別れのカタログ 15選

仲瀬 充

別れのカタログ 15選

別れのカタログ その①  中2病


空に向かって落ちていきました。

僕は真下の空に向かってダイブしたのです。

と言っても、湖畔のホテルから見下ろす湖面に空が映っていたということなのですが。

だから凄い速さで落下しそうなものですがゆっくりゆっくり落ちて行ったのです。

そして空に着きました。

と言ってもそこは湖面なので僕はスケート選手みたいに凍った湖をスイスイと滑ったりしたのです。

夢はここで途切れました。


目覚めた僕はホテルのベッドの上で泣いていました。

中2病、僕は多分それなのでしょう。

人間関係がすぐに辛くなってどんなアルバイトも長続きしません。

最期くらいはと、財布を叩いて豪華なホテルに泊まったのです。

夢から覚めて怖くなった僕はもう窓枠に足を掛けることはできません。


湖畔のホテルを出て海にやってきました。

砂浜で膝を抱えて空と海の交わるところを長い間見つめました。

でも空と海が本当に交わることはないのです。


僕は立ち上がって空を見上げました。

綺麗な虹が架かっています。

でも、虹のアーチの登り口を探し歩いても見つけることはできないでしょう。


僕は途方に暮れるばかりです。






別れのカタログ その②  記念旅行


「君、聞いてくれ。僕が末期の癌だってこと、女房も一緒に医者から説明を受けたんだ」

「それで?」

「だから旅行のキャンセルの手続きを女房に頼んだんだ」

「旅行?」

「ルビー婚と言うらしいが結婚40周年の記念にハワイ旅行を予約してたんだ。癌の検診を受ける前に」

「なるほど」

「ところがだね、女房はハワイにぜひ行きたいって言い張るんだ」

「なるほど」

「なるほどじゃないよ、君。旦那が余命いくばくもないってのに」

「だからこそ奥さんは行きたいんだろう」

「どういうことだ?」

「君との最後の思い出を作りたいのさ」






別れのカタログ その③  光る道


道が光る、道が光る。

子供のころを思い出す。

逃げ水を追いかけた時も道が光っていた。

長いあいだ忘れていた。

道は光るのだ。


駅に向かって歩きながら今朝の彼の間違い探しをおこなう。

朝食はいつもどおりトーストにベーコンエッグ。

付け合わせはレタスとトマト。

食べ終えるとベランダに出て食後の一服。

寝室に戻って着替えてネクタイを締める。

ダイニングテーブルのタバコとライターをスーツのポケットに。

ブリーフケースを提げて玄関へ。

そして靴を履きドアノブに手をかけて振り向いた。

「それじゃ」

「うん」

一足早い彼の出勤を私は笑顔で見送った。


彼はどうしていつもと同じ顔で出て行けたのだろう。

私もどうしていつもと同じ顔で見送ったのだろう。

朝のルーティンが今日は二つも違っていたというのに。


私のマンションに初めて彼を泊めたのは半年前。

翌朝、彼はタバコを忘れて玄関を出た。

私はドアを半開きにしてタバコを高く掲げた。

「忘れ物!」

「今度来たときでいいよ」

そう言って彼はマンションの外廊下を歩いて行った。


タバコだけでなく彼の忘れ物は続いた。

何かの書類であったりボールペンやライターだったり。

置き忘れる場所もベッドサイド、洗面所、ダイニングテーブルなどなど。

「忘れ物!」

「今度でいいよ」

同じやりとりを繰り返すうちに私はキュンと悟った。

忘れ物はまた来るための口実なんだと。


食パンは関東人らしく6枚切り。

玉子のカラザは面倒でも取り除く。

ベーコンは脂身が少ないほど良い。

付け合わせの野菜はキャベツよりはレタス。

彼の好みの発見一つ一つが新鮮な喜びだった。


けれども彼の訪れはしだいに間遠まどおになっていった。

今にして思う。

彼に初めて朝食を作った半年前。

あの日が私にとってはスタートでも彼にはゴールだったのだ。

非日常が日常になるにつれて彼の緊張は弛緩しかんしていったのだろう。

