奇妙な優越感

肥後妙子

第1話 簡単に手に入るからこそ

 岬田孝介は病院の精神科に務める臨床心理士だ。

 若葉が芽吹き始める季節の休日に、孝介は姉から招待を受けた。

 「うちで犬を飼い始めたのよ。中型犬の雑種。元保護犬。貴方は犬好きでしょ。ちょっと来てよ」

 姉の祐美子の声には少し苛ついているような響きがあった。心配事の相談かな?と予感が浮かんだ。

 姉夫婦には一人息子の智輝がいて、最近反抗的になっていると以前ぼやいていたのだ。

 予感は当たった。

 顔と体は柴犬で耳がゴールデンレトリバーの犬をじゃらしていると、姉夫婦が揃って居間のソファに座って神妙な表情でこちらを見た。


「孝介くん、相談したい事があるんだ。智輝が最近、ちょっと……」

 無口でにこやかな、ホカホカのあんまんを連想させる義兄の寛彦が、おずおずと話を切り出した。孝介は笑顔を見せた。

「ああ、やっぱり。良いですよ」

「うん……祐美子が怖がっちゃってね」

「こわがる?姉さんが?どうしたの」

「寛彦さん、そういう言い方すると孝介も驚くでしょうが」

 祐美子が夫をちらっとにらんだ。

 智輝についての話とはこうだった。学校で第二次世界大戦時の広島と長崎についての原子爆弾投下について教えられたのだという。家に帰ってきた智輝に祐美子が大切なお話だからちゃんと覚えておきなさいというと、智輝から意外な返事が返ってきたという。

 ―だって、情弱なのが悪いよ。

 その返事を聞いた時、祐美子は訳が分からなかったという。


「情弱?情報弱者って事?確かにそれは変だな」

 孝介は眉間にしわを寄せた。

「そうでしょう?例えば日本の方が悪いとか、そういう事だったらまだわかるんだけど、情弱って言って鼻で笑うから何を言ってるのかと思って……。どういう事?って訊いたの」


 ―だって、原爆が落とされるなんて分かり切ってるだろ。ネットで調べて知ってるもん。俺だったら逃げるね。逃げない情弱が悪い。

 そういってニヤニヤ笑ったという。


「それは……日本軍の諜報活動が悪いとかの意味……ではなさそうだな」

「そうよ。ネットで調べたとか言ってるんだから。その時代にはネットなんかなかったし、米軍の作戦が一般人に分かる訳ないでしょって行ったんだけど」


 ―だぁかぁらぁ昔の人はみんなバカなの!情弱なの!

 智輝はそう言って再び鼻で笑うと自室に行ったという。


「時間の流れの認識の仕方が異常だと、僕等は思ってしまうね」

モチモチの指を組んだ両手を膝の上に乗せ、険しい表情で寛彦は言った。

「それだけじゃないのよ。智輝ったら情弱って言って人を馬鹿にするのが気に入っちゃったみたいで、ニュースで事故なんかがある都度被害者の人を馬鹿にするのよ」


―事故が起こりやすい所って大体前から危ないって言われてるよね。俺なら気を付けるね。情弱!


「それは……なんだか怖いな」

「そうでしょう?なんだか色んな感覚が私たちと違いすぎて……。孝介、あなた臨床心理士でしょ?あの子、どういう状態だかわかる?」

「学校でなんかあったんじゃないの?」

「相変わらず元気に学校に行ってると思うけど。今日だって友達の家でゲームをしにニコニコしながら行っちゃったし」


 孝介は後頭部をカシャカシャ掻いてうーんと唸った。

「今の時代簡単に情報が手に入っちゃうから、ネットが無かった時代の事が想像できないんだろうなあとは思う。それだけでなく、昔の人をやみくもにバカ呼ばわりするのは……。それ、絶対的に不利な状況に置かれた犠牲者に対してマウントをとってるんじゃないかなあ。見下す快感を覚えてしまったように思える」

「そうなんだよね、やはり……」

 寛彦はため息交じりに言った。


「だからさ、試しに思ったことをなんでも口に出すのは悪いことだという情報を覚えておきなさいって繰り返し言ってみるのはどうだろう。ちょっと苦しいかな……」


    

                   ☆

 


 自宅に帰った孝介はとりとめなく机の前に座り、姉夫婦に聴いた智輝の言動を思い出していた。お土産にもらったロールケーキは冷蔵庫にちゃんと入れてある。風呂上がりに食べようと思っていた。

 孝介は考え続ける。智輝の言動はSNSで偶発的に起こるある出来事を思い起こさせたからだ。

 SNSでよく起こる、障碍者が福祉を利用した結果、税金が多く使われる場合があり、それを許せない、もっと役に立つものに金を使えという意見が称賛される現象。

 その意見の善悪以前に孝介はずっと不思議に思っていたことがある。

 その類の投稿に必ず福祉を利用する傷病者や障碍者本人の外見が分かる写真を投稿するものがいる、という事である。テレビや新聞に載ったもので、名前などが書かれている者もある。もちろん投稿しているのは被写体になった本人たちではない。


 障碍者や傷病者が福祉制度を使うのは違法ではないが、勝手に他人の写真を投稿するのは違法である。法的には、無断で写真投稿した方が悪と認定されるのだ。それでも投稿せずにはいられない。税金を多く使われるのが嫌なのなら、使用された税金の金額をまとめて数字で発表することの方が、是非はともかく説得力が増すように思えるのに。


 でも彼らはそうしない。文字を使って主張するよりも個人の外見を拡散するのだ。

 

 この現象を、孝介は視覚的なインパクトを与えたい人が多いのだろうな、ぐらいに思っていた。しかし、智輝の言動を姉夫婦から聴いて新たな考えが浮かんだ。


 彼らは情報を持っていることを見せつけたいのではないか?障碍者や傷病者を批判するときに、彼らの名前や外見を知っているという事を誇示したいのではないか?法に規制されて思うようにネットには載せられないことになっている情報を、それでも自分は拡散できるという事に喜びを感じているのではないのか?


 孝介はため息をついた。時代はやはり病んでいるのかもしれない。

 俺の職場は当分忙しいんだろうな……。

 そう孝介は結論を出すとこめかみを指圧してため息をついた。


                                終


 

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