第一話:境界線の外にて

 ――日本。とある樹海の中。


 樹木の根やぬかるみが足を取り、来るものを迷わせる自然の要塞。広大な緑の海の奥底に、ぽつりと建っていたのは、白く大きな豪邸と呼べる建物。

 壁と同じ色の円柱の柱に、ところどころ金色の文様が施された神殿のような外観。二階部分の柵や窓枠は、おそらく純金製。

 それをおよそ二キロ先の大木の枝の上で、スコープから覗く少女の口がへの字に曲がる。


「うへぇ、噂には聞いていたけど、今回のターゲットさん。かなりの派手好きですね。‘百爪ひゃくそう’からも追放されるってもんですよ」


 さらさらとした栗色の長髪をそよ風に揺らし、少女はスコープを外す。小動物のような丸い瞳とつり上がった口元は、今の状況を楽しんでいるようだった。


「そんなことよりスズ。屋敷の状況は? ?」


「あの中にざっと五十人はいますね。みんなで警戒態勢バリバリです。比較的手薄なポイントをマークしてデータを送るのでちょっと時間くださーい」


 イヤホン型の連絡機から聞こえた男の声に、スズと呼ばれた少女――有明涼佳ありあけすずかは、彼女の眼でしか捉えることができない光の色を伝える。


 フィーリングライト。


 視認した対象の感情を、怒っていたり警戒していたりすれば赤系統、悲しみや寂しさを感じていたら青系統など、それぞれ対応した色で判別することができる。

 それが有明涼佳の眼に宿った異能だった。


「おかしいねぇ。事前に計画がバレるなんてヘマをしないように、いつも通り慎重に動いたはずっしょ?」

「バレたとしたら潜入任務を請け負ったお前のミスだぞ、零次。あらかたメンタル系の異能者に姿を見られて、心でも読まれたんだろ。分かりやすいからなお前」

「そんなことはないぜあっちゃん。オレほどのポーカーフェイスがこの世界で他にいますかってんだ」

「姿を見られたことは否定しないのな。あとあっちゃんって呼ぶんじゃねーよ、刻むぞ」


 続いて聞こえてきたのはさっきとは別の、二人の男の言い合い。今は別地点で待機している彼らの顔を思い浮かべて、涼佳の頬が緩む。


「……ここが敵陣ということを忘れないように、二人とも。地獄耳の異能者がいたらこのやり取り、まるごと聞こえてしまっているから」


 言い争いを止めない二人の間に入った女性の声は小さかったが、その透き通った音は涼佳の耳にもはっきりと入ってきた。


「あや姉、その心配はいらないっすよ。それで攻めてきたり、警戒を厳重にされたりしたところで、オレたちが勝ちますから。ねぇ、ウォッチャー?」


 答えた男の言葉に、騒がしかった連絡機から音が消える。

 微かに走るノイズ音の後、すーっと息を吸い込む音。


「その通り。今回の作戦も必ず成功させる。赤城さんはスズがマークしたポイントから侵入、ターゲットの居る位置まで真っ直ぐに向かって。零次はその逆側から侵入して敵のかく乱を。彩音さんは僕と一緒に状況把握。スズは逃げようとする敵を一人残らず殲滅。そして――」


 監視者ウォッチャーの言葉が止まる。

 殲滅戦の命令はまだ若い彼には重すぎたのか。そんな懸念が十八歳の、むしろ彼より二つ年下の涼佳の頭によぎったが、そんなことはないとすぐに考え直す。

 年齢や見た目以上に、非情に徹しきることができるのだ。

 この音無透夜という男は。


 これくらいできなければ、異能者のユニット監視者ウォッチャーなど務まらない。

 だから透夜は最後のメンバーに指示を下す。


「――そして、黒羽くろばは僕の指示があり次第、正面から突入して


「了解」


 返ってきたのは冷たい声色。

 ユニット‘Silence’の、最終破壊兵器の起動音。


「異能管理機関アーク。監視者、音無透夜の名において命令する。ターゲットはあの屋敷に立てこもるA級エレメント系異能犯罪者、哀川雅希とその一味の抹消。抹消者ユニット‘Silence’、作戦行動を開始せよ」