初々しかった忘れ物の品々もいつしか百円ライターに固定化した。


今朝はそのライターさえ残していかなかった。

そしてしなの言葉も「それじゃまた」ではなかった。


恋は終わっても会社を休むわけにはいかない。

夏の日差しが朝から眩しい。

駅までの道を目を伏せて歩くとアスファルトの道が点々と光っている。

ガラスの細かなかけらが入っているせいだろう。

カレット舗装というらしい。

チカチカ、キラキラと光って見える。

子供のころは奇麗だとも不思議だとも思っていた。

近づくと遠のく逃げ水を追いかけたりもして。






別れのカタログ その④  1分間の別れの儀式


「そろそろ籍を入れようか」

彼は何度かそう言った。

「慌てなくてもいいんじゃない?」

私はその都度はぐらかした。

本当はもうひと押ししてほしかった。

3年同棲した責任を取るプロポーズなら嫌だから。


日曜日、掃除機をかけ終えた後のこと。

彼が向かい合わせにソファーに座って別れ話を切り出した。

他に女性ができたと言う。

「分かったわ。好きな時に出て行って」

「いいのか?」


理由は重要じゃない。

もう一緒にいたくないという事実が全て。

未練はストーカーと同じだ。

迷惑を通り越しておぞましいだろう。


「最後にお願いがあるの」

「何だい」

「1分間だけ目をそらさずに私を見つめて」

「?」


あらゆる感情を抜いて彼の顔を見つめ心の中でシャッターを押す。

「はい終了。ありがとう」

別れの儀式は1分間で終わった。

彼と過ごした年月は1枚の彼の静止画と共に心のアルバム帳に収まった。


彼が私のマンションを引き払ってからは気ぜわしかった。

心のアルバムの彼の静止画が動画として動き出さないよう目の前のことに集中した。

会社では仕事、昼休みは同僚との世間話。

帰り道は立ち並ぶビルの店々、行き交う人々、歩道の並木の観察。


夕食の準備は気が散らないので気が楽だ。

今日はロールキャベツをアレンジしてロールレタス。

味付けは市販の調味料で済まそう。

時々爪楊枝を刺して煮込み具合を確かめる。

そろそろいい頃だ。

フライパンから大きめの深皿に移す。

完成、でも最後に失敗した。

「でき……」

振り向きながら「できたわよ」と口にしかかった。

両手で皿を持ったまま立ちすくみ私は初めて別れの悲しみを悲しんだ。






別れのカタログ その⑤  お爺さんと子供たち


少し昔々日本のあるところにお爺さんとお婆さんが住んでいました。

ごくごく普通の老夫婦でした。

お爺さんは若い頃から飲む打つ買うなどの道楽には目もくれずに働きました。

仕事一筋のお爺さんだったので家の中のことはお婆さんに任せきりでした。

60歳で定年退職になりましたが年金が支給されるのは65歳からです。

それでお爺さんはさらに5年間働き続けました。

給料はそれまでの半分の額しかもらえませんでしたが。


お爺さんとお婆さんは5人の子供を育てあげました。

年金生活に入った頃には子供たちはそれぞれ結婚して孫も9人できました。

お盆やお正月にはみんなが集まるのでそれはそれは賑やかです。

ある年のお正月のことでした。

子供たちがお嫁さんやお婿さんを連れて帰省して来ました。

孫たちもいて大人数なので夕食は宴会のような賑やかさです。

わいわいがやがや話が弾むうちに5人の子供たちは小さい頃の思い出話を始めました。

お婆さんがあんなことをしてくれた、こんなこともしてもらったなど話は尽きません。

「婆ちゃん、長生きしてくれよ」

「お婆ちゃん、これから親孝行するからね」

みんな口々にお婆さんに言いました。

一方お爺さんの話は叱られた話題がたまに出てくるくらいです。 

「婆さんはいいなあ、大事にしてもらえて。わしが長生きしても喜ぶ者はおらんのに。ハハハ」

お爺さんは盃を手にして笑いました。

すると小さな孫たち以外はみんな黙ってうつむいたので急に座が静かになりました。

