『ピザパーティ』

 ちゃぶ台に肘をつきながら、雪花はピザをかじる。生ぬるい生地を機械的に咀嚼するものの、ほとんど味がしない。この異様な状況のせいで、味を意識する余裕がないのだ。


 右隣には、囲碁部部長の桜谷敷さくらやしきステラ。ピザを食べるのにナイフとフォークを一生懸命、動かしている。


 左隣には、自称「一介の囲碁指南役」、鷺若丸さぎわかまるが。両手をべとべとにしながら、ピザを頬張っている。赤ん坊でも、もう少し上手に食べられそうなものだ。


 そして対面には憎き陰陽師だ。華奢な体躯に似つかわしくない、ブラックホールのような胃袋へ、一心不乱にピザをかきこんでいる。雪花には目もくれない。なめられているのだろうか。


(ホント、どういう状況よ、これ)


 頭を抱えたい気分だ。どこを見ても招かれざる客しかいない。後の祭りだが、やはり囲碁部への接触は迂闊だった。


 土御門つちみかどの片眼鏡を狙っていた彼女にとって、最大の障害は《夢幻むげんの間》の存在だった。万が一にもあの結界に囚われてしまえば、ルールも知らないゲームで蹂躙され、一方的に倒されてしまう。それは困る。だから保険のため、囲碁の腕が立つ者を探そうとしたのだ。


 と言っても、囲碁の「い」の字も知らない彼女にとって、強い碁打ちがどこにいるかなんて知る由もない。だから一番初めに思いついた、学校の囲碁部を真っ先にあたった。運よく鷺若丸という最強の味方を得ることはできたが、結果的にそこから足がついた形だ。


 雪花は苛立ちを誤魔化すように、荒々しくピザを食いちぎる。そこにステラが声をかけた。


「あの……その、田中さま?」


 雪花はため息を吐いた。


「田中はあくまでも仮の名前。本名は銀木しろき雪花せっかよ。まあ、名簿を調べたなら、もう知ってると思うけど」

「で、では、銀木さまとお呼びしても?」

「……好きにしたら」


 今となっては、正体を隠す意味もない。


「あんたらに接触したのは失敗だったわ。でも、よくあたしの身元を突き止められたわね」

「えへへ、探偵みたいに聞き込みをしてまわるの、とてもドキドキしましたわ」


 ステラは頬を赤らめる。


「新入生のみなさまはとても親切で、銀木さまのお名前はすぐに分かりました。住所は式神さまが職員室のパソコンを調べてくれて。わたくし、初めて知りましたけど、今時の式神さまって、USB接続ができるんですね……」


 ちゃぶ台の上で、ぴかぴか光る人形ひとがたがポーズをとっている。かなり自我が強そうだ。


「それで、あの、鷺若丸さまから、話は伺っています。……銀木さまが雪女というのは、本当の話なのですか?」


 ステラはおどおどしながらも興味津々といった様子だ。雪花はムスッと口元をひん曲げる。雪花が指を振ると、ステラの皿のピザが凍りついた。ステラの目が丸くなる。


「あたしは、人間の父と、雪女の母の間に生まれた子供。だから半分が人間で、半分が妖怪の、半端ものってわけ。人の世には結構いるらしいわよ、あたしみたいに妖の血を引いてる人間。もしかしたら、あんたらの身の回りにもいるかもね。人知れず生き血をすすって暮らしてる、ヤバーイ奴がさあ!」


 ステラは度肝を抜かれた様子で、声を上げた。


「ほ、ほほ、本当に! いらっしゃったのですね、雪女……」

「ふふん」


 期待通りの反応に気分を良くした雪花だったが、ステラの驚愕は長く続かなかった。なにかに気が付いて、突然、半べそをかき始めたのだ。


「ピッツァが凍ってしまいました、これではせっかくのお味が損なわれてしまいます!」

「興味関心、そっちの方が上なの?」


 妖への恐怖は、凍ったピザに劣るのか。なんだか負けた気になって、雪花は歯を食いしばる。ステラは皿を両手で包み、訴えた。


「窯はどちらに?」

「窯ァ!? あるわけないでしょ、そんなものが、この家に!」


 彼女は、ちゃぶ台の周りを指し示す。そこかしこに空き缶やペットボトルが転がっていて、開けられてすらいない封筒がチラシや新聞と一緒に山を築いていた。カーペットは毛玉だらけで、タコ足配線のコードには埃が絡まっている。ここはお世辞にも綺麗とは言い難い、ボロアパートの一室だ。