 聞き慣れた作戦開始の合図とともに、イヤホンからはメンバーそれぞれが動き出す音だけが聞こえ始める。

 涼佳はただスコープを目に当て、赤色の光が蠢く屋敷を見据える。

 これからあの光は徐々に消えていく。消える間際、きっと様々な色に変化していく。

 そんなことを思った涼佳の視界に、一瞬だけ異物が入り込む。スコープを外して肉眼で確認すると、それはすぐ近くで舞っていた、漆黒色の羽だった。




*****




 異能管理機関アークの任務は、主に異能犯罪者の抹消と、‘異宝’または‘アステリアル’と呼ばれる未知の能力を持ったオーパーツの回収。

サイコキネシスにテレパシー。幽体離脱やパイロキネシス。

 遥か昔から存在する、人間が作る社会を脅かしかねない‘異能’を悪用する犯罪者たちに対して、彼らは名を変え姿を変えて、をしてきた。

 本部はアメリカにあるとも、国家からは独立して存在し、どこかの孤島にひっそりと佇んでいるとも言われており、組織の構成員の多くもその詳細を知らない。


 ただ明確な使命は、‘この社会の秩序を守ること’。


 アークの成立は最初の世界大戦が始まる直前、一九〇〇年代の初頭に遡り、前時代の遺産である‘魔法使い’たちが様々な国から構成員として加入し、規模を拡大してきた。

 参加しているのは‘魔法使い’たちだけではない。

 この崇高な使命の元には、彼らの処置の対象になるべき‘異能者’も集まっていた。

 毒を以て毒を制す。

 異能犯罪者の対処は、同じ異能者を以って初めて成される。




*****




 窓縁に掛けたワイヤーフックで、石の壁を音もなく登る。

 短い赤髪の頭を少しずらして、そのやる気の無さそうなタレ目に宿った緑色の瞳を窓の奥、部屋の中へと覗かせる。

 メンバーの有明涼佳のマーキング通り、そこには四名の武装した男が辺りを警戒しながら立っていた。

 手には機関銃を大事そうに抱え、防弾装備もしっかりとされているようだった。

 侵入する隙が無い。たまたま見られていなかったから良かったが、顔を覗かせていたタイミングで誰か一人とでも目が合っていたら、鉛玉が容赦なく降り注いでいたことだろう。

 バレていない今の状況でも、数の差なども考えて別のルートを探すべきだ。

 普通なら。

 この、赤城敦あかぎあつし


「邪魔するぞ」


 そんな挨拶は、窓が割れるけたたましい音によってかき消された。男たちが即座に反応して引き金を引く。数発が赤城の頬や肩を掠めたが、それに眉一つ動かすことなく両手に持ったナイフを振るう。

 ただのナイフではない。機関が開発した、刃の部分を超高熱加工したナイフ――‘灼刃Ⅱ型’と呼ばれるものだった。

 灼熱の刃による一振りは一瞬にして男たちの機関銃をガラクタに変える。得物が使い物にならなくなったと悟った時には、彼らの喉は一閃され、胸には摂氏千度の穴が穿たれていた。


「めんどくせぇ。めんどくせぇがこれも仕事でな」


 最後の一人の胸から灼刃を抜き、ホルスターに戻す。超高温だった刃からは煙が出ていたが、すでに冷え切った鉄に戻っていた。掠めたはずの頬や肩の傷も、

 ものの数秒で部屋を制圧した赤城は、正面に閉ざされた扉に目を向ける。派手な入場だったから、気づかれてはいるだろう。すでにこちらに向かってくる足音はいくつか聞こえている。先に進むのも良いが、まずは向かってくる敵を倒し、数を減らすのも良いだろう。


「籠城戦かね。ま、あまり悠長にしてはいられんが」


 呟いて、眠そうな目を足元に転がる躯に向ける。一瞬で命を摘み取ってしまった彼らにも人生があった。そんな感慨が赤城の中に――微塵にも無かった。異能犯罪者に組み入った時点で機関にとっての抹消対象であり、赤城にとっても同様だ。それが彼の仕事であり、それ以上でもそれ以下でもない。