お爺さんはうろたえました。

冗談を言ったつもりだったのです。


それから数年後のことです。

お爺さんは不治の病で入院することになりました。

お婆さんは毎日のように病院に通いました。

子供や孫たちはたまにしか姿を見せません。

入院して半年たつとお爺さんはすっかり痩せこけてしまいました。

もう長くはもたないとお医者さんに告げられました。

その1週間後子供や孫たちが病院に集まって来ました。

お婆さんから今日明日の命だという連絡があったからです。

5人の子供たちはお爺さんの耳元で口々に言いました。

「爺ちゃん、早くよくなって」

「お爺ちゃん、元気になって長生きしてね」

お爺さんは目を開けてみんなの顔を見回しました。

「お前たちのおかげでいい人生だった。ありがとう」

するとみんな黙ってうつむきました。

お爺さんはうろたえました。

冗談に聞こえたのではないかと思ったのです。






別れのカタログ その⑥  寝物語


「電気消すわよ」

「ああ」

「小さいのけとく?」

「いや、いい」


「私ね、っちゃいころ何度も死のうとしたの」

「どうして?」

「両親が仲悪くて喧嘩を見るたびに辛くなって」

「死ぬって、どうやって?」

「息を止めるの。小さかったから他に思いつかなかった」

「今生きてるってことはうまくいかなかったんだ」

「苦しくなるとどうしてもプハーッて息をしちゃって」

「動機には同情するけどいかにも子供っぽいね」

「そうね、肺を相手に闘ってる気がして今度も負けた、また負けたって悔しくて……何がおかしいの?」

「だってその勝負で『勝った!』って喜べるのは死んだ後ってことになるじゃないか」

「そうか、変よね。ねぇ、あなたも何か話をして」


「うーん、今頭に浮かぶのは夕方に見た『サザエさん』だ。カツオたちが梅雨は嫌だと言うとお婆ちゃんのフネさんが梅雨がないと稲が育たないし水不足になったりするって」

「それで?」

「雨が降らないと水不足になるってことは俺たちは雨水を飲んでるんだなって、そう思っただけ」

「『サザエさん』は平和でいいわね。あんな世界で暮らしたかった」


「も一つ気になったことがある。フネさんが畳に座って縫い物してた脇に輪投げの棒みたいなのが立ってた。先っぽが針山になってるやつ」

「くけ台のことね」

「その棒に懐かしい裁縫道具が紐で吊るされてたんだけど名前が思い出せなくて」

「どんなの?」

「金属製で布の端を挟むやつ。おふくろも使ってたんだ、布地を引っ張って縫う時に」

「ああ、あれね。ぎゅっと握れば先端の挟む部分が開く仕組みの」

「そうそう。ウッ……」


「また? 何度もげっぷが出るわね」

「水を何度も飲んだから腹が張ってるんだ。お前が羨ましいよ」

「私、粉薬は苦手だけど錠剤は子供の頃から水なしでも平気だった」

「粉薬って言えば飲む時はおふくろが薄いオブラートに包んでくれた」

「子供の頃の話ばっかりね」

「大人になってからはいいことなかったからなあ。今度も2千万工面くめんできれば不渡りを出さずに店をやり直せたんだが、俺と一緒になったばかりに育子、お前まで道連れに……」

「その話はもう……あ、効いてきた、……なんか凄い、ぐんぐん引き込まれる感じ。ねぇ、頑張って起きてなくていい?」

「いいよ、俺もそろそろ限界みたいだ」

「ね、手を握って」


……イクコ

………ン?

ゴメンヨ…

ウウン……


……イ……

……………






別れのカタログ その⑦  モアイ像とイースター


思い出をたずねて夜の海に来た。

彼女と出会った海岸通り。

別れて初めて気がついた。

幸せの条件はたった一つ。

一緒にいるということ。

喧嘩した日々さえ幸せの範疇はんちゅうだった。

ベンチに座って海を見つめる。

暗い海面が僕のいのちを手招きするように揺蕩たゆたう。

いのち……、いのちって何だろう。

胃の血? 意の地? 医の知? 畏の致? 位の置?

