第26話:幻灯機が映す記憶、願いがつなぐ時

 幻灯機が投影した映像の中には、子供部屋だろう小さな部屋が映し出されている。

 そこにはたくさんのおもちゃが置かれていた。

 机の上には、飛行機の模型が、

 棚の中には、当時のヒーローたちのフィギュアが、

 そしておもちゃ箱の中には、ボールや車のおもちゃ、作りかけのブロックの作品なんかも乱雑に詰め込まれている。

 それらの光景が順に映し出されたあと、子供部屋の扉がバタンと勢いよく開いた。

 飛びこんできたのは男の子だった。これが小さい頃のシークさんなんだろう。

 男の子は学校から帰ってきたところなのだろうか、部屋に入るなり、鞄を放り投げるように置くと、他のおもちゃには目もくれず、まっすぐにベッドに向かう。


 ベッドに勢いよく腰掛けると、男の子は誰かに向かって話しかけた。

『ただいま、ねえ聞いてよ。今日さ面白いことがあってさ』

 男の子はベッドの横にいる誰かに、今日あったいろんなことを楽しげに話している。

 さっきまでの映像では、子供部屋に人がいる気配は無かったが、誰に話しているのだろう?

 そんなことを考えていたら、現在のシークさんがぽつりとつぶやいた。

「……ああ、これは俺だ。小さい頃の俺だ。そうだ、あのときは必ず帰ってきたら、あいつにまず話しかけていた。親よりも兄妹よりも先に……。だれだったっけ、すごく仲がよかったんだ。いつもいっしょっだった、ずっと大切な存在だった。なんで忘れていたんだろう」


 映像の中の男の子は話し続けていた。

『あーあ、俺はおまえのことが一番お気に入りなのに、父さんはおまえのことを捨てろって言うんだぜ。いいじゃないか。男の子がこういうの好きだって。気に入ったものは気に入ったんだからさ』

 そう言って男の子は、ベッドの上の何かを抱きかかえながらベッドに倒れ込む。

 男の子の上半身と同じくらいの、大きなおもちゃだ。

 ふわっと柔らかい輪郭で全身が薄い茶色の色調。丸い大きな耳を顔の横に二つ。首には金色をあしらった赤のリボン。チェックのベストを着込んだおしゃれな服装。

「ああ、そうだ。思い出した……。俺が一番大好きだったクマのぬいぐるみ。もっと小さい頃に母さんに買ってもらった。大事なぬいぐるみだ。俺は本当にこいつが気に入っていた。名前もつけたよ。茶色だからブラウ。簡単な、本当に簡単な浅い名付けだ。でも、ずっとずっといっしょだったんだ……」

 シークさんの声は、誰かに聞かせるものでは無くなっていた。自分の記憶を読み返すように、とつとつと、だけど視線は映像に釘付けで。

「そうだ、俺がブラウを忘れたのは……。だからこのあと」

 すべてを思い出したようだ。このあとに起こることもわかってしまったのだろう。悲痛な顔をしている。


『こんなものをいつまでも持っているなと言ったろう!』

『やめてよ父さん! 俺の一番大事な友達なんだ。捨てないで!』

『馬鹿なことを言うな! 友達は学校で作れ! そんなことだからおまえはいつまでも、一人前になれんのだ!』

『やめて! ブラウを持って行かないで!』

『うるさい!』

 父親は男の子からひったくるように、クマのぬいぐるみを取り上げると、部屋から出て行ってしまった。

 男の子は床に倒れたまま、泣きじゃくっている。きっとこのあとぬいぐるみは捨てられたのだろう。

「そうだった。俺はブラウが捨てられたのが悲しくて、悔しくて、これから家族の誰とも話をしないようになった。ずっと、泣いて泣いて、疲れ切ったあと。すべてが俺の中で無になったんだ」

 うつむくシークさんの手が止まる。

「本当に俺の一番の友達だったんだ。かけがえのない友達。男の子だってぬいぐるみを持っていていいじゃないか! でも、家族も友達もだれも俺を理解してくれなかった。だから、俺はこの辛い記憶を無かったことにしたんだ……。そんなものはなかった。大事なおもちゃなんて持っていなかったって。思い込もうとしたんだ。友達を守れなかった自分を直視するのが怖かったのかもしれない」

「でも、忘れきれなかったんだね」

「しばらくは、それで暮らして行けた。でも大人になって、ふと何かが欠けているような気がしたんだ。子供の頃に何かを忘れてしまったようなそんな気がした。気がついてしまったらもうだめだった。あらゆるおもちゃ屋を巡ったよ。自分の街だけじゃ泣くほかの街も。でもどこにも無かった。どんなに探しても、求めても見つからない。そんな絶望の中にいたとき、世界が歪み始めた。紫色に輝くもやに包まれたと思ったらここにいたんだ」

