第7話 待ちわびた始まり

 話がひと段落するとサームはお茶の用意を始めた。サームの手伝いをするようになってからお茶の準備は弟子がしなければと願い出たのだが、サームにはお茶に対する並々ならぬこだわりがあり、淹れ方は教えてもらえるがサームが飲む分に関しては自分で淹れないと気が済まないらしいのでお茶は諦めた。


 サームは湯のみを二つ机の上に置くと、振り返り棚から分厚い本を二冊取りエルの前へ置いた。長く使われているであろう本の数々が整然と並べられているがその本のどれにも埃は溜まっていない。本の表紙をのぞき込むと【基礎錬金術要覧】【薬草学手引書】と書かれていた。表紙しか見ていないのにエルの心は弾んでいた。いよいよ始まるのか。そんな期待に心は跳ねていた。




 「これは錬金術の基礎的な技術とそれに関する必要な知識が書かれておる。そしてこちらのほうは調合に必要な様々な薬草の種類と効能などが書かれてある。まぁ、普段の採集の際に学んでいる知識をこの森以外の植物についても知る為の本じゃな。」


 「見ても良いですか?」


 「もちろんじゃ。」




 【薬草学手引書】を自分の方へ引き寄せ大事に表紙を開く。そしてパラパラと頁をめくっていくと様々な植物が挿絵付きで描かれており、説明や注釈なども細かく書かれていてこれは読み終わるには相当な時間が必要だと感じた。しかし、エルは笑顔で次々に頁をめくっていく。この本の中に自分の未来への可能性が詰まっている。そんな気がしていた。




 「すぐに全てを覚えなさいとは言わない。しかし、もしスキルを手に入れて国に認定資格を貰うとなる事が出来るようになるならば、その頃にはこの本の中身は全て頭に入っていなければいかんぞ?」




 えっ!?思わずサームの顔を見た。サームはいたずらっぽい顔でエルの頬をつんつんと突く。




 「なにを驚いておる。それまでどれほどの年月がかかると思っておる。スキルや魔法を得るのとは違って国の認定資格は簡単に取れる物ではないぞ?まずはおぬしが成人の儀を終えねばならんし、勉強や見習いの期間を含めれば薬師は8年ほど、錬金術は15年ほどで資格が取れれば早いもんなんじゃぞ。それほどまでに高い知識と経験が必要とされる。だから焦るなと言ったのじゃ。」




 そうか。当たり前だ。2~3年で取れてしまうような資格なら国は薬師と錬金術師だらけになり珍しくも何ともない職業になる。どちらも長い修行を経てこそ辿り着ける高みなのだろう。しかし・・・10年以上もかかるのか・・・分かっていたとは言え長い長い道のりになりそうだ。だからこそサームの偉大さが分かるのだし、それに挑戦したいとも思えるのだが、それも全てはスキルを手にしないと辿り着けない高みではある。




 「はい。少しづつ身に着けていきたいと思います。」


 「そうじゃ。そうじゃ。あまりに早くに一人前になってこの家を出ていかれても爺は寂しいぞ?」




 サームの言葉に顔が赤くなり思わず俯いてしまう。もちろんお師匠様と離れるつもりなどない。でも、お師匠様は自分の将来を考えてくれている。まだ知り合って間もない、どこの子とも分からぬ自分と離れるのが寂しいと言ってくれる。




 「お師匠様のお役に少しでも立てるように自分も一人前の錬金術師や薬師となれるように精進します。」


 「錬金術師や薬師で無くとも構わん。エルが生きたいと思う道を見つけなさい。おぬしがおぬしの命を諦めずに済む道をゆっくり探していきなさい。」




 サームは打って変わった真剣な眼差しで見つめてきた。それはエルが森の中で自らの命を諦めかけていた状況の事を言っているのだろう。自分の命を捨ててでもあの地獄から抜け出したかったあの日。しかしそれは同時に自分の生き方が変わった日でもある。この小さな可能性の灯を消さぬよう灯し続けていこう。