ゲシュタルト崩壊だ。


どこをどう歩いて帰り着いたのだろう。

ダブルベッドでひとり目覚める孤独。

彼女が出て行って3日目の朝。

倒れているモアイ像のように僕は身じろぎもしない。

視野の片隅に入っているのは? ……オルゴールの箱だ。

ヘッドボードの棚に寝たまま手を伸ばしてつかみ取る。

ネジを巻くと『愛の賛歌』が鳴り出した。

箱の小さな引き出しを開けてみた。

するとルビーのペンダントが!

彼女がいつも身に付けていたものだ。


勢いよく起き上がった僕はもう無表情なモアイ像ではない。

ひとりでに顔がほころぶ。

モアイ像と言えばイースター島。

西洋人がイースター(復活祭)の日に発見した島だ。

イースターは刑死したキリストが3日後に復活したことを祝う日。

ならば今日という日を僕らの愛の復活祭にしよう。

別れて3日目に彼女と僕を結び付けるペンダントが出現したのだから。


彼女がこれからペンダントを受け取りにやってくる。

僕はドアを開け一切のわだかまりを捨てて「おかえり」と微笑もう。

そしたら彼女は上目づかいに「ただいま」と肩をすぼめることだろう。

晩餐はイースターらしくラム肉のローストに赤ワインと張り込むか。

いやいや、まずは連絡をしなければ。


スマホの呼び出し音がもどかしい。

「あ、僕だけど、今日こっちに来ないか。君、とっても大事なものを忘れてるよ」

思わせぶりな物言いで焦らしにかかる。

「何? 私の荷物はみんな運び出したわよ」

「じゃヒント」

鳴っているオルゴールにスマホを近づけた。

「ひょっとしてペンダント? 私の誕生日に買ってくれた」

「そうそう!」

僕はスマホを握りしめたまま2度うなずいた。


「それ忘れものじゃないわ」

彼女が電話を切った後、僕がモアイ像に戻ったのは言うまでもない。






別れのカタログ その⑧  山上離婚式


「あなた、行かないで!」と妻がすがりつく。

「ええい、離せ。行かねばならぬのだ」

私が出勤する時の光景だ。

芝居好きの私たち夫婦は時々そんなたわいもない演技をしたものだった。


だから離婚する時も奇抜な演出を話し合った。

元はと言えば登山サークルで知り合った私達だから山頂で別れることにした。

「じゃ、明日、正午に」


翌日私たちはよく一緒に登った山の頂をあえて別々のルートから目指した。

汗をかきかき正午頃に山頂で妻と落ち合った。

ほぼ同時でなかなかドラマチックな気分だ。


私はザックの中から水の入ったペットボトルと袋麺を取り出した。

妻の分担は携帯用のガスバーナーとアルミ鍋だ。

出来上がった即席ラーメンを紙製のどんぶりに取り分けながら妻が言った。

「山上結婚式ならこれが初めての共同作業ね」

「思えば僕らの結婚は山頂でばったり出合ったようなものだったな」


しかしいつまでも山頂に留まるわけにはいかない……

離婚の理由を自分にそう言い聞かせて私は折り畳んだ離婚届をポケットから取り出した。

互いに署名、押印すると私たちは立ち上がってザックを背負った。

「じゃ、元気で」

「あなたも」


