悪魔の子@共々

渡貫とゐち

天使なんてどこにもいない(いるとすれば堕天使か?)


「ねえ叔父さん、聞きたいことがあるの」


 姪を預かって三年が経った。

 こいつの親は仕事にかまけて、まったく会いにこない……養育費だけは入ってくるからいいが、それも大半が俺の趣味に流れることを考えれば、ろくでもないのは俺も同じか。


 日々、全身の傷が増えていく姪の事情に深くは踏み込まなかった。姪が助けを求めれば渋々動いたが……それでもこいつは一切、俺に学校でのことを話さなかった。

 教師に聞けば優秀な生徒らしいが……気を遣ったのか、本当の親へは事実を話しているのか。なんにせよ、姪は表向きは問題のない生徒らしい。


 本性を気づかれていないのなら優秀なカメレオンだな。


「聞きたいこと?」


 聞いてほしいことではなくて?

 全身の傷は自傷行為である可能性もあるが、持ち帰ってきた教科書が破れていたり何度も何度も財布を無くして一文無しになっているところを見れば、確実にいじめられているな。

 体の傷もいじめっ子にやられたか……、女子高だよな? 意外と過激だな……。まあ、それで塞ぎ込む姪ではないが、それがかえって恐ろしい。これは今、溜めている期間なのではないか?


「うん、聞きたいこと。これ――――証拠なんだけど」


 写真、録音、映像――それらは姪がいじめられている決定的な証拠だった。言い逃れはできない……証拠に加工が入っていなければ、だが。

 そこを心配することはないか。多少盛っていたとしてもいじめ自体はあったわけで、この証拠が信用されないことはないだろう。


 日付を見れば、二年前のものもある……同一人物からいじめられて二年間、こいつはがまんしていた……? 逆らえなかったわけではないな。

 姪は、気に入らないことがあれば遠慮なく言うタイプだ。内弁慶ではなく……はっきりと他人にはモノを言う。それがクラスメイトにだけ、なりを潜めるとなると考えづらい。


 ……仕掛けたな。


「いじめられていた証拠か……それで?」


「これだけあれば、どんな仕返しまでならオッケーかな?