 戦闘時の邪魔になりそうだからせめて隅に寄せておこう。そんな事務的な思考で、赤城はしゃがんで手を伸ばす。


――「待ってたぜぇ、赤城敦さんよ」


 酒で焼けたような、太い男の声。

 気配も、痛みすらもなかった。

 視線を上げた先にはスキンヘッドにサングラス姿の、いかにも小悪党じみた見た目の男が立っていて。

 赤城の伸ばした右腕は、鮮血をまき散らしながら部屋の中空を舞っていた。


「すまん透夜、足止めを喰らった。ターゲットの抹消は


 それでも赤城は表情一つ変えない。残った左手でポケットから通信機を取り出して、淡々と事務連絡を行うのみだった。


*****


 部屋にある机が、椅子が、本棚が、観葉植物が、すべて燃え盛っていた。さっきまでこの部屋を守っていた数人の武装兵は、今目の前で燃え盛って炎を発している真っ黒い物体のうちのどれかだろう。任務はかく乱だったが、殺してはいけないという指令は出ていないので問題は無いだろうと、緋村零次は判断する。


「んー、この部屋は良いとして。あとは下から来る奴を適当に燃やせばいいのかな?」


 言って片手をかざすと、目の前で閉まっていた扉が何の前触れもなく炎を上げて爆発した。緋村の、獅子のように立てた金髪が爆風に揺れ、熱を帯びた光が彼の少年のような瞳と笑みを照らす。

 パイロキネシス。緋村の異能を広く知られている超能力に当てはめるのなら、この名前が適している。念じただけで対象を発火させることができる力。異能の危険度は上から数えて二番目、S級の異能であり、その力で犯罪に手を染めたのなら機関からの抹消は逃れられない。

 彼の目の届く場所は、彼が望めばいつでも火の海になる。


「撃て、撃ちまくれ! 相手は異能者だ、遠慮はいらねぇぞ!」

「侵入者は西館B部屋入り口! 増援を!」


 入り口から顔を覗かせた途端、怒号と鉛玉が視界を掠める。射線から間一髪逸れるが、鉛玉の軌道は蛇のようにうねり、徐々にこちらに迫ってくる。

 地図で確認した情報では、扉の向こうは二十メートルほどの長い廊下。籠城して迎え撃とうにもいずれ壁が壊されて不利になることは間違いない。ここはなんとかして廊下を抜け、その先にある大部屋を利用して上手く立ち回るしかない。