私たちは登って来たそれぞれのルートで下山を始めた。

山頂から10歩ほど下って振り返るともう妻の姿は見えなかった。

妻も今立ち止まってこちらを振り向いているのではないか、そんな気がした。






別れのカタログ その⑨  遺影


夫が亡くなった。

悲しみに浸る暇もなく葬儀の打ち合わせ。

急ぐのは祭壇に飾る遺影用の顔写真だ。

夫がクローゼットの奥深くにしまっていた遺品の中にちょうどいい1枚があった。

腕を組んで二人で写っている旅先での写真。

屈託のないこんな笑顔の夫の写真は他にない。

「これでお願いします」

ハサミで真ん中から切って葬儀屋さんに渡した。

残った片方は暫く見つめた後、切り刻んでゴミ箱に捨てた。






別れのカタログ その⑩  夫婦茶碗


食器棚に一対の茶碗がある。

金婚式の祝いにと子供たちがくれたものだ。

絵柄えがらは白梅と紅梅。

紅梅のほうがサイズも少し小さくわたし用。


数年前、棚が手狭になったので重ねることにした。

小ぶりの紅梅が上、白梅が下。

夫を尻に敷いているような、夫に包みこまれているような。

こそばゆい思いで重ねたことを覚えている。


夫の葬儀を終えて初七日の法要も3日目に繰り上げた。

親戚や子供たちは皆それぞれの生活に帰っていく。

がらんとした家に秋の日はつるべ落とし。

差しこむ西日も長くはとどまらない。

今日から毎日ひとりきりの晩餐ディナー

初日のメニューはお茶漬けで。


食べ終えて食器を流しに運ぶ。

紅梅の茶碗ひとつを洗いかけて手が止まった。

夫婦めおと茶碗」とはよくも言ったものだ。

おめでたい茶碗に泣かされる日が来るとは。






別れのカタログ その⑪  電動シェーバー


オーブントースターのチンという音がした。

「お母さん、マーガリン、もう殆どないよ」

食パンにマーガリンを塗りながら娘が言う。


「じゃ、そこに書いといて」

私はソファーに座ってテレビで朝ドラを見ながら言った。

ダイニングテーブルの脇の壁に小さなホワイトボードがある。

娘は食パンを口にくわえたまま水性ペンで「マーガリン」と書いた。


「ねえ、これ、もう消していい?」

ボードの一番下のあたりに息子の字で「~7:30」と書いてある。

「だめ」

私は即座に言った。


「だって、もう半年よ」

食べ終えた娘はそう言い残して出勤して行った。


ボードが吊るされている壁の下部にコンセントがある。

そこに息子の電動シェーバーが挿されたままになっている。

半年前、大学4年生の息子は就寝中に持病の喘息の発作で急死した。

8時間充電のシェーバーだから、ボードに書いたのは寝る直前の午後11時半ごろだったのだろう。


テレビの朝ドラが終わった。

そろそろ息子が眠そうな顔で起きてきてコンセントからシェーバーを引き抜く。

毎日、そんな気がしてならない。






別れのカタログ その⑫  雲をつかむような話


糖尿病が悪化して入院した夫がうわごとのように口走った。

「最後になんなんだけど一つだけ……」

そう言ったきり昏睡状態に陥った。

最後に一つだけ何を?

