タバコの煙と古い畳と

@moyokohuadou

追憶の日

私が一番好きな場所は、年数の経った平屋の貸家である。この始まりは、吉本ばななのキッチンを彷彿とさせるところがあるかもしれないが、あの作品のみかげのように境遇が特別な女性の話を始めたい訳ではない。どこにでもありふれた人間の私が、この場所が好きに至るまでのことをあれこれ書きたくて書いたものを皆さんは読んでいるだけ、そう思って頂きたい。


何故、この条件の平屋が好きなのかというと、忘れられない男性が住んでいて、来る日も来る日も仕事が終われば通った思い出の積み重ねなんだと思う。自分の実家でいるよりも、この平屋の主が自作した無造作な本棚が、なによりそこに収まる本が好き。一番の理由はそれかもしれない。村上春樹や私の知らない海外作品、果てはドラッグレポートなどという、いかがわしい本が並び、私の知ってる作家ももちろん多いが、この本を本棚に並べて読んでいたんだなぁという事実が人のことながら自分も誇らしいくらい素敵な本棚なのだ。私は、彼に会うまで、アングラなことは面白いなと思いつつも、それを自分がもっと近くにいって見てみようと思うことはなかったが、この男性は私よりも幾分前進した場所でそのアングラ的光景を知識として知っていた。その危ないようなところに惹かれたのも否めない。

そんなアナーキーな、危険な人間のイメージだと突然ナイフを振り回すような人間ではないかと思うだろうが、それは案外彼とはかけ離れたイメージなのである。穏やかで優しい物腰で愛嬌のある態度、それがそういう危険性を秘めている。事実は小説よりも奇なり、この言葉はこういう時に当てはまるのかもしれない。

私は恐らく彼と出会うまで、自分というものが確立されていなかったのだと思う。いやそれは少し正しくないか。確立されてはいたけれど解放の仕方を彼が与えてくれたのだろう。

そんなふたつを内包した人物に私は惹かれたが、たまに辟易してしまうこともある。綺麗好きに見えるところもあるけれど、ガス周りが油汚れなどがこびりついていて、本人もその前の彼女も掃除しなかったのかな?と苦笑しながら、私が時々掃除したものだった。

他にも私が彼女でも、彼は私だけでは満足できず、彼と連絡が取れない日は必ずほかの女を抱いていた。そんな日の夜は、頭がかっかっして眠れに入れず夜を過ごすこともあった。他にも、彼と一緒に平日の休みを過ごしていると、突然ほかの女がやってきて、そんなドラマみたいな状況で、何故か私を帰すという最悪の態度を取られたこともあった。

愛想をその時に尽かせばいいものの、なんだかんだ、筋肉少女帯のトリフィドの日が来ても2人だけは生き抜くを彼が聴いていたのをきっかけに聴くことがあり、歌詞にほぼ全て共感して酔いしれ、この曲好きと彼に伝えると、いい曲だよねと返ってきただけで、有頂天な自分がいた。

だが、彼と共に過ごした時間は突然終わりを迎えた。彼が引っ越すことになったのだ。それを機に私とは会える時間が取れなくなることもあるから別れたいと言ってきた。私も、何故かそこでそれは嫌だと頑張らず受け入れてしまった。彼との最後の時間は引越しの荷物を一緒に詰めて引越し先に乗せて行った時だ。あの好きな平屋も何もなくなり寂しさを感じる殺風景さになったことは忘れられない。そして、引っ越しの為に車に彼を乗せていつもと何も変わりなく他愛ない話をしながら、運転し着いた先でお昼にチェーンのラーメン屋さんでお昼を食べてそこでさよならをした。そんなあっさりとした最後だった。それからしばらく経つが、私は彼を今も過ごした時間をはっきり覚えている。あの平屋で過ごした、何気ない日々全てどこかに置いていくことはできないようだ。だから今でも好きなのは、古い平屋の貸家特に彼と過ごしたあの家なのだ。

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