「手荒い歓迎だこって。オレはあっちゃんほど打たれ強くは無いんだよっと!」


 愚痴をこぼしながら、緋村は両手を、機関銃を乱射する武装兵たちに向ける。


「なっ?!」

「あ、ああああああああ、あつっ、熱い!」


 断続的な発砲音が止み、代わりに暴発音と兵士たちの悲鳴が連鎖する。ある者の得物は炎に包まれながら形を崩していき、ある者は肩口まで燃え広がり、その熱に蝕まれていた。


「オレは、一般人はなるべく殺さないようにしている」


 混乱し動き回る炎の中を一直線に駆ける。機関から支給された籠手型の装備品――“イフリート”を装着した右腕を振り上げながら、兵士たちの中心で立ち止まる。


「だってお前らすぐ死んじゃうんだもんな。そんなの……」


 イフリートが炎を噴き上げる。緋村が作り出した炎がコントロールされ、拳にバスケットボールほどの大きさの火の玉が形成された。


「フェアじゃないよ」


 空気を揺らす炎熱の音。

 大きさを保ったまま、火の玉は勢いよく振り下ろされた。同時に強烈な熱波が床や壁を伝い、そこに立つ緋村以外のものを瞬間的に熱していく。

 灰色の煙が晴れた頃には、床は痙攣して倒れ伏す兵士たちで埋まっていた。


「なんだ、今の音は?!」

「二階だ、急げ!」


 爆風で開いた扉の向こう、階段を駆け上る音と声に、息つく時間は与えられなかった。


「はいはいオレのところにどんどん来な! 本命の抹消はあっちゃんがやってくれるってなぁ!!」


 扉に足を踏み入れる兵士の武器を、手を足を容赦なく燃やしていく。言葉通り命を取ることまではせず、気を失った時点で順々に火を消しては、次の敵に火柱を立てる。


「ぬるいですね、とても」


 徐々に熱を帯びる廊下に差し込まれた、冷たい声。

 緋村は反射的に後方から降り注いできた刃を、床を蹴って躱す。

 刺さっていたのは苦無。音もなく舞い降りたのは、黒装束の女。黒く長い髪を赤いスカーフで後ろ一つに縛り、その細い目は狐のようだった。


「忍……蒼嵐あおあらしの連中か? 哀川は百爪を抜けてそっちに入ったってのか?」


 蒼嵐あおあらし百爪ひゃくそう


 片や異能の力を内包する特殊なオーパーツである‘異宝’=アステリアルを高値で売りさばく闇商人組織。

 片や異能犯罪者集団の中でも覇権を握っている巨大組織。

 所謂、緋村たちの機関の処置対象である異能犯罪者集団だった。

 全身の黒装束と、腕に巻かれた竜巻のような刺繍の入った青い布。戦国時代からタイムスリップしてきたようなその姿から、緋村は目の前に突然現れた女を‘蒼嵐’の構成員だと判断する。

 二つの組織は敵対関係にあっても、協力関係になることはまずない。であるとすれば、彼女がここにいる理由はそう多くはない。特に蒼嵐が慢性的な人員不足であるというのは界隈では常識レベルだ。


「お嬢さん。哀川をスカウトしに来たのかい? あいにくあいつはうちの獲物でね。邪魔はしないでもらいたいんだけど」


 街の中で遊びに誘うかのように、緋村は言う。

 しかし内容は深刻だ。ターゲットである哀川雅樹は百爪の元上級幹部。組織にいた頃からその危険性は話題に上がっていたが、脱退宣言をしてからの彼の暴走ぶりはさらに歯止めが効かなくなった。

 機関の「この世界の秩序を守る」という使命を揺るがしかねないくらいには、一般社会の常識や治安を脅かしている。

 だから引き抜かれる前に消さねばならないのだ。


「邪魔は貴方です。緋村零次」


 女は緋村の質問には答えず、殺意を漲らせながら両手に逆手に持った苦無を構える。微かに、彼女の身体に力の奔流が集まってくるのを感じる。

 彼女も異能者だ。


「ほぉ、オレの名前をご存じ? そいつは光栄なこって」


 緋村は呑気に答えて、イフリートを装備した右手を挙げる。

 やられる前にやる。

 そう思って足を一歩踏み出そうとした瞬間、彼の腕は巨大な水泡に包まれて、動きが取れなくなってしまっていた。




*****



 宝物庫の扉は静かに開いた。

 宝石に絵画、時計に漆器。豪奢なシャンデリアの明かりに照らされた部屋に、溢れんばかりに置かれているものすべて、哀川が異能による暴力で奪い取ってきたものだった。

 異能の力を振りかざしていれば、彼はどんな宝も女も手に入った。組織に身を置けば、それまで手に入らなかったような金も地位も手に入った。抜けてからは尚更、分け前など考えるまでもなくすべて自分のモノになった。

 異能が無ければ。屈辱の日々を思い出す。少し他人と違うからと言って恐れおののき、いずれ排除しようとした家族や教師や友人たち。

 恐怖、羨望、嫉妬。すべてが憎くてたまらなくて、破壊した。

 この雷を纏わせて、すべて。


「よぉ、少年。丸々一年ぶりくらいか。ちっとは強くなったかよ」


 半開きになった扉に向けて、しかし振り向かずに哀川は声を上げる。そこには誰の姿も見えなかったが、確かに人の気配はあった。


「さすが‘雷槍使い’の哀川さん。空気中のわずかな電気の揺らぎも見逃さない。……確か博多で会った切りでしたね。あの時は地元の裏組織を集めて何をやらかすつもりなのか謎でしたが、今となってはこうやって独立するための布石だったわけだ。それと、強くなったかという質問に関しては、僕はあなたと直接戦う気はないのでお答えできません」


