文字を全部投げ込みたい。ああ、すべてが、ふんわりした憂鬱だ」と、下唇を噛みました。それからギョロリとした目を閉じて、何か苦痛に耐えるように俯(うつむ)きました。

先生は氏の話をほとんど聞いていらっしゃいませんでした。ご自分のお手を包んでいた氏の両掌が、怯えて震える小動物のようで気持ち悪く、話どころではなかったのです。氏は俯いたままでした。

「おじ様、大丈夫?」

「大丈夫です。いつものことです。しばらくこうやってジッとしていれば、治まります。キラキラするモノが見え始める前には、いつも、こう、ネジで頭をグリグリ切り込まれるように痛むのです。頭の中の黴菌の臭いもして来るのです」

「夙川先生。どこかでお休みになりますか?。」運転手が声を掛けてきました。

「大丈夫。君、このまま走ってくれ。このまま、じっとしていえば、治まる」

先生は気味悪く思われながらも、お手をそのまま氏の震えに任せられていらっしゃいました。友人の原口貞子さんは、叔父の夙川氏を、気難しい人と言っていました。先生は思われました。気難しいから人が離れていって、おじ様は寂しいのだろう。氏の事が可哀そうになってこられました。先生は片方のお手を氏の掌に重ねられました。氏は俯いた顔を上げ笑顔を先生に向けました。車は宮城前を走っていました。

「森さん、何の話をしていましたっけ? あっ、そうそう、人は複雑だって話でした。僕も、カードが重なったトランプの束です」

先生は手を引こうとなさいました。氏は引かせませんでした。

「人の善悪など、立場や状況で解釈されるものです。外側に見せているカードは、偽りが多いのです。外側のカードがはらりと落ちて、内側の切り札が正体を現します。子供の頃には、白紙のカードが重なっているだけです。汚れていないからです。汚れていない森さんには、僕の話はよく分からないでしょう。ありがとう森さん」

氏はやっと先生のお手を自由にしてくれました。

「森さんに手を握ってもらっていたから、すっかり気分はよくなりました。そうだ、お礼に、森さんにひとつ物語を書こう。約束します。指キリげんまんしましょう」

氏は小指を差し出しました。先生はそこにご自身の小指を絡められました。

「指キリげんまん、嘘ついたらハリ千本飲―ます。約束しました」と氏は言って、再び先生のお手を両の掌で包みました。その時、唐突に、

「あれは、違う。あれは、院政期の様式ではなかった。最盛期の慶派に近かった。あのリアリティーな表現は、鎌倉初期の様式だった。院政様式と言った僕を、今頃笑っているヤツがいるかもしれない。大西君など分かっていたくせに、その場をやり過ごせればいいとの一心で、腹の内で僕の間違いを笑っていたに違いない。それにしても、みっともない発言だった。君!」と氏は大声で運転席を睨みました。

「君、明日、訂正しておいてくれないか。院政期の様式と言ったが、鎌倉初期のものだと僕が言っていたと、訂正しておいてくれないか」

「はぁ、何がですか」

「今日の撮影の時に置いてあった小道具のことだよ」

「小道具ですか?」

「撮影班の人間か、大西君に言ってもらえば分かってくれる」

「あっ、はい。インセキキですか?」

「インセキキではない。インセイキだ。セットの仏像のことだ。仏像のことと言えば、とにかく分かってくれる」氏は、運転席の背凭れを掴みました。こうして先生のお手は解放されたのでした。

 原作夙川虎之進、監督大西康守、主演栗崎その子、映画『青に赤をにじませて』は、昭和十四年四月四日に封切られました。それは奇しくも衣都子先生の十四歳のお誕生日。偶然ではございますが、大正・昭和と年号こそ違え、年度も同じでございました。時の大スター栗崎その子さんの人気は侮れない上に、放蕩な光源氏を剛直なおのこに歪曲させた筋立ては時勢にも恵まれ、新聞や雑誌で賑やかに囃し立てられました。つまり映画は大成功でした。幼少の頃を演じた子役女優の愛くるしさも、また台詞こそありませんでしたが思春期を演じられました先生の美少女ぶりも、衆人の話題でございました。役者になるお気持ちなど更々なく、気紛れのように、その他大勢のお一人のお積りで映画に出られた先生に、芸名などございませんでした。ですからご本名の森彩子がタイトルロールに出た訳でございます。こうなりますと、親族、学校関係、近所の人にしか知られていなかったご出演の事実があまねく知れ渡り、先生は物見高い人の格好の対象となってしまいました。お母様の顧客に乞われれば、お店にお顔を出さなければならなくなりました。見知らぬ人に挨拶され、話しかけられるようになりました。作り笑顔の、お気がお抜けにならない日々が続きました。嬉しいファンレターが届きました。ラブレターのような内容もありました。中には血で書かれた脅迫状もありました。また聞いたところでは、ポスターに小さく載っていらっしゃった先生のお写真を、切り取る騒動もあちこちであったようです。これには主演の栗崎その子さんが妬まれたとか……。様々な煩雑に先生は悩まれました。お母様の店の宣伝には、なったような、いや期待するほどでもなかったような。とにもかくにも、そんな日々が一か月も続きましたでしょうか。その一か月は、嬉しいような、おもはゆいような、しかし割合にご面倒なものでした。

 ところで三日かけて撮影に臨まれた先生でしたが、スクリーンに映られましたのは、三分足らずでございました。几帳前に座って脇息に凭れ掛かり何処かの一点をじっとご覧になっている場面。籠の中の雀を立ってご覧になっている場面。琴を爪弾かれる場面。そして源氏の君を見上げて微笑む場面。カメラは先生を、執拗に、舐めるように、あらゆる角度から撮影しました。映画では、少女から女(をんな)に移りゆく先生のお姿が、間延びした低い琴の音色の中に、溶けいるように映し出されただけでございます。子役女優より出番が少のうございました。でございましても一応、この『青に赤をにじませて』が衣都子先生のデビュー作品であった訳でございます。衣都子先生は、昭和十四年四月四日のお誕生日にデビューなさった訳でございます。

 さて後日の話ではございますが、大西監督がとある文芸雑誌社からの依頼で掲載した一文をここに紹介させていただきます。

『……です。夙川氏は、舞台の念持仏が、摂関時代の様式ではないとひどく拘りを見せました。なるほど、そう言われてみれば、優美さのない、厳しい表情の仏像でしたが、まあ、左程、重要な小道具でもないので、聞き流そうとしましたら、小道具係に怒鳴りつけ始めたのです。あれには小生も参りまして、取りつく島もない状況で、やっと仏像を取り外すことで、その場は収めたのです。その翌日、夙川氏を送った運転手が小道具に、『夙川先生が、申し訳なかったと気にしていたぜ』と言いましたので、小生も少し気が楽になりました。それから二週間ほど後でしたでしょうか、会社に夙川氏から小包が届きまして、開いてみると、平安時代の仏像の本なのです。『この本でしっかり勉強するよう、小道具に渡してくれ』と、添え文もありました。本を受け取った小道具は、夙川氏からの直々の贈り物を、励ましと思ったのか、感涙して押し戴いておりましたが、小生はなんとなく、夙川氏の異常な執念を感じまして、思えば、あの頃には、夙川氏は少し変になっていたのかもしれません。云々』

大西監督が語った『変』は、昭和十四年の夏に事件となりました。

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