伍:黒金

『デート大作戦!』

 翌朝、鷺若丸さぎわかまるは待ち合わせの駅前ロータリーにいた。休日の朝ということもあって、スーツ姿の大人はまばらだ。代わりに老人から子供まで、多様な市民が行き交っている。


 鷺若丸はベンチに腰掛けながら、そんな人々をサングラス越しに観察していた。囲碁部に顔を出している時以外はよく、こうして市井しせいの暮らしに目を向けている。そうしていると、この令和という時代が少しずつ見えてくる。


 平安の世から、人の営みは随分と変わった。衣服も、道具も、乗り物も。世界はより綺麗に、より便利に、より賑やかになっている。


 営みが変われば、人も変わる。多くの者が健康的な肉付きをしていて、肌の艶もいい。年寄りの姿もかなり多い。髪の色も肌の色もいろいろある。


 ステラによれば、この時代にはこの時代の問題がたくさんあるらしい。しかしそれでも千年前に比べれば、随分と生きやすそうに見える。少なくとも鷺若丸にはそう思えた。


 その一方で、この時代のいい点を見つければ見つけるほど、鷺若丸はある種の疎外感を感じずにいられない。自分は本来、この時代にはいるはずのない異物にすぎないのだ、と。


 正直なところ、平安という時代そのものに未練はない。常日頃、家とは縁を切りたいと思っていたし、囲碁部を教え導く今の生活はとても楽しい。だがどんなにこの時代が性に合っていても、ここには千局目の決着をつけるべき宿敵がいないのだ。それだけで、心が欠けているように思えてしょうがない。


「……」


 指を組んでうつむく彼の膝元に、ふいに影が差す。目の前で誰かが足を止めたのだ。


「待たせた」


 天涅あまねだった。いつもの制服や仕事着とも違う、洒落た私服姿だ。やはり肌の露出はなく、たっぷりとした布地で上品な雰囲気を作っている。彼女は少し自信なさげに、たずねた。


「どこか変だろうか。普段は着ない服だから、自分ではよく分からなくて……」


 鷺若丸はあっけらかんと言い放った。


「案ずるな。我にとっては、この時代の服は全部、変だ!」

「それもそうか」


 天涅も天涅で、あっさり納得してしまう。しかし、この様子を遠くから見守っていたあの女は、バチバチにキレていた。


「貴様のアロハとグラサンの方がよほど変じゃろうが、クソバカタレの平安小童がぁ~!」


 目深に帽子をかぶり、サングラス、マスク、加えて厚着という、不審者の手本のような出で立ちの女だ。狐耳と尻尾を引っ込めているため分かりづらいが、その正体は忌弧きこだった。


 彼女は植え込みの陰で、十の指をうごめかせる。


「だいたい、天涅に似合わぬ服などあるはずがないのじゃから、そこは『よく似合っている』と褒めるところじゃろが! 妾だったら、小一時間は褒め殺すというのに! クーッ、赦せん!」


 その邪悪な思念が通じたのかどうかは分からないが、鷺若丸が賞賛の言葉を発する。


「だが、我はいいと思う。そなたに似合っているのではないか?」


 するとそれを聞いた忌弧は、さらなる怒りに震えた。


「妾の天涅に色目を使いよってぇ! ますます許せん! キィイ!」


 わざわざマスクを下げてまで、ハンカチを噛み千切る奇行は、通りかかった親子連れを自然と足早にさせた。


「ぬうぅ、やはり天涅を押し切ってでも、あの小童を片眼鏡に加工するべきじゃったか……」


 彼女にしてみれば、鷺若丸に温情をかける理由など、なに一つない。アレはどう転ぶか読めない、危険な変数だ。はなはだ目障りだし、合理的に処理したい。……のだが、天涅がそれを頑なに拒む。それがますます忌弧のかんに障った。天涅はあの男に執着している。まさか本当に惚れてしまったとでもいうのだろうか。断じて赦せない。怒りが血涙となって頬を伝う。