 誰もいなかったはずの場所からの声。声の主は足の先から順に、まるでそこに映し出されたホログラムのように、その姿を露わにしていく。

 黒のロングコートに、同じ色の雨に濡れたような艶のある髪。幼さの残る顔に、漆黒の瞳。

 監視者、音無透夜だった。


 機関から支給された‘玉蟲’という装備――光の反射を利用して装備者を透明に見せる効果を持つ――を利用して、誰にも気づかれずに哀川の居る三階まで上がってきたのだ。

 部屋には、透夜と哀川の他に誰もいない。


「手ぶらでくるとは俺も舐められたもんだな。異能者殺しの刃もないところを見ると、なんだ。お前、まさか俺を説得しに来たわけじゃないよなぁ?」


 白いスーツに逆立てた黒い髪。赤いレンズのサングラスから、射抜くように透夜を見て、哀川は言う。

 そう。彼の言う通り、透夜はここでするべき重要な装備をしていなかった。

 異能殺しの刃。

 クロス・スレイヤー。

 様々な呼ばれ方をしているそれは、機関が開発した中でも三本の指に入る偉業とも言える代物であり、業物。

 異能者と認定されるすべての存在を、そのひと振りで絶命せしめる抹消者のためだけの神器。異能管理機関アークの力を示すシンボルでもあり、異能犯罪者にとっては忌避すべき対象。

 抹消者と呼ばれる機関の構成員。その中でも監視者という異能者のユニットを束ねる者にのみ所持・使用を許されているその剣はしかし今、透夜の手には無かった。


「異能殺しはそうぽんぽん作れるものじゃないんです。今は違う監視者が在庫分を使っていて、僕の手元には無い。それだけのこと。今日はね哀川さん。僕は貴方と話をしに来たんですよ。説得と言っても良いかもしれない」


 透夜は哀川に気圧されることなく、その童顔に不相応な口調と声色で続ける。


「哀川さん。率直に言います。僕らのところに来ませんか? 百爪を抜けた今、貴方は大きな後ろ盾を失っている。僕らや他の組織は言わずもがな、かつての仲間に背中を刺されることだってあり得る。貴方を守ってくれるものはこの先何もない。そんな寂しい道を進むより、僕らのところに来ませんか。機関で即抹消なんてことは僕の名に懸けてさせません。僕らのユニットの七人目の仲間になってもらっても良いくらいだ」


「……」


 透夜は一息に言って、哀川の反応を見る。一方の哀川はその表情をサングラスの裏に隠したまま、沈黙を守っている。

 怒号、悲鳴、爆発音。階下で繰り広げられる戦いの音が、かろうじて完全な沈黙からこの場を遠ざけている。

 ひときわ大きな爆発音に部屋の宝が揺さぶられた後、哀川は口を開いた。


「俺も率直に答えを返すとノーだ。俺はお前らのところには行かない。異能者を管理すると宣っておきながら、異能者を殺すためガラクタ作りばかりに力を入れている、お前らみたいな偽善者機関には死んでも入らん。先天的だろうが後天的だろうが、持って生まれたこの力をただ好きに使っている異能者たちを狩って楽しむ、悪魔みてーな奴らの中にはな。……この時点でこれ以降のお前との会話はなくなるはずだが、殺す前にどうしても訊いておきたいことがある」


「良いですよ。僕も貴方と話しに来たのですし」


 勧誘への返答に対する感情は、透夜から特に読み取れない。変わらず冷めたような声で先を促す。


「なんでお前は機関に身を置いているんだ? お前からはアステルを感じることができるが、特別な異能の気配はない。噂の‘魔法使いの血筋’とかいう奴なのか? お前の他にもそういうやつがいるのか? 異能とはまったく関係の無さそうなお前みたいな奴がここにいるのが、どうしても気になってな」


「……」


 今度は透夜が沈黙する番だった。

 機関に身を置く理由。

 それは今の彼の存在理由にも等しい。

 沈黙はそれほど長く続かなかった。


「まぁ、半分は僕も先天的と言うか、生まれた時からの宿命と言うか。おっしゃる通り僕は‘魔法使いの血筋’である音無家の者でして。最初は自分の意志でここに入ったわけじゃないんです」


 魔法使いの血筋。

 魔法使いという言葉は、文字通りの意味。

 アステルという超次元的な力の源。遥か昔の、表の歴史には記録されていない哲学者が発見した、あらゆる願いや現象を形にする元素。第六元素、魔力とも言い換えられる力の源を視認し、操り、常識はずれや奇跡と呼べる現象を引き起こすことのできる者。