 たとえば……ナイフで刺してもとんとんくらい?」


「…………」

「元警察官ならそういうの分からない?」


 元、と言っても二十年前のことだ。しかも俺は不正で除名されている……犯罪に詳しいわけでもないし、いじめ問題なんてさらに管轄外だ。

 だが……これだけの証拠があり、二年間も苦しんでいたと言うのであれば…………まあ、


「ナイフで刺すぐらい、大丈夫じゃないか?」

「そっか……やったっ!」


 問題を起こすなよ、とか、人に迷惑をかけるなよ、とか、保護者代理とは言え、大人として言うべきだと思ったが、今の姪にはなにも響かないだろう。

 自分から堪えていたとは言え、二年間もいじめられていたのは事実だ。誰にもばれないように――俺にもばれないように気を遣っていたのだ。精神的なストレスは想像できない。

 それが、やっと報われる時がきた――その時の姪の笑顔は、これまで一度も見たことがないもので……つられて俺も、笑みがこぼれた。


「なあ、食いたいもんとかあるか?」

「え? なに急に……んー、じゃあ、苺のショートケーキ!」

「甘いもんとは想定外だな……」


 これは俺基準で考えていたからだな……女子高生は甘いものが好きだ。

 スイーツを頼まれることは想定できたことだ。


「分かった、買ってこよう」

「ほんとに!? ありがと叔父さん!!」


 ……最後かもしれないしな。

 近い内にこいつは大問題を起こす……、その時は俺も一緒に頭を下げてやろう。



 井桁いけた明日海あすみがいじめられていたのは二年前からだった。

 主犯格の少女は、最初は気に入らないから、という理由だった……ちょっとちょっかいをかけるつもりで、この時ならまだ冗談で済むレベルだった。


 だが、反抗的な態度を取った明日海に、いじめはさらにヒートアップしていき――物を隠す、盗む、壊すだけでは止まらなかった。

 彼女に危害を加えることが当たり前になっていった。

 毎日、積もったストレスを明日海にぶつけるのが日課になっていたのだ。


 二年間、よくもまあ外に漏れなかったものだ。主犯格の少女たちも当然ながら口止めをしていたが、それで止められるものではない。子供の口約束など破られて当然なのだから。


 それでも、どこにも漏れなかった。いじめがヒートアップするにつれて怯える少女もいたが、まったく騒ぎになっていないことでおとなしい少女もいじめに加担していった。

 ……その変化は、加害者にしても被害者にしても、あまり喜べないことだっただろう。


 ――およそ二年間。

 毎日繰り広げられてきた一方的ないじめは、唐突に幕を閉じる。


 これまで堪えてきた被害者が――反撃に出たのだ。



「なんだよ、井桁。アタシになんかよ、う――?」


 明日海の手には小ぶりのナイフ。

 切っ先がいじめ主犯格の少女の肩へ、突き刺さっていた。


「へ……?」とまだ理解できていない少女は痛みを知らない。

 そこへ、明日海はさらにナイフを刺したまま、左右に捻った。

 血が溢れ出てくる。やがて、少女の表情が崩れ、痛みを認識したようだ。


「いっ、いたっ、痛い!! なになん、あぁあうううううッッ!!」


「痛いでしょ? 痛いよね? だって痛くしてるんだから当然だよね!?」


真理まり!!」


 ナイフが引き抜かれる。それによってさらなる激痛が彼女を襲い、真理と呼ばれた主犯の少女が椅子から転げ落ちた。

 ちなみに、今は自習中である。

 教師はおらず、両隣の教室も体育と移動教室で誰もいない……騒いでも問題ない。


 血だらけの少女に駆け寄った友人の少女が明日海を睨みつけるが、対象者は主犯の少女だけではないのだ。

 駆け寄った少女の顔面を蹴り飛ばす。倒れた彼女の肩に、同じようにナイフを突き刺した。


「ひぎぃ!?」


「なんとなくイメージでさ、肩なら致命傷じゃないでしょ?」


 胸は論外。お腹は危ない。足でもいいけど、振り下ろしやすい肩に決めたのだ。

 ごつ、と骨が当たる感覚も、明日海はちょっと癖になっている。


「次は誰? あ、でも全員やるからね。だっていじめを知りながらも見逃していたってことでしょ? だったら連帯責任。二年間、いじめられ続けてきたあたしの苦痛をナイフ一刺しでとんとんにしてあげようとしてるんだから、諦めて刺されてよ――ね?」


 明日海の暴走に逃げようとしたクラスメイトだったが、なぜか教室の扉には鍵がかかっていた。いつ、施錠されたのか……全員が理解していない。


「ねえっ、なんで開かないの――ねえってば!!」


「……へえ、それはあたし、知らないけどねえ」


 周囲を見回した明日海は、ひとり、思い当たる人物がいたが、後回しにすることに決めた。

 まずは隙を見せている生徒から刺していく。慣れたもので、刺して引き抜く……倒れた少女を足蹴にして倒していく。繰り返して――残っているのはひとり。

 窓際、一番の前の席で我関せずと文庫本を開いている少女だ。


朝森あさもりも例外じゃないけど」


 明日海の接近に気づき、ぱたん、と文庫本を閉じた朝森が振り向いた。


「私はどちらかと言えば井桁さん側なんだけどね」


「教室の鍵のこと? みんなが逃げられないようにしただけで、あたしからひとりだけ逃げようって魂胆ならまだ足りないよ。あなただって、見て見ぬフリをしてきたでしょう……? あたしを助けてくれなかった」


