「この地図が正しいなら、この辺りの筈なんだが……」


 地図の写しを片手に、辺りを覗う。しかし遺跡と思しき人工物は見当たらない。途中で道を間違えたか? そんな不安が胸中を過る。方位磁石といった便利な道具が存在しないこの世界では、周りの地形の把握と、それが駄目なら感に頼るしかないのだから、間違えていたとしても不思議じゃない。


 ましてやここまで、予想通りいくつもの罠が設置してったのだ。その大半はバース族が仕掛けた名残だろう、経年劣化により機能していないものばかりであったが、中には先程のベア・トラップ同様に吊り網など明らかに最近仕掛けられた代物も見受けられた。


 更にはこの地域に生息している虎――見た目的には『サーベルタイガー』に近かった――との遭遇戦があったりと、順風満帆とは到底言い難い道程だったのだから尚更である。


「ひょっとしてここじゃない、姉ちゃん?」


 とそこへ、蔓が鬱蒼と絡みつくゴツゴツとした岩を調べていたマルティナが声を上げた。


 早速とばかりにベッキーが絡みつく蔓を掻き分けていくと――、


「でかしたっ」とベッキーは相棒と掌をパンッと打ち付けあう。その二人が視線を向ける先には、古めかしい洞窟の入口がその口を開いていた。


「しかし地下とはね」てっきり寺院的な造りの建造物だと思っていたベッキーはそう言いながら背負っていたリュックを地面に降ろし、そこから空の布袋を取り出した。腰を屈めてその袋に砂を詰めていく。「何してんの?」というマルティナの問に、「念のための保険だ」と答えた。


 次いで用意しておいた二本の松明を取り出し火をつける。その片方をマルティナに渡し、「んじゃ行ってみるか」と先頭に立って洞穴へと入っていった。


 緩やかに下っていく道をどれくらい進んだだろうか。幸いなことに何も障害となるものが無かったその道は、いつしか平面なものへと変わっていた。


 そこで一度停止し、松明を大きく掲げて周囲を確認する。どこからか空気が流れ込んでいるのか、時折吹く小さな風の流れに松明の明かりがゆらりと揺らめく。


 見える範囲には大小様々な鍾乳石が鏃のように、天井と地面の双方から伸びていた。


 耳を澄ましても、聞こえてくるのは水滴が弾ける音と、おそらく小さな虫がいるのだろうカサカサといったものしか聞こえない。


 まだ安心はでいないが、二人は一旦ここで休憩を取ることにした。


 携帯していた干し肉を水とともに胃に流し込み、人心地ついたところで再び先に進む。そこかしこに生えた鍾乳石が邪魔で歩き難いことを除けば、ここもまた障害となるようなものには出くわさなかった。


「こりゃこっからが本番ってことか?」


 そこを越えたその先に繋がっていたのは、明らかに人の手が入ったと思しき石積の通路だった。


 罠を警戒して周囲の壁や床を注意深く調べなから進む。そのためその歩みは牛歩並にゆっくりとしたものになっていたが、松明は予備のものも含めればまだ十分に保つし、下手に動いて罠に引っ掛かったりした日には洒落では済まない。これは実地を兼ねた試験なのだから、まずは確実にクリアすることを念頭に置かなければならない。でなければ信じて送り出してくれた師匠に合わせる顔がない。


 そうやって、床の感圧板を踏むと壁に開いた穴から矢が飛び出す『アロー・ショット』や、穴の底に無数のスパイクが敷き詰められた落とし穴ピットといった罠を回避しつつ更に奥へ歩みを進める。


 天井から一筋の日光が斜めに差し込んでいる場所へと辿り着いた。ここがどれだけ深いところなのか検討もつかなかったが、日光が差し込む穴の下に崩れた石が無いことから、自然にできた穴ではないと確信したベッキーは、より一層の警戒を強めた。


「ここで待ってろ」そう言うと一人光の下に向かう。


 光に触れないようにそっと下から穴を見上げる。穴自体は何の変哲もないもので、通気孔だと言われれば信じてしまいそうな造りだったが、その光景は以前師匠から聞かされた話に出てくる罠と酷似していた。どういう仕組なのか師匠自身も知らないと言っていたが、見破り方だけは教わっていたベッキーは、それに習ってそっと右手を光の中に差し入れると、一瞬の間をおいてサッとすぐに引っ込めた。


