『とびっきりのやつ』

 そのまさかだった。鷺若丸さぎわかまるは生まれたての小鹿のような足取りで、木の杖を頼りに見知らぬ山道を登っていた。


銀木しろき雪花せっか殿~。土御門つちみかど天涅あまね殿~。狐殿~」


 弱々しい声が雑木林に飲み込まれていく。地面に倒れ込んで泣き言を言いたい気分だが、ステラのことを思うとそんな暇はない。それに、こうしている間にも、先を行く雪花や天涅が、漆羽うるしば鬼神と対面しているかもしれない。


 話し合いで解決できるなら、それが一番いい。暴力は苦手だ。しかし、ことはそう簡単に運ばないだろう。そうなったら、後は逃げるか戦うか。逃げたら大会は絶望的。戦うにしても、相手はあの仙足坊せんそくぼうをも従える神だ。分が悪い。勝機は鷺若丸の囲碁だけだ。


 鷺若丸は今朝からずっと、この漆羽鬼神という神のことが気になっていた。以前、仙足坊は漆羽鬼神の目的を「浪漫と郷愁」と称した。陣地を広げ、精霊の世界にまで手を伸ばす。その計画は、確かに大それたものだと思う。その一方で鷺若丸は、わずかな違和感も覚えていた。「無差別に周囲を攻撃する破壊神」という伝承と、一貫性がないように思えたのだ。


 そもそもなぜ漆羽鬼神は、かつての破壊活動を行ったのだろう。怪異としての本能がそうさせただけなのか。それとも別に理由があったのか。今になって勢力圏を広げようとしていることと、関係があるのか。そして、なにより気になるのは今朝、仙足坊が口走った一言。


――「執心されてしまいますよ。文字通り、千年に渡って、ね」


「よもや……」


 その時、鷺若丸の視界を白い紙が横切っていった。ハッとなって顔を上げる。人形ひとがたが踊るように漂っていた。


「そなたは、天涅殿の?」


 間を置かず、式神の後ろに巨大な狐が飛び込んでくる。


「手間をかけさせおって、この小童めが!」

「うおお、狐殿か? そのさまは初めて見るな」

「くっ、こんなくだらぬお守りのために、この姿を見せることになるとは忌々しい。ええい、早くせい。おのれは対漆羽の決戦兵器なのじゃぞ。自覚を持たんか! 不本意じゃが、背中に乗せてやる。急ぐぞ!」


 忌弧きこが腰を下げる。恐る恐る背中にまたがった鷺若丸は、その手触りに感嘆の声をあげた。


「あはれ! 見事な毛並みだ!」

「ぐぬうぅ……、あまり撫でまわされると、噛み殺したくなる! 頼むから、妾の我慢の限界を超えぬよう、大人しくしておってくれ! よいな!」


 彼女は軽く勢いをつけると、一気に走り始めた。全身をしならせ、優雅に、力強くアスファルトを蹴る。その速度にやぶの陰影は溶け、朝もやは風となった。


 鷺若丸は激しく動く背中の上で、振り落とされないよう必死にしがみつく。そして痛みを訴える眼を細めながら、わずか前方にある三角耳へ叫んだ。


「少し質問があるのだが! よろしいか!」

「舌を噛みたくなければ、後にせい!」

「いいや、今だ! 大事なことかもしれぬ!」

「……。なんじゃ!」


 忌弧が少しだけ速度を落とす。


「狐殿は何歳だ?」


 途端に忌弧は急ブレーキをかけた。踏ん張り切れなかった鷺若丸が、勢い余って飛んでいく。


「あなやー!」


 顔面が再び血まみれになった。そんな彼の頭に前足を乗せ、忌弧が目を光らせる。


「レディに歳をたずねるのは、万死に値する行為じゃ。以前にも言ったのう」

「も、申し訳なかった」

「……で、その問いの意図は?」


 足をどけてもらった鷺若丸は、すぐに起き上がってこう言った。


「漆羽鬼神の誕生について、知りたい」


   ○


 天涅は、結界破りの儀に取り掛かっていた。用意した御札を確かめ、清めた水を撒く。星座をなぞる足運びで、雪花から伸びる不可視の縁を探る。全身に不審な御札を張られた雪花は、腕を組みながら唸った。


「あのさ、これどんくらいかかるの?」

「小一時間」


 雪花は慌ててスマホの時計を確かめる。現在時刻が八時十分ほど。結界を突破する頃には、大会の受付時刻が終わっている。


「大会に間に合わないじゃない。もっと巻きでやんなさいよ!」

「結界の分厚さに対して、おまえたちの縁の強さが物足りない。どうしても時間がかかる」

「ちょっとなによそれ、あたしと漆羽様の絆がしょぼいみたいに言わないでってば!」


 実際問題、雪花と漆羽鬼神の縁は、決して弱い繋がりではない。単純に、結界の強さが桁違いなのだ。攻略に小一時間かかるという予想も、当初の見積もりに比べれば相当良好なタイムだった。計画通りに、雪花と天涅の縁を使っていたら、いったいどれだけの時間がかかっていたことか……。鷺若丸という戦力を確保したにもかかわらず、漆羽鬼神攻略を即時決行できなかったのも、この強力すぎる結界のせいだ。


「とにかくなんとかしなさいよ」

「なんとかしようとしているけど、どうにもならないことだってある」


 雪花は歯噛みした。これでは、大会への出場は不可能だ。かといって、他の選択肢も時間もない。このまま時が過ぎていくのを、黙って見ていることしかできないのか。……その時だった。


「待たせたのう!」


 巨大な狐がしなやかに飛び込んできた。忌弧が鷺若丸を連れて帰ってきたのだ。


「そなたらの大会を、どうにかできるかもしれん小童を連れてきてやったぞ」


 忌弧の背中から鷺若丸がずり落ちた。彼は、フラフラ頭を揺らしながらも、人差し指を立てる。そして強い確信に満ちた目で、言った。


「狐殿から聞いた。縁を使い結界を通り抜けるとか。それなら、とびきりのやつがある」

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