雲をつかむような話で見当もつかない。


夫の死後も気になって安眠できない。

悪い方にばかり想像が膨らむ。

まず愛人や隠し子の存在。

けれど葬儀が済んで1週間経つが何の音沙汰もない。

残る心配はお金だと思ったとたん、呼び出し音が鳴った。

恐れていた会社からの電話だったが夫の私物を取りに来てほしいという用件だった。

安堵して受話器を置いたが不安は消えない。


夫が勤めていた会社の近くに都合よく和菓子屋があった。

入店すると二人連れの女の子が壁の貼り紙を指さしている。

「おっちゃん、あれどういう意味なん?」

「慶事も弔事もなんなんで」

貼り紙にはそう書かれてある。


「まあ食べてみいや」

店主は大福餅を8等分に切った。

「ヤバイ! これ、何なん?」

「な? 皆そう言うんや」

陳列ケースの中の札に商品名が「なんなん」と書いてある。

試食させてもらった私も「何なん?」と言いたくなった。

クリームと小豆餡をミックスしたような味だ。

外皮はグレーとピンクを混ぜたような微妙な色合いだ。

確かに慶事、弔事のどちらでも客に出せる。


「インスタ映えはせぇへんな」

「味と名前をキャプションで入れればええやん」

女の子たちは2個買って出て行った。

私は10個を菓子折りに詰めてもらって夫の会社に持参した。


「実は奥さん、帳簿を点検したところご主人が会社の金を……」

そんな話を切り出されるのではないかと私はドキドキした。

しかしどの社員もお悔やみの言葉を口にしただけだった。

私にとっては嬉しい誤算だ。

「よろしかったら皆さまでどうぞ」

帰り際に菓子折りをテーブルに載せると社員の一人が言った。

「そこの和菓子屋の大福ですね。ご主人が大好きだったこと、ご存知だったんですか?」


またもや雲をつかむような話だ。

「どういうことでしょう?」

「ご自宅で甘いものを食べると奥様に叱られたんだそうですね?」

「ええ、何しろ糖尿病だったものですから」

「妻には内緒だよって私たちに口止めしながらご主人は昼休みにこれを買って美味しそうに食べてました」

あっ!と声をあげた私に構わずにその社員は大福を頬張りながら言った。

「最後にこの『なんなん』を一つだけでもご主人に食べさせてあげたかったですね」






別れのカタログ その⑬  バツイチ


「秋になると人恋しくなるわね、最後にもう一杯ちょうだいマスター」

「もう遅いですよ。お客さん、独身ですか?」

「お世辞でも嬉しいわ。バツイチなの」

「失礼しました。離婚の原因は旦那さんが生活費を渡さないってのが多いみたいですね」

「うちは暴力」

「それも多いみたいですね」

「もっと我慢すればよかった……」

「我慢の問題じゃないですよ、暴力をふるうのは許されないことです」

「そうなんだけどカッとなるとつい手が出ちゃうのよね」

「え?」






別れのカタログ その⑭  南蛮漬け


「作り過ぎちゃったんで皆さん食べてください」

昼休みに新入社員の田辺美子がタッパーの蓋を開けた。

小アジの南蛮漬けがきれいに並んで入っている。

田辺は小皿に取り分けて総務部の同僚に配って回った。

「村田課長さんもどうぞ」

「ありがとう」

濃口醬油を使ったのか一般的な南蛮漬けより色が濃い。

ころもは付けずに素揚げしてそのまま漬け込んである。

味も甘ったるくなく酢がよく効いている。

二口三口と口に運ぶうちに手が止まった。

そんな私に田辺が眉をひそめた。

「課長さん、お口に合いませんか?」

「いやいや、なんだか懐かしいようなホッとする味だね。こんな料理の味はそれぞれの家庭の歴史や文化を背負ってるんだろうなあ」

「私も母から教わりました」

そうだろうとも。

田辺は元妻の旧姓ではないし美子という名もありふれているから気づかなかった。

思えば生まれたばかりの娘を抱えた妻が再婚していても不思議はなかったのだ。






別れのカタログ その⑮  世界花火大会


西暦20××年×月×日、世界花火大会が始まった。

ただし、どの花火も同じ種類のものだった。

世界中のいたるところで夜も昼も目のくらむような巨大な火の玉がはじけた。

キノコ雲は1万メートルを超える高さにまで立ち上った。


この世界花火大会を文字どおり高みの見物をしていた一握りの人たちがいた。

宇宙ステーションの乗組員である。

彼らは花火大会が始まると一瞬美しいとさえ思ったが、すぐに恐怖に駆られた。

迎えの宇宙船は来ないだろうと。


花火の競演は三日三晩続き、終了したのは奇しくも10月21日、国際反戦デーの日だった。

花火大会の後は放射能を帯びた黒い雨が地上に降り注いだ。

アフリカのサバンナでも象やキリンたちがバタバタと倒れた。

彼らは草原に横たわって息絶えるとき怨嗟えんさの声を発した。

「ちくしょう、地球に人間さえいなかったならば!」


雨が上がると、世界中の空にいくつもの虹が架かった。

ただ、それを見上げる人間はいなかった。

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別れのカタログ 15選 仲瀬 充 @imutake73

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