 改札の方へ動き始めた二人の後を追い、忌弧も柱の陰を抜け出した。


「確かにちょーっと顔は妾好みじゃが、おぬしなど天涅には不釣り合いじゃ! もし天涅に変なことをしてみよ、ただじゃ置かぬぞ、小童め」


 今日はこのまま一日中、あとをつけるつもりだった。もしチャンスがあれば宣言通り、即座に首を刈り取ってみせる。それらしい理由さえあれば、天涅も納得するだろう。


 その理由が見つかるまでは、辛抱じゃ。そう自分に言い聞かせ、二人の後を追いかける。


 しかし、鷺若丸たちを追う監視者は忌弧だけではなかった。さらに後方から様子をうかがう、怪しい人影がもう一つ……。


   ○


 鷺若丸たちの乗った電車は、のんびりと走り続ける。空きの目立つ車内の片隅、二人は並んで座っていた。この時代では当たり前のことかもしれないが、鷺若丸にとって異性が長時間、この距離にいることは普通ではない。頻繁に囲碁を打つ関係で、ちゃぶ台を囲む程度の距離にはすぐ慣れたが、さすがに体が触れ合う間合いとなると、落ち着かない。


 そわそわしていると、天涅が話しかけてきた。


「いいシャツね」

「……? ありがとう」

「……」

「……?」


 それだけだった。会話は続かない。いったいなにを考えているのだろうか。鷺若丸は、人形のような彼女の横顔を見つめるが、手掛かりを得ることはできなかった。怒りも喜びも一切見えない、不愛想な鉄仮面。見慣れた表情だ。


 雪花せっかと顔を突き合わせればムキになるし、食べ物をちらつかせれば目の色を変えて飛びついてくる。しかしそういう特定の状況を除けば、実際、彼女はいつでも淡々としている。「感情がない」などと、うそぶくだけのことはある。鷺若丸の知る限り、彼女はほぼすべての時間を仕事に費やし、淡々と陰陽師の職務を全うしている。その義務感と矜持の前では、囲碁でさえただの道具としか見なされない。本人もそれを良しとしている。


 だが、本当にそれだけだろうか。彼女には、まだ秘めている本音があるのではないか。あの日、坂の只中で呑み込んだ言葉を、鷺若丸はまだ聞いていない。……いったいどうやったら、それを引き出すことができるのだろう。


 腕を組み、悶々と考え込んでいたその時、天涅がボソッと呟いた。


「やっぱり、わたしといても面白くない?」

「……面白い方がよいのか?」

「一応、デートだから」


 確かに、手紙にもそう書いてあった。しかし鷺若丸はデートという言葉を知らない。


「でぇと、とはなんだ?」

「恋愛関係、ないしはそれに類する関係の者が、連れ立って出かけること。らしい」

「らしい?」


 何故か曖昧な表現だ。


「よもや……天涅殿も知らぬのか?」


 鷺若丸の予想は当たっていた。これは彼女にとっても初デートだ。


「わたしは仕事以外のことはしない。そして仕事にデートが必要になったこともない」

「それはすなわち……」


 彼女にとって、今回のデートも仕事の一環ということだ。


「そう。わたしの目的は、おまえの好感度を稼ぎ、こちら側の味方に引き入れること。【黄金棋眼鏡おうごんきがんきょう】無き今、おまえは漆羽鬼神に対抗できる貴重な戦力だから」

「それを当人に語ってしまって、よかったのか?」


 彼女が提示しているのは、言ってしまえば見返りのための友好だ。だが天涅は「なにか問題が?」と言うように、首を傾げた。


「忌弧から、モテる女になるための助言をいくつかもらった。妖のような悪戯っぽさを見せることも時には重要だけど、基本的に裏表のない素直な女でいる方が好かれやすいらしい」

