雨の日、ドライブ

澳 加純

雨の日、ドライブ

 おや、雨が落ちてきちまいましたねぇ。



 ポツリ、ポツリ、大丈夫ですかい。そうこうしている間に、本降りになりそうな雲いきでごぜぇやすねえ。あっちの空が真っ暗でぇ。



 ああ、信号に引っ掛かっちまいやがった。

 右折車が、モタモタしてやがって。さっさと行かねぇもんだから、車が流れねぇじゃありやせんか。あと1台か2台は、右折矢印の点灯している間に、行けたはずでさぁ。後に控える車のことも考えて欲しいもんですね。

 それでなくても夕方のこの時間帯は、気忙しくていけねえや。



 仕事を終えて家路につこうっていう旦那衆や、タイムセールを狙って買い物に行くおかみさん方、つまんねえ憂さを晴らそうってンでこれから飲みに繰り出そうって魂胆の若い衆とか、いろんな人が往来に溢れてんだ。交通渋滞も起ころうってもんでさ。



 ま、この車のハンドル握ってるこのお人も、そのひとりだわな。

 ねえ、おかみさん。目の下にうっすら見えるも、チャームポイントでごぜえやす、てか。おっと! こりゃ、口が滑りました。謝りますって。だから、そんなに怒んないでくだせぇましよ。

 ほら、アクセル強く踏み過ぎですって!



 パート仕事終えて、保育園に預けてた子供を迎えに寄って、家路に付こうってんだ。家事に育児に仕事って、よく頑張っているじゃないですか。

 よっ、働き者! 今日も一日、ごくろうさんでやしたね。あともう少しで、我が家でさ。ここで気ィ抜いちゃ、いけやせんからね。



 おっと、助手席に座る坊ちゃんは、ちっとばかしですかねぇ。あくびしてますぜ。保育園でお昼寝したんでやんしょ。おっかさんの顔見たら、安心しちまったんですかねぇ。さっきまでちっちゃなお口で、保育園での出来事を話していやしたのにね。

 子供ってのは、かわいいもんで……。

 へへへっ、坊ちゃんを見るおかみさんの顔、いいねぇ。いや、ホント、いい女だよ。



 そういやぁ、ここの交差点、スクランブルでしたっけ。待たされることになりそうですぜ。

 おっと、こりゃ、マズい。雨脚が激しくなってきやがった。急いだほうがよさそう……って、赤信号じゃ止まるしかねぇか。急がば回れ、ですって。

 ひゃあ、あすこにパトカーがいるじゃござんせんか。ようござんしたね。信号無視なんぞしようもんなら、ウ~ってサイレン馴らされて、即座に「御用!」でさ。くわばらくわばら。



 そりゃそうと。

 おかみさん、そろそろおいらを動かそうって気にはならねぇんですかい。


 おいら、ですよ。お・い・ら。


 そう。心当たり、あんでしょ。そうそう。わかりやしたか!

 おいら、『ワイパー』ですよ。



 ヤだね、なに焦ってんですかい。

 え~~、ワイパーって、どうやって動かすんだっけ!? って、あんたねぇ。こんなのハンドル握る人間の常識、一般常識に近けぇ基礎知識ですぜ。


 ほら、そこの左のレバー。それそれ。そいつを下に、です。


 見ててくだせえ。フロントガラスの上を一往復すりゃ、ほら、視界が良好になったでしょうが。

 ふうぅ。これでおいらも一肌脱げるってもんで。なんたって運転手がレバー操作してくんなきゃ、動くことも適わねぇんですからね、機械ってのはツライねぇ。



 ついでにライトオンしちゃ、いかがです。薄暗くなって来やしたでしょ。早めのライトオンで、対向車や歩行者にこっちの存在を気付いてもらうのも、交通安全のひとつの手だと思いやせんか。


 ちょっと、おかみさん。どこを押してんですか! そいつぁあ、ハザードランプですって! そこも違いやす! それはカーラジオのスイッチですよ。

 ああもう、この状況で《Queen》のその曲が流れて来るってのは、なんてェタイミングなんだろうねぇ。は勘弁して下せえ。


 ひええ、おかみさん。なにやってンすか! 左足、左足はしっかりブレーキペダルを踏んでなきゃダメでしょ!

 そう、それですよ。それ! さっさと押して下せえってば。点きやしたか、点いた! じゃ、ついでにウィンカーも出して!



