本編 

 札幌、大通公園。

 2月はまだ寒く、鼻先が冷たい。

 大通公園は既に雪像が撤去され、いつもと変わらぬ、冬の雪に包まれた公園の様相を呈している。奥にはテレビ塔。ライトアップがビルの間の闇にすら居場所を与えようとしないように光り輝く。200万都市の光だ。

 白い息を吐きながら、ポケットに手を突っ込んで、おれは大通り駅五番出口の扉を開き、階段を降りる。

 地下駅は暖かい。

 もう、既に夜は深まっている。平日の夜だ、地下歩行空間の通行人も昼と比べて少々減っている。帰宅のためのサラリーマン、バイト帰りの学生、よくわからぬ人、酔っ払い、エトセトラ、エトセトラ。地上の冷たさを示すように、皆ダウンジャケットや厚手のコート、手袋にマフラーを身に着けている。彼らには、おれはきっと薄着に見えるのだろう。

 仕方がない、本州の南から一昨日、急に北海道こっちにやってきたのだから。防寒着など、フロックコート一枚程度だ。

 そんな軽装で歩く札幌の都市は、隙間なく立ち並ぶビル群と道端に積もる雪のコントラスト、そして踏み固められ、ツルツルと凍った歩道なども相まって、随分不親切で、冷涼で、突き放してくるようなものに感じられた。

 だがまあ、建物内の暖かさはより、沁みるものがある。


 地下街オーロラタウンの商店を眺めながら、ふらふらと、体が温まるまで散策を続ける。そう長い通りではないが、初めて見る分には楽しい。多くの商店が整然と店舗を連ね、多くは服、装飾品店である。その他にもカフェ、土産物屋、携帯ショップ、マクドナルド……通行量が多く収益性が高いのだろう、様々な店がある。まあ、もう閉店しているところが多いのだが。

 少し歩くと『小鳥の広場』という看板と小鳥が飼育されているガラス張りの部屋が見えてくる。少々開けた場所だ。

 色とりどりの様々な鳥がガラスの中の部屋で止まり木に乗っていたり、水浴びをしている。少々鳥のフンの匂いがするが、まあ、見るものとしては悪くはない。

 広場を見渡せばトイレや商業施設の地下階への入り口、その他通路が散見される。ここは様々な場所への道の交差点というわけだ。

 おれは鳥を眺めるのに飽きたので、より奥まった通路を探索してみることにした。地下の通路と言うのは狭くてパイプがむき出しであったり、壁が無機質であったりするほど面白いものだ。おれはこの札幌に来て仕事で地下鉄を利用していると度々そうした『無機質な地下通路』に出会ってきた。この地下街はその風情も多少はあるが、やはり普段は人出のある往来。殺風景な代物とは違う。だが、ここから奥の複雑な通路へと入ってしまえば、あるいはさらに下にあるという地下鉄の改札や駅のある階層に行けばそうしたものも見物できるだろう。

 そう思い、おれはオーロラタウンを出て右手の通路へと向かっていく。

 通路は商業施設やビルへの入り口が並んでいる。出口も30番台とかなり大きい番号だ、通路の様子も徐々に入り口・出口が減り、広告や無機質な壁に移り変わって『地下道』の雰囲気を醸し出していく。湿気に濡れ、側溝があり、足音の響く地下の通路だ。

 35番出口……。ここが突き当りか?

 いや、まだ36番出口の案内がある、そこで一旦出てみるか。

 おれはより奥まった通路へと足を踏み入れる。

 さっきより多少狭くなった通路は非常に無個性、無骨な『通路』然とした様子が並んでいる。雪が解けて湿った空気が地下を包んでいるのも相まって、ちょっとした『異界』にいる気分になる。深夜の地下と言うのはどうしてか不思議な感じがする。外の景色など地下には関係ない、だが時間はどの場所においてもそれぞれ持ち得ているものだ。この地下の空間は深夜において、普段の時間を忘れさせる作用をさらに強め、今、本当に時間が進んでいるのか、あるいは時間が飛んでしまっているのではないかという錯覚にすら陥らせる。だが、時間は確実に進んでいる。なぜなら、36番出口への道を示す看板を見つけたからだ。


 その天井の看板には36番出口は右であると示されているとともに、『地下鉄北東線』は真っ直ぐ進んだ先にあると示されている。 

 ――地下鉄……北東線?

