『VS天狗』

「うおおお!」


 悲鳴を上げたのは鷺若丸さぎわかまるだ。決して体格がいいわけではない彼は、あっけなく風に浮かされ、近くの樹へ叩きつけられそうになる。


 咄嗟に動いた天涅あまねが、彼の首根っこを掴んだ。靴を割いて足先から飛び出したかぎ爪が、地面に深く突き刺さり、彼女の小さな身体を留めてくれる。


 彼女は空いた手で小瓶を取り出すと、力任せに地面へ叩きつけた。


「天の雫を飲み干せし、眠れる大地に根を張りて、寄せ来る風を阻みたまえ。《塞風霊林さいふうりょうりんの陣》、展開!」


 光の曲線が地面から生え伸びて、無数に枝分かれしながら、二人の周囲に展開していく。これは風を防ぐための簡易結界だ。対仙足坊せんそくぼう戦を見越して、あらかじめ用意しておいたのだ。


「ほう? 出来損ないの陰陽師にしては、気の利いたものを。しかし、所詮は付け焼刃!」


 仙足坊は胸を張り、気合を入れて両腕を広げる。その背から純白の片翼が出現した。身の丈の何倍もあろうかという美しい翼だ。それが大きくしなやかに、空気を打つ。その瞬間、土を巻き上げて、仙足坊の姿が消えた。


 吹き荒れる風の中、木の葉が飛び交う。そのいくつかは結界を突破し、鷺若丸たちを襲った。


「あなやーっ! ぼ、暴力反対!」


 ただの葉っぱが、まるで刃物のような切れ味だ。天涅はさりげなく前に立ち、彼を庇った。すぐに彼女の顔面も傷だらけになっていく。その傷は、腐った土のような色をしていた。生命を象徴する鮮血の赤色とは、似ても似つかない色だ。


「いやはや醜い。醜いですねぇ。実に醜い! その穢れ!」


 どこからともなく仙足坊の声が響き渡る。


「拙僧どもといたしましては、貴女には末永くこの土地を見守ってほしいと思っているのです。本当ですよ。新しくいっぱしの霊能者を派遣されるより、三流以下の紛い物を相手にする方が、よほど楽ですからねぇ。しかし……」


 ふいに、鷺若丸たちの頭上に影が差す。見上げた時には、すぐそこまで攻撃が迫っていた。風に運ばれ、巨岩が降ってきたのだ。大地が轟き、一帯の鳥が騒々しく飛び立つ。


 夕焼け空に佇む天狗は、鮮血のような太陽に、鼻の先端を光らせた。


「穢れに塗れたその姿を見ていると、ついうっかり加減を間違えてしまいそうです。いやはや、本当に困りますねえ……」


 彼が見下ろす中、土埃が晴れていく。最初に見えたのは、巨大な金毛だった。忌弧きこの尾が膨らみ、大蛇のようにのたくっているのだ。岩は直撃の寸前、彼女によって砕かれていた。


 だが完全に防ぎきるまでは至らなかった。砕けた岩の破片はほとんど、結界内部にそのまま落下している。幸い鷺若丸は、手足に軽い傷を負っただけで済んでいた。直前に天涅が覆いかぶさり、彼をかばったからだ。鷺若丸は目を丸くした。


「あ、あままま、天涅殿!?」

「大丈夫」


 彼女は冷静にそう主張するが、鷺若丸はにわかには信じられなかった。地面にめり込んだ岩の破片が、彼女の左腕を下敷きにしていたのだ。


 彼女はその腕を、力任せに引きちぎる。破れた袖の内側から、金色のボルトとプレートが飛び散った。立ち上がった彼女の左上腕から先は、無くなっていた。服と一緒に、岩の下に置いてきてしまったのだ。にもかかわらず、袖の中からは血の一滴も垂れてこない。そして彼女の表情は、いつも通りだ。痛みも恐怖も、そこにはない。


