第34話 お邦の為に代筆

「先生、この間はご無理をお願いして申しわけありません。それで、あのう…」邦子が淹れたお茶に恐縮しながら邦が云うのに「ほほほ、先生は止してくださいよ、お邦さん。はい、ちゃんと出来てますよ」そう答えて一葉は立ち上がり、自分の書斎としてあてがっていた隣の六畳間から文箱を持ち出して来、中から流暢な筆跡で認められた半紙を2枚取り出しては邦の前に置いた。

「まあ、ありがとうございます、先生…あ、いや、姉さん」感激しながら萩の舎直伝の千蔭流の筆跡もあざやかな手紙を手に持ち小声で「は、拝啓、朝之助様。せ、せ、清涼のこ、候、い、いかが…お暮しでご、ござい…ましょうか」と読字の拙さを露呈しながら朴訥と読むのに「じゃ、ちょっと私が読みましょう」と一葉は手紙を邦から受け取りゆっくりと読んで聞かせる。「拝啓、朝之助様。清涼の候いかがお暮しでございましょうか。先般つれなくも邦を置いて郷里にお帰りになりまして来(らい)、朝夕枕の濡れぬ日はございません。かの日かの折り、夫婦の契り固く賜りて候はヾそれを信じ奉り、斯く懐妊の兆しまで覚えし身をいかにか過ぐすべき……付きましては返信をば賜りてこの邦の身の振りよういかがなさいます所存か、とくとお聞かせ願いたく候。ゆめ返信を賜らず、このまま捨て置くことなどなきよう切望致しまいらせ候。万一にはお上に訴え云々も無きにしも非ず、重ねてゆめ捨て置きなさいますな。戦々恐々。朝之助様へ。桜人とどめ行きし夫(つま)待つ、あなたの妻、邦より」

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