 おれは札幌の地下鉄は南北線、東西線、東豊線の三つしか知らない。四本目があるなど聞いたことはない。

 そんな『存在しない筈の路線』への案内、そして道が、おれの前に開いている。


 進むべきか、進まざるべきか。

 取敢えずスマホで時間を確認する。

 『22時49分』

 まだまだ最終までは余裕がある……。地上うえの大通り周辺は昼に歩き尽くしたしな……。せっかくだしこの路線に乗ってみるのもアリだ。名前的に北東に行くのなら、もしかするとおれのアパートにそのまま出れるかもしれない。

 ……おれは進んだ。

 

 通路はそれまでと変わらず……いや、それまでの通路が延伸したように思えるほど無機質だ。先程よりも『異界』の雰囲気が増しているように感じてしまう。並んでいる広告も先程まで見ていたものによく似ているが……内容が違う……。『羽鳥山歯科』か……少し立ち止まって、スマホを取り出し、広告に示されている位置情報を入力してみる。


 『月寒東6条四丁目405-99』


 ない。

 ――月寒東は5条までしかない……。

 詐欺広告?

 いや、この広告の電話番号も存在しない。

 同名の歯科も日本国内には存在しないようだ……。


 何かおかしい。

 聞き知らぬ地下鉄路線、雰囲気の違う地下通路、存在しない場所の広告……。

 引き返すべきか……?

 いや、『北東線』駅の姿を拝むまでは帰りたくはない。おれは、そう考えながら広告から目を離し、通路を進む。

 おれの足音だけが通路に響き渡る……。

 しかし、いくら深夜とは言え、札幌の地下鉄通路でこんなにも人に会わないものなのか?

 この通路に居る人間はおれだけだというのか?

 

 そのまま誰にも会わぬまま、おれは通路の最奥に着く。少々開けた場所にはエレベーターと下に続く階段。そして、『北東線』と示された天上の看板が佇んでいる。

 蛍光灯の音が嫌にうるさく思えてくるほどにこの場所は静かだ。

 階段もエレベーターも、先程の地下街で見て来たものと何一つ変わらない……いや、おそらくは別物なのだろうが……気持ちが悪いくらいに既視感がある。

 他の地下鉄駅に行ったことがあるがどの駅の階段もエレベーターもある程度に通ってはいたがここまで違和感を覚えることはなかった。蛍光灯の灯りが揺れる階段をおれは降りてゆく。

 湿った空気が淀んでゆく。おれの足音がこだまする。

 踊り場を曲がり、視界に地下二階が映る。

 改札?

 だが、改札口の音がない。……稼働していないのか?

 階段を降りきる。

 頭上には『北東線大通駅』の文字。改札の奥にはそのまま地下鉄のホームが開かれている……少々珍しい形の改札だ。

 改札の外にはロッカーも、券売機も、路線図もある……だが、路線図には明らかに見知らぬ四本目の路線『北東線』の図が示されている。

 『大通駅』『酸漿駅』『幸木駅』『戸隠駅』『門』

 ……『門』?

 終着駅のところが妙な名前になっている。駅すらついていない。これはどうにも……不可解だ。

 おれはその路線図をスマホの写真に納める。ついでに天井の看板も撮っておいた。

 ――戻るべきだ。

 おれはこの眼前に広がる駅の様子から危険な雰囲気を感じ取っていた。それは、見えない蜘蛛の巣の横糸に絡めとられるような……見えない獣の口の中へ入っていっているような、そんな危険な雰囲気だ。

 おれは踵を返し、降りて来た階段へ向かう。

 『ゴオオオオオオオオオオオ……』

 後方で、音がする。

 何だ?

 ……いや、この音……そしてこの『風』……まさか、地下鉄か?

 アナウンスもなく?

 ホームへ振り向くと、丁度、地下鉄の電車が到着し、稼働ホーム柵と共に電車の扉が開く。

 『プシュウウウウウウ……』

 電子音はない。扉が開く音……。そして、その扉からは……『何か』が出てきている。

 その『何か』は黒いものだ、影のように黒く、人の形をしている。一人ではない、何人も……黒い何かが電車を降り、改札へ一直線に歩いてくる。電車の各出口から、ぞろぞろと何人も……。こちらに向かって来ているというのだろうか?

 おれは階段を駆け上る。

 後ろから歩いてきている奴らの足音は異様に速くなった。

 すぐそこにまで迫ってきている!