「電子レンジ使いなさいってば。ほら、冷蔵庫の上!」


 ステラは顔を明るくして、ちゃぶ台から離れていった。雪花は何度目かのため息をこぼす。


「あんたたち、そのピザ食べてとっとと帰りなさいよ。なんか疲れるのよ……」


 すると口いっぱいにピザを頬張っていた天涅あまねが、謎の声を発した。


「あああ、おはへはうはっは【ほほほんひはんほー】おあえへ」

「なに言ってるか分かんないっての、クソ陰陽師」


 口いっぱいのピザを呑み込むと、天涅は改めて同じ言葉を繰り返した。


「ならば、おまえが奪った【黄金棋眼鏡おうごんきがんきょう】を返せ」

「それは無理な相談ね。クソ土御門のクソ陰陽師に差し出す物なんて、なに一つないし。そもそもあのダサい片眼鏡は漆羽うるしば様に献上しちゃったし!」 

「漆羽様?」


 黙って成り行きを見守っていた鷺若丸が、首を傾げる。顔面ピザ塗れの天涅が、鋭く言った。


「あまりその名を口にしない方がいい」


 警告だった。


「漆羽鬼神は大昔、この一帯で暴れまわった悪しき怪異。目に入ったものを怒りのままに根こそぎ破壊し、無差別に怨念と呪いを振りまいた。そんなモノの名を口にして、の注意を惹いてしまうと、良くないことが起こる」


 天涅は、新たなピザを皿に取り寄せながら、淡々と続ける。


「ちなみにかつての騒動は、地元の僧や、救援に駆け付けた専門家たちの手で鎮められた。以来、漆羽鬼神は強力な地神となり、この一帯を守護する存在として祀られている。……いや、祀られていた、と言う方がいいかもしれない。信仰はとうに途絶えてしまったから」

「は? 途絶えてないわよ。ここにまだあたしがいるんだから」


 雪花が声を荒げる。


「確かにあの神社には神主も巫女もいないけど、掃除や手入れは全部、あたしがやってるんだから。信仰はまだ途絶えてないわ!」

「じゃあ聞くけど、あなたが神社にいる間、一人でも参拝客が来た?」


 天涅の一言は、雪花の痛いところを的確に突いていた。雪花が顔を赤くする。


「う、うるさい! 漆羽様はあたしが守るんだから。土御門の陰陽師に災いあれ!」


 天涅は嘲笑しながらピザを頬張った。


「陰陽師のわたしが、その程度の呪いを恐れるとでも? 漆羽鬼神など恐るるに足ら――」


 突如、部屋の中に爆発音が響き渡った。全員の視線がキッチンに集まる。電子レンジの前でステラが硬直していた。


「とつ、突然、ピッツァが爆発して! これが漆――もにょもにょ……さまの呪い?」

「あんたが温め過ぎただけでしょ!」


 雪花は呆れてツッコむが、鷺若丸が慌てて立ち上がる。


「危うし、ステラ殿! いったんこちらに――あなやっ!」


 焦りから足を滑らせた鷺若丸が、ボストンバッグの上に倒れ込むと、女の悲鳴が上がった。


「ぎゃー!」


 ファスナーが内から開き、忌弧きこが這い出して来る。


「やられ、た、わい……」


 その手をとって、鷺若丸が叫んだ。


「大丈夫か狐殿!……よもや、これも漆ごにょごにょ……の呪い!」

「いや、あんたのボディプレスでしょ」


 すると休まずにピザを食べ続けていた天涅に、異変が起きた。突然、痙攣しながらちゃぶ台のピザに顔面から突っ込み、動かなくなる。挙句、機械のような音と白い煙を発し始めた。