「助けてもらえる前提なのが気になるけど……まあそれはいいわ。それよりも、他に疑問に思うことはなかったの? 私、ずっとあなたの復讐に噛んでいたんだけど」


「?」

「その様子だと、気づいていなかったみたいね」


 復讐に噛んでいた……、明日海がこの復讐を漠然とだが思い描いたのは二年前だ。初めて体に傷をつけられた時から、この結末は思い描いていた。

 ゴールを決めれば後は堪えるだけだ。堪えれば堪えるほどに、反撃した時に満足する。証拠が増えれば反撃の武器が大きくなっても非難は少なくなる……。

 まったくなくなるわけではないことは百も承知だった。

 やり過ぎ、という面はあるだろう……ただ、そこに『気持ちは分かるけど』という同情の一言をつけたかったのだ。それがあるとないとでは雲泥の差がある。


 その一言のために、井桁明日海は堪えていた。


「だっておかしいでしょ? あれだけ派手に騒いであなたをいじめていれば、保護者には届かなくとも教師陣には伝わるはずよ。実際、他クラスの生徒には伝わっているもの。そこから教師へ、保護者へ――教育機関なら当然の対処ね。面倒だから、で無視をするには問題が大きくなり過ぎている。それに、見て見ぬフリをする生徒が多いとしても、少数であっても正義感を発揮する人はいるの。探せばあなたの味方になってくれる人はいたはずなのよ」


「……でも、出てこなかった」

「私が止めていたからね」

「……え、なんで?」

「だから言ったでしょう? 復讐に噛んでいたって」


 井桁明日海の復讐は時間をかけることで成立する。彼女が堪える時間が長ければ長いほどに効果を発揮するのだから。そしてそれは、途中で大人に露見してはいけないことを意味している。


 波紋を広げないように止めていた。


 朝森 さつきはいじめを長引かせていたが、目的は明日海の復讐の手助けだった。

 ……つまり、彼女の味方……寄りである。


「でも、どうして?」

「刺されたくないから」

「……あたしがこうするって、分かってたの?」


「気持ちが分かるもの。見ていて気持ちが良いものじゃないのは私も同じ。もしも同じことをされたら……私は過剰防衛になってもいいから刺していたわね。私が思いつくならあなたも思いつくと思って……で、このまま見て見ぬフリをしていれば矛先はクラス全員に向かう。その時――私は刺されたくなかったの」


「…………」

「刺すのはいいけど刺されたくなかっただけよ」


「なにそれこわーい」

「血塗れのナイフを持っているあなたに言われたくないわ」


 だが、朝森の計画には穴がある。


 そう、これだけ手助けしていても、明日海が朝森を刺す可能性があるということだ。

 どれだけ貢献していたとしても、証拠を突きつけても、例外はないとすれば刺されるだけだ。

 だからそのための対策もしていたが…………。


「じゃあ、朝森はいいや」

「そう? ありがとう」


「だって刺しても意味ないし……、どうしてひとりだけ冬服なのかと思えば、中に着込んでるんでしょ? ……たとえば防刃の、とか」


「まあ、薄いものをね。ないよりはマシって程度よ」


「ナイフを顔に刺すわけにもいかないし……いいの。朝森はパス」

「ありがとう」



 その後、当然ながら騒ぎを隠し通せるわけもなく、教師たちにばれ、警察沙汰の大問題となった。クラスメイトたちが傷口に応急処置を受け、順番に救急車で運ばれていく。

 軽傷の生徒はタクシーで病院へ向かい…………そうしてる内に警察官が到着し、井桁明日海は素直に指示に従った。


「どうして、あの子だけは刺さなかったんだ……?」


 警察官に聞かれ、明日海は朝森を見て、に、と笑った。


「――友達だから」



 ひとり残された朝森は、自宅待機となった。読みかけの文庫本を開き、続きを読み進めるも、頭に入ってこない……。頭を占めるのは最後の井桁の笑顔だった。


「…………厄介な子と関係を持っちゃったかも……」


 彼女は悪魔のような子だった。


 そんな彼女を手助けした自分も人のことは言えないが……同類だ。



 朝森皐も悪魔の子だ。


 加害者も被害者も。

 見て見ぬフリをした生徒も手助けした朝森も――共々、悪魔の子だった。




 …了

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