 古代から近代まで、彼らは歴史の裏舞台で活躍し続けたが、一九〇〇年代初頭に起きた‘ある出来事’によってほぼすべてが消滅したと言われている。

 西暦二〇四八年、日本で言う新明三十年現在ではごく一部の魔法使いの家系と、魔法使いの出来損ないとも呼べる異能者が裏世界に跋扈しているのみ。


 両者の違いは、魔法使いがあらゆる現象を引き起こせるのに対して、異能者が扱える力はほんの一部分でしかないこと。しかしその力の質は、個人で見れば異能者の方が高純度で強力だった。だからこそ魔法使いの生き残りたちで創設された機関は、異能者を管理し監視する役目を自らに課し、人々の間でわずかに残っていた魔法や呪術の信仰ともども歴史の表舞台から姿を消した。

 残された数少ない、しかし絶大な魔法の力を伴った兵器を駆使した組織的な異能者の管理。

 残酷にも同じ異能者を使った異能犯罪者への粛清。

 それが彼らの生き残る唯一と言っても良い道で。

 音無透夜は、そんな数少ない本物の魔法使いの直系だった。


「でも、僕が今ここに立っているのはそんな縛られた使命からではない。僕はね、異能者を救いたいんです。恐ろしい兵器で管理するのでなく、同胞で殺し合うのでもなく、貴方たちが貴方達らしくいられる世界にしていく。僕はそのためにここにいるんです」


 名の通り、異能者、特にその力を使って罪を犯し、社会を脅かしかねない異能者を管理し必要とあらば存在を抹消する機関。

 そんな機関のメンバーから、異能者を救いたいなどという言葉が出ること自体、彼らの常識範囲外のことであった。


「血も涙もなく同胞を狩りまくる機関のメンバーにしちゃずいぶんご立派なお言葉だねぇ。だがよ、この国は、いやこの社会や世界は、そんな生易しい理想を叶えてはくれないんだぜ。異物はすべて排除され、本当の正しさや理想なんて二の次。皆が平等で、俺たちに居場所なんて永遠に訪れないんだよ」


 哀川の、静かだが確かに怒気を孕んだ言葉。

 彼が思い出すのは、自分に向けられた視線。

 他者と異なることを異常なまでに恐れた母の視線。

 自分を害する拳とナイフ。


「力の強い者が勝つんだ。管理された世界で、俺たちが抑圧される謂れはねぇ。お前の力を借りなくとも、俺は自分の力で自分の居場所をこじ開けるんだよ」


 今までだってずっとそうしてきた。

 哀川は壁にかかった、金の幾何学模様が刻まれた黒い長槍に手をかける。槍は哀川に触れられた途端、淡い黄色の魔力――アステルを帯びる。

 ‘雷槍使い’哀川雅樹。獲物越しに触れただけで、百万ボルトの電流を走らせる魔の槍。哀川はこの槍とともに、同じような化け物じみたと言っても過言ではない異能者たちが蔓延る裏社会をのし上がってきた。