「ピ、ピザが……体に合わなかっ、た……ピーガガガ」

「帰れ、あんたら!」


 銀木雪花、渾身の叫びだった。鷺若丸は慌てた。


「待て、まだ大切な用が!」

「なによ」

「ご褒美! ご褒美!」

「げっ!」


 すっかり忘れていた。あの時は追い詰められていたので、咄嗟に「なんでもする」などと口走っていたはずだ。大金や権力を持っているわけでもない雪花に用意できるご褒美など、たかが知れている。だからこそ色仕掛けなんて真似をしてしまったわけだが、しかしこうして振り返ってみると自分のあまりの大胆さに顔が熱くなる。


 いざとなったら逃げだして、踏み倒してやろう。そんな考えにすがりつつも一応、鷺若丸の様子をうかがう。


「昨日は、まあ、その、なんていうか、世話になったわね。助かったわ。漆羽様には喜んでもらえなかったけど。……土御門の力を奪って弱体化させれば、漆羽様のためになるはずだったんだけどな」


 いや、そんなことは彼にとってはどうでもいいだろう。


「で。……あたしになにしてほしいわけ?」


 緊張で頬がひきつる。そんな雪花の方に、鷺若丸は身を乗り出した。


「囲碁をやれ。ステラ殿のため、囲碁部の団体戦に出よ」

「……。イゴブのダンタイセン……。囲碁部の団体戦?」


 雪花は戸惑った。爆発したピザを泣きながら片付けている女を振り返り、眉をひそめる。


「あたしが言うのもなんだけど、せっかくの白紙の小切手を他人のために切ろうってわけ? どうかしてんじゃないの、あんた」

「コギッテ?……がなにかは分からぬが、ステラ殿は他人にあらず。大恩人なり。返し切れぬ恩がある。恩をこうむりなば、必ず報ゆべきなり。否、ええっと、報い……報いたい!」

「恩、ね……」


 恩と聞かされて、雪花の頭に浮かんだのは、漆羽鬼神のあの威圧的な姿だった。


 雪花は毎日ずっと神社に通い続けてきた。雨の日も、風の日も、灼熱の真夏日も、一日も欠かすことなく、山を登った。そんな生活が、かれこれ五年になる。過酷な日課だったが、続けることができたのは恩があったからだ。漆羽鬼神に命を救われたのだ。献身は、その恩を返すために始まった。だから恩に報いたいという気持ちは、誰よりもよく知っている。


「そっか。あんた、変な奴だけど、嫌いじゃないわね。……ううん。気に入った」


 冷たい手を差し出して、彼女は笑った。


「団体戦に出ればいいわけね。分かったわ。その望み、あたしが叶えてあげる」


 油にまみれた両手が、雪花の手を握り返した。


「うむ、大いに助かる!」

「一応、言っとくけど、あたし囲碁なんて分かんないから。人数合わせにしかならないわよ」

「なあに、心配はいらぬ。知らぬことは覚えればよい」


 鷺若丸は自らの口の端にチーズをつけたまま、満面の笑みを浮かべた。


「喜べ、ステラ殿。二人目が揃ったぞ。祝杯なり! 新しき囲碁部の門出なり!」

「まあ! ピッツァのおかわりも必要でしょうか?」


 無邪気に喜ぶ二人を見て、雪花は苦笑する。それからちゃぶ台の向かいで痙攣している天涅を一瞥し、意地悪く言った。


「だったら、ひとまずそこの陰陽師は追い出しちゃわない? 部外者なんだし」


 しかしそれに対して、鷺若丸はとんでもない台詞を吐いた。


「なにを言う。彼女も必要だ」

「……は?」


 驚く雪花の前に、鷺若丸は三本の指を立てる。


「団体戦は三人一組。ステラ殿と雪花殿で、二人。あともう一人、女子が必要だ」

「あんた……、まさか!」

「いかにも。土御門の天涅殿。彼女を三人目に誘おう!」

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