第17話逞しくなった腕

「まあ!旦那様ったら…また護衛騎士に稽古をつけてもらっているんですの!?」

窓に張り付いてハラハラしながらその様子を見つめる。時折かつんかつんと木刀の打ち合う音が聞こえてくる。

シーツ交換に来たマイロが、手際よくベッドメイクをしながら言った。

「寝ていた分、少しずつ体力をつけないといけないのだそうですよ」

「そうかもしれないけれど…心臓にご負担じゃあないかしら」

「すっかり毒気が抜けて、食事もだいぶ気をつけるようになりましたし、適度な運動はむしろ健康維持に役立つのだそうで」


とはいえ、どうしても心配が先に立ってしまいウロウロしながら「ああ」などと言って背伸びしたり、窓に手を置いたりしていたのでマイロがくすくすと笑い出した。

「すっかり逞しくなられて、少しくらい無理をしても大丈夫とレンダー医師のお墨付きを貰っていますから」

「でも…」

振り返るとマイロは複雑そうな顔をして私を見つめる。

「…我が家の旦那様を大切に思っていただいてありがとうございます。私が言うのも変ですが…。でも、私はヴァンルード侯爵邸での奥様も知っているので」

「そうね。本当にそうね」

「失礼は重々承知です。奥様はあんなにもヴァンルード侯爵を愛していらっしゃった」

「ええ、そうよ。でも私は決してヴァンルード侯爵に愛されていなかったの。ねえ、マイロ。私今とっても幸せよ。以前の私に会えるなら、しがみついていても真の幸せは手に入らないってそう伝えたいわ」

「…そうですね」

柔らかく笑った彼女は、止めていた手を再び動かしてベッドメイクを完成させると一礼して退室した。

変わったのはマイロもそうだ。いや、こちらのマイロが本当の姿なのかもしれない。

共にお茶をしたり、談笑したりというのは、よく考えれば、偵察・監視の為の行動なのだ。

それに気がつくと少しだけ切ない気持ちになる。

窓の外で旦那様は汗を拭っていた。

上から見下ろす格好なのでよく分かる。寂しかった頭髪は、健康的な生活環境からすっかり量が増えた。並の成人男性となんら変わりない。


(あれが旦那様の本当の姿)


だけれど、太って少ない頭髪の彼が偽物の姿というわけでもない。

(どれも全て真実あなただわ。ならば私もきちんと確認しなくては)


部屋のノックが鳴らされる。

「奥様、昼食はいかがですか」

「ええ、今行くわ」





✳︎ ✳︎ ✳︎





きゅうりのサンドイッチ、鴨のソテー、バルサミコのドレッシングをかけたフルーツサラダに、野菜たっぷりのミネストローネ。

とても健康的な食事だろう。

旦那様はそれを少しずつ少しずつ味わって食べている。


(本当に変わられた)


もともと筋肉がつきやすい体質なのか、この短期間で並の成人男性以上に筋肉がついてきたように思う。

最後に残ったオレンジを口に頬張ってナプキンをテーブルに置くと「さて」と言って私をじっと見た。

「何やら言いたげだね?」

どうやらすっかり顔に出てしまっていたらしい。

「私ったら本当に考えていることが顔に出てしまうんですわ。手品師には向いていませんね」

「さあ?君は私を生き返らせたからね。何かまじないくらいならできそうだが」

「本当の魔女かもしれませんわ。この髪だってその証かも……」

「君が魔女なら喜んでこの命を差し上げよう」

「…変なことを仰らないで」

「リリア」


ぎゅうとナプキンを握って、その拳を見つめる。

「それほどまでに私を愛してくださっている旦那様なのに、なぜ姉と結婚されたのです。打診したのは姉と父ですけれど、結局よしとされたのはあなたでしょう」

「………」

「どうして黙るのです。言えないわけでも?私はたくさんの恋の経験はありませんから、殿方がどのようにお思いかなどとんと疎いもので、要らぬ詮索をしてしまいます。なんだかんだといいつつも女に言い寄られればころりとそちらに行ってしまうものなのですか」

「違う!……あれは私の嫉妬だ。私は初めから君がヴァンルード侯爵に恋をしていたことを知っていたんだ」

「それでも私に求婚をしたのは貴方では?…ごめんなさい、こんな問い詰めるみたいな言い方…まだ本調子ではないのに。この話はやめましょう」

私が席を立つと、旦那様は私の腕を掴んだ。

「本当にすまない。今なら分かる、私が悪かった。だから私の話を聞いてくれないか、いや聞いて欲しい」

そのままぐいと引っ張られ、膝の上に腰掛ける格好になった。


(ええ!?)


思わず旦那様を見ると、潤んだ瞳をしっかりこちらに向けるので、驚いてなんとか降りようとするけれど、いつの間にか逞しくなった腕がそうさせてくれない。

目の前がぐるぐるして、この場をとにかく切り抜けなければという思考になり、じたじたしていると旦那様の胸に触れ、それで鼓動が早くなっているのが分かった。

「お、お身体に触ります…ほ、ほら、旦那様も脈が早くなっていますわ」

「それは…本当に好きな女性に触れればそうなる」

「よく分かりました!もう、もう降ろしてください!」

そう言っているのに、なぜ腕の力が強くなるのだろう。

「リリアは、私に触れられるのは嫌か」

「嫌でしたら、お身体を拭いたりなんてしません!」

と言ってハッとした。

旦那様は私の肩に顔を埋めて、ぎゅうとまた抱きしめられた。それで私は観念してそのまま力を抜いた。


「…私はな、君がヴァンルード侯爵に想いを寄せていることに嫉妬していたんだ。折角君と婚約したのに…。君の父からリリアではなくフォレスティーヌと結婚してくれと言われて、しかもリリアはヴァンルード侯爵と結婚させるからと聞いて…もうなんでも良かった。どうでも良かった」

「え…?嫉妬…ですか」

「私はな、君を寵愛して、君を最高に着飾って、君が何も怖いと思わない、生まれて来て良かったとそう思える世界を"私が"作ってやりたかったんだ」

「そんなことをお考えに?たかが私に?」

まさか、という気持ちになる。なぜ私ごときに。


「実家での君の扱いは不当だよ。いや君に対してというより…こんな言い方は失礼かもしれないけれど、ご家族一人一人が到底まともだとは思えない。父君も姉君もそして母君でさえ、自分たちの異常性に気づいていない。全員自分こそがこの世で一番まともだと思っているからだ。あの家族と正面から向き合っていたら、リリアの心が壊れるのは時間の問題だろう。…私こそ君を救えるのだと…でも」

「でも?」

「フォレスティーヌを差し出されて、私は望まれていなかったんだと、リリアに拒絶されたんだと、そう思った」

旦那様はまだ私の肩に顔を埋めたまま。泣いているのかもしれなかった。

「旦那様?」

「太った醜い私を拒絶しなかったただ一人の女性に、本当は拒絶されていたんだと考えると死んでしまいそうだった。君が本当に幸せと思える場所はヴァンルード侯爵の元にあったのだと…でもそれは違った。私はフォン男爵とライラック子爵令嬢の結婚式で君に対してわざと失礼な態度を取ったんだ。しかし彼は私を嗜めなかった」

その言葉に、いつかの答え合わせを聞いた気がした。

旦那様の背中をさすり、ゆっくりと首を振った。

「いいえ、私は幸せでした。たとえ本当の愛ではなくても。薄々気付いてはいたのです、男女の愛情のそれとは違うと。自覚するのが怖かった。……私は愚かだから」


顔を上げた旦那様の頬に涙の筋が見える。

「君は聡明だよ。私が知る誰よりも」

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