第16話君に聞いて欲しい長い話し 2 (カールライヒ伯爵視点)

それから

私は君にお礼がしたいと思って、レントバーグ家にお邪魔した。


綺麗に洗濯したって私の血を拭ったハンカチを返されても嫌だろうから、新しいハンカチを買った。

特に何の特徴もない、白いレースのハンカチだ。


通された応接間で君と君の父君が私を迎えてくれたのだけれど、その時の違和感と言ったら説明のしようもないほどだった。


まずは君の父君、レントバーグ子爵の満面の笑みだ。

お礼をしに来た私に対して、まるで欲しいものがもらえた子どものような笑顔だった。

恐らく二、三度挨拶を交わしたことはあったけれど、彼はいつだって笑顔だ。社交辞令だな、それはまあ分かる。

だが、お礼をするために訪ねた私に対してとなると少々不自然な程の笑顔だった。


それから君だ。君は終始父君に対して気を遣っている風だった。

次第に話題は父君の自慢話になった。まあこれは中年の貴族男性ならありがちと言えるが。

家族ならば億千回と聞いただろうその自慢話に、君はまるで初耳かのように聞き入り、合いの手を打っていた。

客人は私だ。気を使う相手が違う。


些か恐ろしくなったところで、父君が一度退出した。

そこで君は具合でも悪いのかと思うほどの顔色になって、私をちらりと見ると「父の話ばかりで気持ちの良いもてなしができず申し訳ありません。適当なところでお帰りください」とそう言った。

私は「こちらがお礼に伺ったのにもてなしてもらおうなどと思っていない」とそう言ったと思う。

君はますます申し訳なさそうな顔をした。

「なぜそんなに父親に気を遣われる?」そう訊ねると、君は時間をかけてゆっくり言った。


「恐ろしいからです」


西陽が差し込み、やや蒸し暑くなったサロンで君の髪がチカチカと見えた。君はぴったりと動かないので、まるで時が止まってしまったかのようだ。額から落ちる汗と、時折風に揺れる葉の影が時間の流れを教えていた。

七色を浴びた銀髪があんまり輝くので目を擦ると、父君が音もなく私の隣に立っていて、影のある眼差しを私に落とした。

驚いて肩が跳ねたように思う。

すると父君は途端ににこやかな顔を戻って「さて、どこまで話しましたかな」と言いつつソファに座ると、君は視線を逸らせて明らかな狼狽を見せた。

「すみません、これから取引先と商談があるのです。続きはぜひ後日日を改めて」言って手揉みした。


父君は真顔に戻って「客人がお帰りだ」その言葉に、執事の一人が扉を開けて退出を促した。

奇妙だ。お礼に来たとはいえ、私は伯爵の身分。見送りもなしとは。

ため息混じり、部屋を後にし扉が細く閉じられる刹那、絶望の顔をした君と目が合った。


執事の歩幅は広く、私に合わせようと言う気はないらしい。

(早く帰れとそう言うことだ)

だがこの時ばかりは太っちょが幸いした。

はあ、と息をついて


歩くスピードを合わせないとは、この体型を見よ


とそう言わんばかりに壁に手をつけ執事を見た。

彼は視線を逸らせる。主人のいいつけと客人へのマナーの間で心が揺れている。

身分差があるとはいえ、他人の家にまで口出しするほど弁えていないわけじゃあない。

だが君の言葉と絶望の顔が、目に刺さるほどの頭髪の煌めきが、あの日私を助けた勇気ある行動が、なぜこんなにも君の人物像を歪めて見せるのだろう。

本当の君はどれなんだ。


気がつくと私は踵を返していた。

追ってくる執事の足音が乱れている。慌てているのだ。慌てるなりの理由があるのだ。


私は扉の前に立つ。部屋の中から怒声が聞こえる。

「貴様は、なぜ気まぐれに人を助けたりなどするのだ!つまらんことをしやがって!人を助けて良い気持ちになりたかったんだろう!卑しい娘だ!伯爵がわざわざこちらに来る羽目になった。却って失礼だろう!貴様のせいだ!先々のことまで思い至らない馬鹿だ!私とて彼のことはあまり知らないんだぞ!私が話をしなければ、伯爵とて気まずいじゃないか!」


(なるほど、私はリリアの方に用があって来たわけなのに、父君まで同席したのはいらぬ配慮か)


ドン!と何かを叩く音がする。

気がつくと私は「失礼」と言って入室していた。

疲れた顔の君がこちらを向く。怒鳴り声をあげていた父君は一瞬息が止まる。


「いやあ、すみませんな。ここに来た本来の目的を伝えずに帰るところでした」

驚いた父君は顔を真っ赤にして立ちすくんでいる。

君は唇を戦慄かせた。「なぜ戻って来たのだ」そう言ったのかもしれなかった。

私は、君とそれから父君を見てしっかり言ってやった。

いや、言ってしまった、という表現が近い。


「リリア・レントバーグ嬢を見染めました。どうか私と結婚していただけないだろうか」

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