「それで全部、話してしまったのか?」

「わたしは裏表のない素直な女だからな」


 一点の曇りもない眼で、彼女は言い切った。そのポンコツ発言を隣の車両で聞いていた忌弧は、声を噛み殺して頭を抱えた。教育を誤った。


 そんな彼女の苦悩も知らず、天涅は鷺若丸の手に、自らの手を重ねる。木に化けるフクロウのように細くなる鷺若丸に向けて、天涅はたずねた。


「こうした直接的な接触も効果的らしい。どう、好感度は増した?」


 薄い皮手袋の感触にドギマギしながら、鷺若丸は馬鹿正直に自分の心を計算する。


「……す、数もくほど地を稼がれた心地、だ」

「よし。効果あり」


 手応えを得た天涅は大きく頷いて、宣戦布告した。


「今日のデートを成功させ、もっとおまえの地を稼いでみせる。下調べも、インターネットでばっちり済ませてあるから、覚悟するがいい」


   ○


 それから電車を乗り継いで、天涅に案内されるまま、あちこちへ足をのばした。


 水族館では、弾丸のように泳ぐペンギンを見て、目を丸くした。


「なんだあの生き物は……!」

「ペンギン。鳥綱ペンギン目の動物。インターネット曰く、数年前その糞から金星の化学物質が発見されたため、宇宙からこの星へやってきた地球外生命体ではないかと言われている」

「なるほど……!」


 後ろで耳をそばだてていた忌弧は、「いや、地球生まれ地球育ちじゃから!」と叫びたい気持ちを、ぐっと堪えなければならなかった。


 科学博物館では、恐竜の骨格模型に度肝を抜かれた。


「なんと巨大な生き物か……! さぞ名のある土地神だったのでは?」

「これはティラノサウルス。意味は暴君トカゲ。インターネット曰く、口から熱線を吐き、敵を殲滅する、危険な生き物だったらしい」

「なるほど……!」


 忌弧は、「そんな化け物、妖怪にもそうはおらんて……」と眉間を揉んだ。


 道中で見つけた屋台ではクレープを買い、ベンチに並んで、口の周りをクリーム塗れにした。


「あなや! すさまじき甘さ!」

「ガツガツ、はむっはむっ、ガフガフ! ごくん! インターネット曰く、西洋にはクレープを使った占いがある。左手にコインを握りながら、恵方を向いて、一口で食べきることが出来たら、吉兆が訪れる。……忌弧を説き伏せて、土御門つちみかど家にも取り入れたいな。おかわり!」


 絵面だけは完全にデートそのものだが、会話の内容があまりにも滅茶苦茶すぎる。木陰で聞き耳を立てていた忌弧は、青空を見上げ、家のネット契約は解除しようと心に誓った。


 クリーム塗れの天涅が、「そう言えば」と、鷺若丸へ話を振る。


「おまえはいつから囲碁を始めたの?」


 鷺若丸は少し考えこんだ。


「うーむ、幼かったとは思うが……。行く末、まつりごとへ携わるようになった時、横の繋がりを作る役に立てばと、教えられたのが最初だった。それは確かだ」


 まつりごと、という言葉に、天涅が反応した。


「貴族の出?」

「まあ……それなりの生まれだ。寺での行儀見習いを終えたら、元服の予定だった」


 面白くなさそうな、どこか乾いた物言いだ。


「そんなに未練は無さそうね」


 天涅の推測を、鷺若丸は否定しなかった。彼は指先についたクリームをなめる。


の家では、あまり囲碁をさせてもらえぬから」

「……おまえはなんというか、本当に囲碁が好きね」

「まあな!」


 鷺若丸は今日一番の笑顔で、はにかんだ。天涅は紙ごみを丸めて、ぴしゃりと言い放つ。


「……今のは皮肉」

「えっ、そうなのか?」


 彼女はベンチを立ち、ゴミを屑籠に放り入れる。そしてクリームがついた顔で振り返った。


「そろそろ本居もといに帰る。最後に一か所、がある」

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