 彼女は静かに、上空の敵を見据えた。仙足坊は接近してくる気配を見せない。このまま高度を維持して、安全圏から一方的な遠距離攻撃を続けるつもりだろう。


 舞い降りてきた忌弧が、肩越しに振り返る。額から血を流していた。


「この程度で腕を持っていかれるなど、反応鈍すぎじゃぞ。洋菓子なんぞ食べるからじゃ」

「食べたかったんだもん」

「で、手は?」

「打った。確保は任せる」


 上空の仙足坊は、次の攻撃に移ろうとしていた。風を操り、付近の木や岩を引き抜いてくる。天涅の推測通り、飽和攻撃で結界を叩き続けるつもりだ。


 しかし攻撃の寸前、なにかが彼の髪を引き抜いた。


「……むッ!?」


 天狗は攻撃の手を止め、身構える。首元に潜んでいた白いなにかが、逃げ出した。陰陽師の元に戻ろうとしているのは、人形ひとがただった。


「あれは……、まずい!」


 髪を持っていかれた。身体の一部を奪われることは、人にとっても妖にとっても身の危険を意味する。たかが髪一本でも、陰陽師たちの手にかかれば、強力な呪術の触媒になるからだ。外せないターゲット・マーカーをつけられるようなものだ。


 仙足坊は直ちに烈風を吹かせ、人形ひとがたを吹き飛ばそうとする。しかし地上から飛び上がってきた忌弧が、先に人形ひとがたを確保した。


「クックック! 横着するからじゃ!」


 用意していた木や岩を、忌弧に向かわせるが、もう遅い。彼女は空中で器用に攻撃をかわし、結界の中に逃げ込んでいった。


「守りは任せたぞ、天涅!」


 忌弧は仙足坊の髪を藁人形にこめると、鉢巻きで額に蝋燭を立てる。そしてどこからともなく五寸釘と、「100t」と刻印された身の丈ほどのハンマーを取り出した。


 一方の天涅は残った片腕を振り払い、人形ひとがたを五体、展開する。人形ひとがたに込められた式神たちは、空中に陣形を作り、光の線を結び合った。五芒星のバリアだ。木や岩の攻撃程度なら、十分に跳ね返すことができる。呪いが完成するまで、この結界を守り切る構えだ。


 藁人形の呪いは射程距離無制限。もはや遠距離でちまちま削る仙足坊の戦略は、瓦解していた。勝利の風は天涅たちの方に吹いている。


「ク~ックック、今こそあの生意気な天狗に、ありったけの呪いをぶち込んでくれるわ!」


 忌弧が嬉々として、ハンマーを振り上げる。


 だがその直後、彼女は吹っ飛ばされていた。仙足坊の攻撃にやられたのだ。


「なにやってんじゃ天涅えええぇぇぇ……!」


 忌弧の悲鳴が、木々を越えて山の向こうに消えていく。


 取り残された天涅は、状況の把握に努めていた。視界が傾いでいる。地面に倒れているのだ。見れば右の脚が、ベシャベシャにねじ曲がっていた。まるで針金細工のようだ。


「莫迦な……」


 すぐに鷺若丸の方を確かめる。土埃が眼に入ったのか、のたうち回って情けない悲鳴を上げていた。ひとまずは五体満足のようだ。


(いったいなにが起きた?)


 天涅は分析する。えぐり取られた地面に落ちているのは、引きちぎれた人形ひとがただ。超高速で突っ込んできた物体が、式神をバリアごと蹴散らしていったのだ。そしてそれは勢いそのまま、忌弧を突き飛ばした。風に飛ばされてきた木や岩の攻撃ではない。その程度の速度なら、十分に対応できたはず。天涅に知覚することも難しい速度での攻撃となると……


「考えられる答えは一つ……!」


 仙足坊本人がミサイルのように突っ込んできたのだ。


 天涅は足元に転がる、藁人形とハンマーに気が付いた。忌弧の手から零れ落ちていったものだ。あれを拾えば、呪いは続行できる。しかしできるだろうか。


 風は激しさを増している。仙足坊の姿は見えない。どこかに隠れて次の攻撃を狙っていることは確かだ。どこからくるか。いつくるか。まずは守りを立て直すべきか。それとも呪いを続行すべきか。無数の思考が天涅の脳を駆け巡る。今とるべき行動は果たして?