 おれは踊り場を曲がる。

 後ろにせまる『影』たちが見えた。

 

 近くなることでより一層奴らの面妖な姿を確認できる。その姿は光を全て吸収する完全な漆黒に塗られ、輪郭以外の一切の形がおれには見えなかった。見れば見るほど、吸い込まれるような黒に惹かれ目が離せなくなるような、そんな錯覚を覚える。それと同時に、その危険性を伝えるかのように、おれの頭部をめぐる血が冷たくなっていく。

 おれは、奴らから何とか目を離し、階段を駆け上っていく。

 地下一階、36番出口へと通じる通路が見える。

 「うぅっ!」

 おれは肩を掴まれる。

 冷たい!

 地上の外気のように冷たいものにおれが掴まれる。恐らくはあの漆黒の輩だろう。おれの体温がどんどん奪われて行くような感覚を覚える……肩から温度が奪われ、血の気が引き、次は背中、そして腹へ……おれは手を振りほどこうと藻掻く。

 だが、続々とおれの背、腕、腰に手が触れてゆく。

 おれの体温がどんどん奪われて行く……。

 頭……顔にも……奴らの漆黒の手が……。

 『ガタッ』

 奴らの手がおれのポケットからスマホを取り上げようとして、それを落とす。

 ――スマホ……!

 おれは脚元に落ちたスマホに手を伸ばす。何とか、手を……伸ばし……掴む……。

 手に取ったスマホの画面が開く。『22時49分』の時刻がロック画面に映る。

 時間が……進んでいない? 

 いや、今はそれよりも……。おれは震える指でロックを外し、写真データのアイコンをすかさずタッチする。直近で撮った二枚の写真データ……あの路線図と駅名の入った看板の写真……だが、それと思しきデータの画像は多くのノイズと黒い手のような無数の影が映っている……。目がぼやけて来た……。おれの今、やれることは……これだけだ……!

 『削除』

 ……おれは二つのデータを削除する。

 手に捕まれている感覚は消え……冷たい気配も消えて行く……だが、おれはそのまま……床に倒れ込む。

 眠い……。おれは湿ったコンクリートの床を頬に感じる……。その視界も溶けるように歪み……崩れていく……。遠くで……誰かが……おれの……ことを……。


 「おい、アンタ!」

 「うっ!? ……ううっ?」

 おれは……壁に寄りかかっていたようだ。目の前で……警備員だろうか、男性がおれを揺り起こしている。

 「おいおい……大丈夫か? ……こんなところで眠っていると死んでしまうぞ? ……ただでさえ深夜で人通りも少ないってのに……」

 おれはズキズキと痛む頭に手を当てながら、起き上がる。

 「スイマセン……直ぐ帰りますんで」

 彼は呆れながらも心配したような表情でおれに訊いてくる。

 「……まったく……まだ地下鉄は何本かあるから、取り合えず大通駅に行きな。……アレなら救急車でも呼ぼうか?」

 「いや、大丈夫です……ご迷惑をお掛けしました」

 「……そうかい、気を付けて帰るんだぞ」

 彼はそう言って帰って行った。

 おれはスマホを見る。

 『22時50分』

 一分……。あれは夢だったのか……?

 おれは天井についている案内看板を見る。

 『36番出口』

 北東線の文字はどこにもない……おれの寄りかかって寝ていた壁が丁度、先程おれが『北東線』に向かって歩いた通路があったはずの場所だ。

 悪い夢……そう言う事なのだろう。

 おれは、その場を後にして、大通り駅に向けて歩き始めた。


    ――――


【とある都市伝説サイトの情報】


 『大通駅地下鉄北東線』

 36番出口の通路に分岐路と地下鉄北東線の案内看板が出現する。地下二階に改札と駅ホームがある。

 駅構内の物を取ったり、写真を撮るとホームに電車が停まり、中から現れる黒い存在が襲い掛かってくる。構内の自販機で買ったものを飲んだ者は絶対に帰って来れない。大通駅で度々発生する行方不明者の多くが、この『北東線』に迷い込んでいたと噂される。

 地下鉄工事の際の労働者の霊か? アイヌの呪いか? 冥府からの鬼だろうか?

 ただ一つ言えることは、帰って来たと証言する者にその真相を確かめた者はいないということだ。


 (終)

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札幌奇譚 北東線一番大通駅 臆病虚弱 @okubyoukyojaku

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