 体内で高圧な電流を自由に生産、放出させるエレメンタル系の異能。それが‘雷槍使い’哀川雅樹の正体だった。


「そう、その強さが何よりも輝かしく、眩しい。貴方みたいな人の方が、


 まだ話したいことの一割も口にしていない。それにもかかわらず、透夜のそんな本音のメッセージすらも、独り言になってしまうらしい。

 哀川の言葉に、透夜はほぼ完全な同意を示せる。その考えに行き着くまでの過程は違ったにしても、彼となら同じ方向を目指せると、そんな気がした。

 なんとしてでも彼を招き入れたい。

 けれど、もう哀川に言葉が正確に届くとは思えなかった。

 上段に構えられた槍の穂先は、まっすぐに透夜を捉えている。


「話す必要なんて、最初から無かったんだよ少年」


 通常であれば届かない間合い。しかし、異能によって強化された身体は、この間合いすらも一息に越えるのだろう。

 一方の透夜は対抗できる戦闘手段を持っていない。接近武器も触れれば終わりの哀川の前では無意味に等しい。


「こうやって殺していくことで、俺の居場所は作られる」


 予想通り、哀川は十メートルの間を一気に詰める。

 黒槍は電流を帯びて鈍い唸り声を上げている。

 魔力の溜まった穂先は、まるで落雷のように透夜の頭上に――。


「本当、俺が間に合わなかったらどうするつもりだったんだよお前は。まったく、めんどくせぇ」


 届くことはなかった。

 頭上の落雷を防いだのは、そんな気怠そうな声と灼熱の紅い刃。

 金属同士が噛み合う甲高い音は、しばらく遅れてから透夜の耳に届いた。


「間に合うだろうと、僕の第六感が言っていたし。それにまだ想定内のできごとだった」

「お前を見殺しにする方が俺にとってのメリットが大きいってこと、忘れてるよな完全に」


 哀川と透夜の間に颯爽と現れたのは、上半身裸の、赤い短髪の男――赤城敦だった。赤城は背後の透夜に軽口を返しながら、哀川の槍撃を


「なんだよ……よりにもよってお前か赤城ィ! お前はエムが足止めしていたんじゃなかったのか!」

「へぇ、あの鋼鉄男、エムっていうのか。俺の異能と相性最悪で正直困ってたんだが、『そろそろ時間だ』とか言って引き揚げていったぞ。……棄てられたか、お前?」

「くっ……!」


 赤城の言葉に哀川は顔を歪めて、再び間合いを取る。今度はいつでもその穂先が二人の首を取れる位置だったが。


「状況は分からんが、観念しな哀川。俺とお前じゃ、力関係ははっきりしている」


 一見やる気の無さそうなタレ目の中の、鷹のように鋭い眼光で、赤城は哀川を見つめる。

 その裸体からは白い煙がモクモクと出ている以外、階下での戦闘や、常人なら即死レベルの哀川の雷槍を得物越しに受けた形跡は少しも残っていなかった。

 無限再生。

 どんな重傷を負おうとも、瞬時に傷を塞ぎ、痛みを癒してしまう赤城敦の異能。

 意識を失わない限りは、腕が吹き飛ぼうと、身体中に電流を流し込もうと、彼に付けられた痛みや傷は意味を持たぬまま、無かったことになる。

 そして赤城はすでに、激痛に伴う意識レベルの変動を自身で制御できる域にまで達している。


「お前の攻撃は全部無視して、俺はその細首を掻き切ることができる。だからあのエムとかいう奴を刺客として送ったんだろうがな。確かに、身体を鋼鉄のように硬くできる異能なんてのは、シンプルだが俺には効果抜群だ。どれだけ殴り合っても勝負なんてつかねーんだから」


 ‘灼刃Ⅱ型’の紅い切っ先を哀川に向けて、赤城は笑う。状況的には圧倒的に有利なはずなのに、その笑みはすべてを諦めたかのような寂寥感を覚えさせる。


「俺は……何に嵌められた……何に、奪われたんだ……」


 哀川の空いた口から、掠れた声が漏れる。サングラスではっきりと見ることはできないが、その瞳からはもうさっきまでの強さも輝きも無いのだろうと、透夜はその声から感じ取る。哀川にもはや余裕は無い。

 赤城と相対する哀川の絶望。

 それほどまでに、異能同士の相性というのは重要だった。


「ここは俺の場所……誰にも渡さない」


 力の無い声とは裏腹に、雷槍の一撃は確かな重みをもって再び振り下ろされる。

 紅い刃と黒い穂先が再び噛み合う。

 電流が迸る音と、メキメキと骨が軋む嫌な音が赤城の腕から聞こえるが、当の本人は顔色一つ変えない。


「お縄につけよ。ミッションは抹消だが、今回はうちの監視者ウォッチャーがスカウトしたいって言ってるんだぜ。俺も個人的にお前とは長い付き合いだ。命だけでも助かる可能性が――」