 はぁ、寿命が縮みやしたよ。この調子じゃ、この車、次の車検まで――ええっと、あと1年3ヵ月でしたっけ――持ちますかねえ。


 違いますよ。おいらが言いてぇのは、耐久性の問題じゃありやせんよ。おかみさんの運転じゃ、いつ事故起こして大惨事ってこともあり得るんじゃねえかって思えて来るんで。

 次の車検まで、事故らずにいられるって自信がおありなんですかい。みんなで仲良くあの世へドライブなんて、御免こうむりまさ。

 なんでぇ。そう、むくれなさんな。美人が、台無しでぇ。


 だってね。さっきからおかみさんの運転技術ドライブテクニックを拝見してンと、なんとも心もとないっていうのか、マジで心配になってくるんで。


 習いやせんでしたか、教習所で! ホントに免許証持ってンすかぁ? 

 あー、おかみさん、初心者マークでしたっけ。

 違う!? それにしちゃ、下手くそで。



 しっかりしてくだせえよ。あんたのハンドルさばきに、助手席でチャイルドシートに収まっている坊ちゃんの命も掛かってンすからね。

 どうせ下手くそですって、開き直りですかい。車の運転なんて、好き好んでしている訳じゃない、私に車の運転は向いてないって。

 おいおい。この場に及んで、泣き言なんぞ言わねぇで下せえよ。じゃ、なんで、ハンドル握ってんですか。


 ――はぁ。通勤や買い物、坊ちゃんの保育園のお迎え、ケガや発熱……緊急時の通院に対処すンのだって車の方が便利だとご亭主に説得させられた――んですかい。

 で、免許取得以来一度としてハンドル握ったことの無ぇ、ペーパードライバーだったおかみさんが、我が子可愛さに一念発起してハンドル握った、と。止むに止まれぬ理由があったんですね。

 そりゃまた、大変なことで。お察ししやすよ。



 でもね、おかみさん。初心者だからって長いブランク持ちだって、ハンドル握りゃいっぱしのドライバーなんですぜ。

 泣いてる場合じゃござんせん。落ち着いてくだせぇってば。


 ほら、信号変わりやすよ。ハンドル切って、アクセル踏んで。ゆっくり踏み込んでくンですよ。右足でござんすよ、分かりやすか? そうそう、やれば出来るっしょ。

 ハハハ、馬鹿にするなって。その意気ですって。





 とうとう本降りになりやがった。

 路面が濡れて滑りやすくなってきてますから、注意して下せえよ。歩行者にも、要注意だ。こっちもフロントガラスやミラーが水滴で濡れて視界不良ですが、あっちも傘が邪魔になって周りが見えにくくなってんだ。

 どんだけおいらが頑張って視界を確保したって、おかみさんが注意散漫じゃ、どうしようもありませんよ。ほんとにわかってんですかぁ。


 あ、スマホが呼んでるぅ? そんなの、後回しですっ!!



 おや、坊ちゃん。なに、見てんだい。

 え、おいら? おいらが動くのがおもしれえって。

 坊ちゃんは、いい子だねぇ。そうでさぁ、おいらの仕事ってのは、こうやってフロントガラスに打ち付けた雨粒を弾いて除けることなんで。

 規則正しく左右に動いて、おっかさんの視界を確保してンでさ。地味な仕事かもしれやせんが、大事なお役目なんでね。

 なにが面白いのかしらって――そんな連れねえこと言わんでくだせえませんか。おかみさんにそんなこと言われちゃ、みじめな気分になりやす。



 下から上、左から右、おいらが動く方向に、坊ちゃんのお顔も動きやすねえ。

 男の子ってのは、動くもんが好きなんすよ。興味が湧くってンですかい。


 ずっと昔に狩猟生活をしていた頃の名残なんですかねぇ。獲物が取れないんじゃ、おまんまの食い上げで、なにがなんでも取らなきゃなんねえ。動くもんに反応しちまうってのは、ど~しても獲物を狩らなきゃなんねえって強~い決意が、遺伝子の中に残ってんのかもしれやせん。

 ちっこいながらも、坊ちゃんも男なんですねぇ。


 ――あ。すいやせん。ワイパーの分際で口幅ったいこと言っちまいやした。



 おっと、坊ちゃん。いくら面白れぇからって、そんなに身を乗り出しちゃ、シートベルトが身体に食い込んじまいますぜ。あぶねぇ、あぶねえ。

 おい、チャイルドシートの野郎め。おめぇも、なんだって、まだ小さくて柔らけぇ坊ちゃんの身体をこれ見よがしに押さえつけてンでぇ。こちとらおめぇのその頑固な態度が許せねえ。

 なに、これがてめぇのお役目だって。こうしてお坊ちゃまの安全を確保しております。奥様からお坊ちゃまの安全を申し付かっております、だと。なんでぇ、高尚ぶりやがって。

 まあ、おめぇさんも、お勤めご苦労さんだな。お互い、安全を守る仕事ってのは、見ようによっちゃ、人から恨まれることもあんのさ。

 ――へ、おいらはただのワイパーで、雨避けてるだけだろうって! ちくしょう、やっぱ、おめぇはいけすかねぇ野郎だ! 