 足元の鷺若丸が呪文を唱え始めたのは、その時だった。


「万物は泡沫うたかた、されどここに結ばれるは絶対の契約! えーっと、それから……」

「……!」


 その狙いは明白だ。天涅は即座に意図を汲み取ると、片膝で起き上がった。控えの式神たちを展開し、《夢幻むげんの間》を開くための御札を取り出す。すぐさま呪文を引き継いだ。


「光よ、闇よ、宇宙の定礎ていそをここに編め!」


 無論、それをみすみす見過ごす仙足坊ではない。森の奥から射線を通し、大地を蹴る。


「させませんよ!」


 翼を引き絞った彼の体躯が、木立の間を突っ切っていく。天狗ミサイルの標的は、防風結界中央。印を結んで身構えている土御門つちみかど天涅だ。


 仙足坊の突撃は、完全に彼女の死角をとっている。しかも音をも置き去りにする、この速度。回避行動など取れるはずもない。破壊の直線が迫る。


 しかし仙足坊が勝利を確信したその刹那、結界の周囲に銀河のような無数の光が出現した。硬質な物体が夕日を反射しながら、空中を漂いだしたのだ。仙足坊は怯んだ。反射的に速度を緩め、顔面を庇ってしまう。


 その行動が、ほんのわずかな時間を生んだ。式神たちが攻撃に反応し、防衛体制を作る時間だ。天涅の周囲を漂う人形ひとがたたちが、ドリフトするように集結し、仙足坊の鼻先に立ちふさがる。体勢を崩した仙足坊には、バリアを破壊するだけの余裕がなかった。もろに激突して跳ね返され、地面を転がる。土を刻みながらなんとか体勢を立て直し、再度飛び掛かるが、一手遅い。


「《夢幻の間》、開放!」


 最後の呪文と共に御札が光り、糸のようにほどけていく。その光の線は周囲一帯を駆け巡り、絶対に逃亡不可能な囲碁闘技場コロシアム、《夢幻の間》を形成した。


 仙足坊が突き出した羽団扇は、天涅の鼻先で凍りついたように静止している。


「ここは《夢幻の間》。囲碁以外、一切の攻撃が禁じられる」


 天涅は瞬き一つせず、そう言い放つ。


「……ええ、存じておりますよ」


 仙足坊は渋々と腕を引いた。


「ですが勝負を囲碁に持ち込んだところで、やはり貴女に勝ち目があるとは思えませんね。片眼鏡に頼りきりな貴女と違って、拙僧、多少は腕に覚えがあります」

「いいえ。打つのはわたしじゃない」


 そのまま彼女は、碁盤の側面に這っていく。そう、仙足坊と対局するのは、もちろんこの男だ。攻撃に晒され続けた怒りを星形サングラスの奥に隠して、鷺若丸が口を開いた。


「暴力はもういい。……我と。囲碁を。やれ!」

「貴方と?」


 鷺若丸の佇まいは、とても霊能力者の類には見えない。立ち振る舞いは隙だらけだし、霊力の類も全く感じられない。しかし彼が碁盤の前に腰を下ろした瞬間、なにかのスイッチが入ったのを、仙足坊は確かに感じ取った。数百年の時を生きた、天狗の背筋さえ凍りつかせるような、異様な気配が彼にはある。仙足坊は翼をしまい、面を整えた。


「……ふっ。是非もありませんね」


 仙足坊は靴を揃え、対面に正座する。二人のニギリを見届けて、天涅が司会進行を務めた。


「それでは。黒番、漆羽うるしば鬼神の臣下、仙足坊。白番、土御門家当代陰陽師、土御門天涅……の代理。――両者存分に戦うように。立会人、土御門天涅の名のもとに、対局開始を宣言する!」


 碁盤を挟む二人の男は、同時に頭を下げた。


「お願いします」

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