――ドゴンッ


 その更に一瞬後、光が差し込む方とは反対側の石壁が驚異的な速度でせり出し、ベッキーのすぐ鼻先を通って光が当たる壁へと衝突した。聞いた話の中では、長く鋭い釘が何十本も壁から飛び出すというものだったが、いずれいせよやはり罠だったのだ。


「…………っ」あと半歩でも前に出ていたら、壁と壁に挟まれて全身の骨を砕かれていたことだろう。思わずヘタリと尻餅をつく。


 そこへ「いやぁ〜危なかったねぇ」とまるっきり他人事だと思っている口調でマルティナが手を差し伸べる。普段比較的冷静な姉が冷や汗を流す様がよほど面白かったのだろう。その顔はイラッとするほどニヤついていた。


「…………」ベッキーは無言で妹の豊満な胸にアッパーを喰らわせた。「あ痛ッ。何で〜!?」


 そうこうしている内に、今度はゆっくりとした挙動でせり出した石壁がもとに戻っていく。また光に触れないように、よくよく光の当たるその壁を見てみれば、薄っすらとだが血糊と思しき痕跡が見て取れた。


 水を飲み人心地ついたベッキーは、八つ当たりをされた恨み言を口にする妹とともに、壁が完全にもとに戻るのを待って更に奥へと歩みを進める。道中どこからか迷い込みでもしたのか、数体のゴブリンと遭遇したが、マルティナの鮮やかな剣捌きで血の海に沈んでいた。


 そこは少しだけ開けた広間だった。


 うれしいことに、そこは天井から外の日光が差し込んでいて、少々薄暗くはあったが松明の必要はなさそうだった。だが、先程の罠の件もある。用心に用心を重ねて調べてみたが、光への接触を引き金とした類の罠は存在しなかった。


――そう、そういう類のものは。


「おいおい。これを飛び越えろってか?」


 その広間の中央。そこに端から端まで伸びた溝が出来ていた。


 幅はおそらく4mくらいだろうか。切り立った溝で、底が窺えないほどに深い。試しにスリング用にと拾っておいた小石を落としてみるも何の反応もなし。マルティナの身体能力ならいざ知らず、ベッキーには到底無理な話だった。


 とはいえここで手をこまねいている訳にもいかない。どこかに溝を越えることが可能になるギミックがないか必死に探す。しかし――、


「ダメだ。どこにもそれらしいものがぇ!」


 叫ぶようにそう言うと、愕然と膝をつく。と、そこでマルティナが何かを思い出したかのようにこう言った。


「アレ試してみようよ。両手でホイってやつ」


「ああ、『アレ』かぁ……」


『アレ』とは冬のエルム川を越える時にやった方法で、バレーボールでレシーブを行う際に組む手の形――アンダーハンドパスというらしい――で待ち構えるマルティナが、そこへ走って飛び込んでくるベッキーのジャンプのタイミングに合わせて両腕を前方に全力で放り投げるというやつだ。


 飛びすぎて逆に着地には失敗したが、川は難なく越えられた。あの時の川幅は3mほどだったが、やってやれないことはない筈だ。


「…………」無言のまま逡巡する。それはそうだろう。あの時はたまたま上手くいっただけかもしれないし、最悪失敗しても川に落ちて凍える羽目になるだけだった。


 しかし今回は状況が違う。幅もそうだが、もし失敗でもしようものなら底の見えない深い溝に真っ逆さまだ。そうなれば死は免れないだろう。


 とはいえ今はこれ以外に方法が思いつかない。それに考えている時間も無かった。日が傾いているのだろう、どんどん広間の中が暗くなっていってきている。このまま松明が必要なほどに暗くなれば、それこそ万事休すだ。


「姉ちゃん」アタシの方は準備OKだよ、と声をかけるマルティナ。


「ええいっ、分かったよ! やってやるよ!」もう一度頬に活を入れる。


「…………」チャンスは一度きり。大丈夫あの時だって上手くいったじゃないか。そう自分に言い聞かせ、ベッキーは構えて待つ相棒の下に走り込んだ。

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