どうぞ、隣を空けて頂いて構いません

三月

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 電車に揺られながら文字を打つと、ミスタイプが様になって良い。


 心の底からそう思っていたので自分の感性がズレているか、このスマートフォンに電化製品的寿命が訪れているのか、二つに一つという所ではある。私は三年飛んで(飛んでいないが)二ヵ月を共にしたヒビだらけの薄板を責める気になれなかったので、まだリニア化もしていない架線式列車に文句を付けておく事にして、今後の進退をもう一度確認した。

 駅を降りたら直ぐ目に入った店に、ああいや、餃子屋なんかを探し出してそこに滑り込んで、お腹の方、具体的には喉の壁面に擦れるほどに詰め込んで満足させたら奥まった所にある視神経の束が瞬きする度危険信号を発する位まで飲んで、たまにブザー音で喋り出す相棒を何処かの店に置き忘れよう。そして二度と訪れない。終わり。

 私の計画は身震いするほどに完璧なようで、手先足先から視床下部に至るまで反論は出ない。そこで一つ一つファイルと写真、アプリ、そのアカウント登録、サイト連携、総て手作業で外していく。結局初期化するのだけれど、この手の愉しみ、自分の記録の抹消という手続きを誰かに譲る訳にはいかない。失敗すれば個人情報が筒抜けという代償オマケも付いている。別に構わないけれど。


 機種の通し番号は記憶の引き出し、もはや使い古して取っ手の脆くなった手前の方には見当たらないけれど、英数字の文字列で商標登録されたに違いない手元の精密機械を両手でプレゼントの包みを小突くみたいに扱うのに飽きると、片手を膝の下に突っ込んで遊ばせないようにしてから利き手の親指だけで粛々と工程を進めていく。

 片手を自由にさせておかないのには苦い思い出があって、地元の私鉄沿線に乗り始めて一年と経たない頃、指先を冷気から保護しようと座席奥のほとんど無限に落ち込んでいる様に見えるに手を突っ込んでみた時、粘つくナニカに出くわした事があるからだ。私は子供心に初め、こう思った。『これは心臓じゃないか?』

 実際のところ、それは吐き出されたガムだった。


 少し考えて見ると、故意に私物を置き忘れるというのは何かしらの法、実定的でなくとも所謂いわゆる"神の法"とやらに抵触するのではないだろうか。小心者である私は挑戦的行いの全て、吐き出した唾の全てが空から降ってくるんでないかと日々戦々恐々であって、これ以上の追徴課税は勘弁したい。そして見知った看板が車窓から消え失せるまで考え込んでみたけれど、大した成果は無い。私の行動原理は未開的で行き当たりばったりで、向こう見ずな馬鹿そのものだという結論を導出しただけだった。概ね認めよう。そして私の琴線に触ったのはその部分であって、きっとそれが致命的だった。簡単なコトだ。石に躓いて倒れ込むのに顔を背けるのか?

 眼鏡をしてる連中はまあ、そうするだろうが。

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