 「はい。お師匠様。簡単な調合の為に必要な機材や技術として学ぶとよい物はなんでしょう?」


 「ほぉ。なぜ錬金よりも先に調合の技術を知りたいと思ったのじゃ?」




 サームがエルの顔を覗き込む。短いお付き合いだけれどエルには自分が試されていると分かった。




 「はい。まだ【基礎錬金術要覧】を読んでいないので錬金術と言うものがどのようなものなのかは分かりませんが、お師匠様と一緒に住まわせてもらえるようになって一番触れているのが森や畑の薬草です。自分が見てきたもので一番この二冊の本の中に知識があるものとすれば薬草の知識なので、分かるものから調べていこうかと。」


 「何とも・・・つくづくおぬしは子供とは思えぬ考え方をするのぉ。まぁしかし・・・そうじゃな。森で採集した時に教えた効能などの他にも教え切れておらん事などもある。それを本を使って補足していくと効率的じゃな。」




 今、錬金術の知識は全くない。生活に関りがある薬草や植物の知識は少しづつではあるが教えてもらっている。ならば新しい事にどんどん挑戦するよりも学び始めていることをしっかりとまず身に着けてから新たな事に取り組んだ方が気が色々な方向へ散る事無く収集できると考えた。




 「よしよし。ではここまでに話した以外の事で何か聞きたい事はあるかの?」




 この家に来て、エルはずっと気になっている事があった。知りたいとは思っていた。しかし、これからのエルの向かう方向とは関係ないような事に思えて聞けずにいた。しかし・・・




 「錬金術や薬草学とは関係ない事ですが構いませんか?」


 「答えられる事であれば構わんぞ。」




 エルは少し迷う。




 「・・・・魔法とは何ですか?」


 「魔法?エルは魔法を知らんのか?」


 「・・・聞いたことはあります。でも・・・見たのはここでお師匠様が水瓶に水を入れている時に見たのが初めてです。」




 サームは驚いた顔をする。なぜ?魔法とは人に見せてはいけないものだったのか?まずい質問をしてしまったのかも知れない。


 するとサームから思いもよらない事を聞かれた。




 「エルは開路をしておらぬのか?いや、魔法を知らぬと言う事は魔素と言う言葉も聞いたことがないのではないか?」


 「聞いたことがありません。お師匠様が水の魔法を使われていたのを見て本当に驚きました。牢の中に入れられていた奴隷達も魔法さえ使えればここから逃げられるのにとよく言っていたので、どれだけ凄いものなのだろうと。ずっと・・・気になっていました。」


 「そうか・・・開路もまだならばエルが隷属の首輪をされていなかったのに合点がいったわい。隷属の首輪は個人の魔力に反応して効果を発揮するからの。子供の頃から牢の中におるならば恩恵でスキルを得ていない限りスキルを持っている可能性も低い。魔力もスキルも持っていない。だからこそ首輪を使わなくとも逃げられる心配が少ない。」




 そしてお師匠様は考えるしぐさをする。




 「・・・ふむ。ここの部分にエルが危険なく森で進めた原因があるように思えるが。。。ふむ。。。いや、今はよいか。まずはエルの知りたい事を少しづつ答えていこうかの。」




 険しい顔からいつもの温和な笑顔に戻っていた。




 「僕は・・・何も知らなくて・・・。魔法も錬金術も薬学も。」




俯くエルの頭にぽんっと手を置き、エルの髪をぐしゃぐしゃっと荒く撫でる。




 「エル。知らぬ事は恥ではない。教わる事も同じじゃ。最も恥ずべきことは自分の知らぬ事に興味を示さず知る術すべを探ろうともせず諦める事じゃ。今日はここまでにして、また明日続きを話そうかのぉ。」




 知る事を諦めない。エルはまた道を歩んでいく為の光を与えられた気がしていた。


 いただいた二冊の本を大事に抱え自室に戻る。夕食の後、少しだけと思いながらも深夜まで読みふけってしまった。

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