「そんなもの、俺は望んでいない! 赤城、お前は……どうして平気な顔してそんな機関にいられる?! 俺たちを排除する機関に平気で身を置けるお前は何なんだ、?!」


 槍が重みを増し、紅い刃に亀裂を入れる。刃の崩壊は赤城の身体のようには治らず、すぐに甲高い音を立てて鉄くずへと変わっていく。


「そんなの、決まってんだろ」


 ナイフの壁を越え、槍が右肩を切り落とす寸前で、赤城は一歩踏み出してその柄を素手で掴む。電流が走る音が大きくなり、肉が焼ける嫌な臭いが広がる。


「機関にいないと、殺されちまうからだよ」


 見ようによってはやはり、全てを諦めたような表情で。

 赤城はそんな言葉とともに、右足を哀川の腹に打ち出す。


「ぐぅっ……!」


 呻き声を上げ、哀川の身体は、くの字に曲がって前方の壁まで吹き飛ぶ。その衝撃で壁にかかった絵画や装飾の武具が豪快な音を立てて落ちる。

 機関にいなければ殺される。だから機関に身を置く。

 それは哀川にとって、最も聞きたくない返答で。

 同時に最も正しいとも思えてしまう答えでもあった。


「そんな、そんな理由でお前は同胞を……」


「十分な理由だとは思うぜ。暑っ苦しい理想よりも、冷えてても細く長く現実を生きる方がってもんだ。それにな、別に俺はお前らと同胞ってわけじゃ……」


 言いながら尚も追撃しようとする赤城を、透夜は一歩前に出て、片手で制す。それからガラス玉の瞳で、うつぶせに倒れる哀川を見る。


「機関にいる限り、僕は社会の秩序を乱した貴方を殺さなくてはいけない。でも、こちら側に来てくれるなら、貴方が貴方でいられる場所を用意します。必ず、僕が約束します。無意味な正しさから、一緒に抜け出しましょう」


 瞳と言葉を、真っ直ぐに投げかける。

 そこに一片の嘘も悪意も混ぜたつもりはない。


「偽善者め」


 しかし最後の返答も、雷槍とともに剛球のように放たれた。同時に駆け出した赤城が、戸惑いと痛みを無視した手刀で、即座にそれを叩き落す。


「残念です――黒羽」


 槍が床で跳ねる音に紛れて、透夜はため息のように指示を飛ばす。

 哀川のサングラスの奥の瞳と、目が合った気がした。見開かれたその瞳に、自分のどんな表情が映っていたのかを、透夜は知ることができない。


 轟音。崩壊音。


 哀川の背後の壁が、突然凄まじい音を立てて壊される。

 壁の残骸とともに空いた穴から吐き出されたのは真っ黒な何か。

 は弾丸のように、起き上がり、振り向いた哀川の元まで届く。


「――化け物が」


 絞り出された声が、彼の断末魔だった。

 喉に黒い一閃を受けた哀川は、それ以上喋ることも動くこともできなかった。

 真っ黒な羽が舞う。

 首が離れた胴体からは鮮血が吹き上がり、舞い落ちる羽を赤黒く染めていく。


「任務完了だ」


 真っ黒な二メートルほどの刀身の日本刀――‘異能殺しの刃’を持った少女が、全ての音が止んだ後に、監視者の前に立っていた。

 きめ細かい襟首辺りで切り揃えた黒髪。丸く可愛らしい瞳に、今は映るものすべてを射殺すような凄惨な光が宿っている。

 そして最も異質なのは、背中に生えた黒く大きな翼。日本の高校生が着る制服に身を包んだ少女には、あまりに不釣り合いなモノ。


 黒羽。姿そのものを表すかのような名を持った少女は、透夜が率いるユニット‘Silence’では新参者でありながら、随一の戦闘能力を持った異能者。本来ならユニットの監視者にのみ所持・使用可能な‘異能殺しの刃’。それを振るうことを許された例外的存在。

 彼女は静かな、しかし耳に心地の良い高さの声で、自分の仕事の完了を告げる。


「あぁ、お疲れ様、黒羽。でもまさか壁を突き破ってくるなんて、ちょっと驚いたよ」


「死角を取るには後ろの壁しかなかった。ターゲットはキミと話している間にも常に周囲を警戒していたとスズが言っていたから、窓からの侵入はできなかった。ただそれだけのことだ」

「あはは、そうか……」


 無表情で無感情な少女の声に笑いながら、透夜は背後に倒れる哀川の亡骸に目を移す。

 もっと上手く言葉を交わすことができれば、彼ともこんな風に話せる日が来たのかもしれない。そう思うと透夜の気分は暗くなる。


「もうここにはどうせ死体しかないし、用は無いんだ。さっさと行くぞ」


 その表情に気づいて見かねたように、赤城は二人を促す。

 黒羽は頷き歩き始め、透夜は少し名残惜しそうに部屋を見た後、同じように足を動かし始めた。


 誰もいなくなった部屋で、哀川の亡骸は静かに、淡い黄色の粒子に包まれる。

 異能者は絶命すると、光――アステルに包まれ、その身体は完全に消滅してしまう。

 彼らが死した後、残るものは何もない。

 異質と弾劾され、異常として排除される彼らは。

 この世界から抹消される最後の一瞬まで、孤独な存在であり続ける。

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