「強い願いを持つものは、その願いを叶えられる《星》に引き寄せられます。それがこの《マボロシの海》ですから。あなたにとって、この《星》が来るべき場所だったということですよ」

 トイロ館長の声は静かで、でもいたわるような声だった。

 シークさんは泣いていた。

 自分の辛い過去、そして大事な友達を忘れていた事実。ふがいなかった自分。それがもうこの世に無くなっているという現実を突きつけられたから。


 しばらく重い沈黙が場を支配した。

 そんなときに私に聞こえる声があった。

『まだその子の記憶は終わっていないよ』

「え?」

 そう言われてみると、確かに映像はまだ空間に投影されていた。画面に変化が無いから気づけなかった。シークさんの手が止まっていたからだ。

「シークさん、まだ続きがありそう。ハンドル回して!」

「あ、ああ」

 我に返ったシークさんが、目を拭ったあと映写機のハンドルを回し始める。

 しばらくして、映像がまた動き始めた。

「あ……」

 声が漏れる。そこに映っていたのは無くなったはずのクマのぬいぐるみだった。おそらく父親に持って行かれたあとなのだろう。子供に見つからないように、捨てるまでの間、物置か倉庫かその辺りに隠されているようだ。

 暗い中に他の荷物とともに積まれたクマのぬいぐるみ。その目が不思議とこちらを見ているような気がした。

『ボクはもう君に会えないのかな? 最後にいいたいことをいえなかった。それが悲しい』

 クマのぬいぐるみは遠い誰かに向かって話しかけている。

「なぜ、ぬいぐるみが話しているの?」

 私は《星》のコアに尋ねる。

『この幻灯機は人とおもちゃの記憶をフィルムにするおもちゃだから。人だけじゃなくて、おもちゃの記憶もラインがつながれば世界から呼び出せる』

「じゃあ、これはこのぬいぐるみの気持ちってこと?」

『そうだよ、おもちゃにだって心はあるんだ。まして愛してくれた持ち主に対してなら、なお』


 シークさんに《星》のコアの言葉を伝える。

 その事実にさらに涙ぐんだ。映像に向かって話しかける。

「俺もだ。守ってあげられなくてごめん」

 シークさんも、失った遠い過去へと言葉をかける。

『ボクはシークにお別れを言えなかった。捨てられたことは悲しい。お別れももちろん悲しい。でもおもちゃはいつか捨てられる運命だから』

「そんなことはない! 俺はブラウと一緒に居たかった!」

 かみ合わないはずの会話は不思議と通じているように思えた。本当に通じているのか、それとも思いの通じる二人の間のこのときだけの奇跡か。

『もちろん、おもちゃだから君に言葉はかけられない。でも伝えたかった。シークといられて楽しかったって。君と遊ぶのは楽しかった。君が話してくれる毎日のお話が大好きだった。なにより、君といられて幸せだった』

「俺だって! ブラウだけが本当の友達だったんだから」

『だから、伝えたかったな。居なくなっても悲しまないでって、……そしていつかまた会いたいって』

「会える、会えるさ! そのために俺はここまで来たんだから!」

 そこでシークさんは《星》のコアに向かい合う。「なあ、そうなんだろ? 俺はすべて思い出した。思い出も、悲しみも、そして大切な気持ちも。なら、あいつをここに形にしてやってくれるんだろ」

 心からの叫びと言うことが、誰にも伝わっていた。そうだ、ここで出会えてこそ幸せな物語になるのだから。


 私はシークさんの言葉を《星》のコアに伝える。

『ああ、もちろんさ。ここまでの情報があれば十分だ。さあ、悲しみを抱え、克服しようとする子よ。記憶の過去に手をのばすんだ』


 シークさんは、おそるおそる映像に手を伸ばす。ゆっくりとゆっくりと。それは届かないことへの怖さの表れでもあり、失ってしまった時間を埋めるような克服の速度でもあったのだろう。

 そして、その手は映像のブラウについに届いた。

「……さわれる。さわれるんだ!」

 シークさんの手は、ブラウの手をしっかりとつかんでいた。確認するやいなや。全力でブラウを抱きしめる。

「ブラウ! ごめんよ、ごめんよ! 会いたかった、君をずっと探していた。こんなに待たせてしまった!」

 クマのぬいぐるみはもはや映像では無かった。

 しっかりと、腕の中にいるブラウは、現実として存在していた。

 過去から現在に時を飛び越えて二人は再会した。シークさんの大切な在りし日のおもちゃ。二人の大切な時間がまた始まったのだ。

 

 シークさんの涙は喜びの涙に変わっていた。

 そこにいるのは、ただおもちゃを愛した、ひとりの子供の姿に見えた。

 おもちゃと人の間に絆はある。私は強くそれを感じていたんだ。

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