 坊ちゃん、おいらは逃げも隠れもしません。こうしてあんたの目の前で、晴れの日も風の日も、お役目を果たそうってずっと控えていやすからね。雨が降ったら、すぐにおっかさんにねだって、おいらを呼び出しておくんなせえ。

 そら、どうです。今日は心おきなく、おいらの仕事っぷりを眺めていてくだせぇよ。ああ、うれしいねぇ。



 だから、おかみさん。対向車のライトには、気ぃ付けて下せえってば。おいらがちょいと目を離した隙に、なにてんですか! 

 対向車に突っ込むとこだったでしょ。

 なになに、ライトがまぶしくて車間距離が分かりづらい。

 今度は、そこ――!?


 あのね、フロントガラスが汚れてっから、油膜が貼っちまって、かなり見えにくくなってンですよ。ちゃんと洗車する時に、油膜取りもしやしょうや。おいらじゃ、油膜は取れねぇですからね。

 イイッ、知らなかったぁ? おかみさん、ホント何にも知らないんすね。あ、メンテナンスはご亭主に任せてある? そんじゃ、今晩にもご亭主に言って油膜取りしてくれって言ってみちゃいかがです。


 マジ、あぶねぇんで、早めに処置して下せえよぉ。



 ひぇぇ! 今、後輪滑ってやしたよ。言った側から、次々とおひとだね。

 視界だけじゃねえ、雨の日はスリップ事故も多いし、ブレーキの利きも悪いんだ。ヤダぁ、怖かったじゃねぇだろが!


 ああ、もうこりゃ、走る凶器だね。

 え、聴こえなかった? Once more please――英語できやしたか。教えやせんからね。ん~、そんな睨まなくたって、いいじゃねぇですかい。今のは聴こえなくていい話なんでさ。


 はぁ。ヤだね、おかみさんは地獄耳かい。うかつなこたぁ言えねぇなあ。



 それよか。ほら、隣の坊ちゃんもビクビクしてんじゃねぇですか。

 なんでって、そりゃおかみさんの不安が、坊ちゃんに伝わってンです。子供ってのは、敏感なんスよ。将来坊ちゃんがハンドル握るの嫌がったら、おかみさんのせいですぜ。幼児期の恐怖体験が記憶に刷り込まれて……とかね。


 インプリンティング効果とか、言うんでしょ。生まれたばっかのひよこに動くおもちゃの人形見せると、そいつを親だと思い込んじまう。よちよち後をついて歩いていく。ありゃ、怖ぇもんですよ。親でもねぇモノ、親だって思い込んじまうなんてね。

 おかみさんがハンドル握るたびに、あーだこーだとわめいてピーピー泣いていたら、坊ちゃんは車の運転はよかねえことだと思い込んじまうってもんですよ。そんなことありえない――無けりゃそれに越したとたァないんですがね。絶対ェって、言いきれます? 幼児体験ってのは、後引くそうじゃござんせんか。


 脅かすな、って。

 そりゃおいらは部品パーツで、車体ボディじゃありやせんがね。それでも車の一部なんでさ。悪く言われんのは、黙って見ちゃいられねえ。

 おかみさんは、まがりなりにも親なんだからさ。もっと自信持った態度で接してやんねぇと子供はかわいそうってもんだ。車の運転だってよ、そんなにビクビクしてたんじゃ、事故の方からこんちは~って寄って来ちまいまさ。


 ほら、次の交差点、左折でしょ。ウィンカー、ウィンカー出して! 

 遅せぇでしょが!



 この雨、明日の朝には上がりますかねえ。早く上がるといいんですがね。雨が降んねぇとおいらの商売あがったりだが、やっぱ朝はお天道さんの晴れ晴れとしたお顔を拝みてぇでしょ。

 おかみさんの雨の日ドライブに付き合うのも、大変だしねぇ。

 へへっ、冗談ですよ。


 幸いここから家までは、ほぼ直線コースでやんしょ。よかったじゃねえですか、これ以上雨がひどくなんねぇ内に、お帰んなさい。


 え? スーパーに寄りたい? 


 これからですかぁ。ますます視界が悪くなってきてんですがね。

 晩飯のおかずが無い――と来ちゃあ……。


 しょうがねぇ! ほら、気張って行きましょうや。その先の信号左折じゃなかったですかい、行きつけのスーパー。


 おいらも、及ばずながらお供しますぜ。





 もちろん、駐車場までですがね。


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雨の日、ドライブ 澳 加純 @Leslie24M

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