第22話 それぞれの夜
夜、傭兵団の面々はルティキア別邸の離れ、元は使用人や招待客に同行した護衛が寝泊まりしていた棟をあてがわれ、くつろいでいた。
現在、このルティキア別邸の住人と呼べるのはヒルデガルトとマリアベル姉妹のみ。彼女らの使用人は利便性を考えてか本館の方で寝起きしているため、別棟には傭兵達しかいない。
ともかく、傭兵達は、そのわずかに残った使用人が運んできてくれた食事や酒に舌鼓を打っていた。
段違いに危険で、規模の大きな依頼である。国家の浮沈に関わる事件に飛び込むなど、一介の傭兵にはなかなか回ってこない役回りだ。
その本番を明日に控え、鋭気を養っているというところである。
男たちは飲みにのみ、食いに食った。
慎重な人間なら翌日に残る心配をしただろうが、その日暮らしの彼らは欲望に正直だった。
「これで女がいりゃ言うことなしだがな」
「そんだけ酒が入ってりゃ、お前の粗末なモノは役に立たなかったんじゃねぇのか?」
「酒が入るほどギンギンよ!」
「ぎゃははは!」
別棟で依頼人の耳に入る心配もないため、猥談にも勢いが乗った。
「……しかしよぉ、昼のありゃ、なんだったんだ?」
そんな中で、一人がぽつりと漏らした。
依頼人が乗り込んできてうるさいと怒鳴りつけても止まらなかっただろう喧噪が、その小さな呟き一つでぴたりと、不自然なまでに止まる。
人によって意味合いは違っていても、全員の心の片隅に何らかの形で強い印象が残っていたのだ。
「俺は、別に手を抜いてたわけじゃねぇ!」
ユージンと対戦した傭兵が沽券に関わるとばかり語気を強める。
「カリカリすんなよ、ヨハン」
別の傭兵が笑いながらヨハンと呼ばれた傭兵の方を叩いた。
すると別の傭兵が、
「そもそも、お前、土系の魔法なんて使えねぇじゃねぇかよ」
と続いた。
「お前の杖の奥に眠ってたとか、そういうことは?」
「ねぇ! 爆刃一本で容量一杯なんだよ。そんな、何年も使ってんのに、気づいていない魔法が眠ってたりするものかよ」
「それもそうか……」
「だったら、お前の杖が土にくるまれちまったのは、あの兄さんの魔法ってわけか?」
「それが……」
ヨハンは言い淀む。
自分でもその先を口にしたくないのか手にしていた酒杯を一度口に運んで間を持たせる。
「あの時、俺の魔法が消えて、土に絡め取られたとき……」
ヨハンは昼間の感触を思い出しながら、慎重に説明する。
「俺の魔法は消えていたはずなのに、魔力は消耗してたんだ」
「消されても、一度は起動していて、その分が消費されてたんじゃねぇのか?」
誰かが可能性の話をする。
「いや、ずっとだ。あの兄さんが土の塊に触って魔法が全部止まるまで、俺の魔力はずっと減り続けてた……」
「そりゃ、さすがにおかしくねぇか?」
「おかしいんだよ! おかしいから、信じられないんじゃねぇか」
「あいつ、ナニモンだ……?」
さっきとは違う、ひんやりとしたざわめきが波紋のように広がっていく。
「……普通じゃねぇ」
「けけけ、負けたひがみじゃねぇのか?」
「そんなわけあるかよ! あいつは普通じゃねぇ!」
ヨハンは、より正確にユージンを表現するための言葉を探す。
「あいつは、化け物だ」
昼間は反射的に飛び出した単語を、今度はその意味を噛みしめながらもう一度口にする。
「ははは、なんだそりゃ」
現実味がない表現に誰かが笑う。しかし他の誰かが、
「でも、なんだったっけ? ほら、星を乱す者とかなんとか、そんな話がなかったっけ?」
「そりゃ、死んだばあちゃんが聞かせてくれたおとぎ話じゃねぇか?」
「俺は知らねぇな」
「何百年も前、大災厄があって星が乱れたときに現れた化け物がいたって話だったっけ?」
「ぎゃははは、あの兄さん、いくつなんだよ」
だよな、と大多数は笑い飛ばす。
ヨハンもさすがに荒唐無稽に過ぎると思ったのか、ふてくされたように押し黙った。
「お前ら、気が昂ぶるのはわかるが、俺らはいつも通りに依頼された内容をこなすだけだ。それ以外の人間相手に余計な詮索してる暇はねぇぞ」
頃合いを見計らっていたグスタフがたしなめると、傭兵達は「うぇ~い」と気のない返事で再び酒食に興味を戻していった。
◆◆◆
体が沈み込むような柔らかいベッドをあてがわれたせいか、逆に眠れなくなったユージンは、風が当たりに外へと出る。
選んだのは手近なテラスだったが、そこには先客がいた。
「女王様? あんたも風に当たりにきたのかい?」
月の光を浴び、銀色の髪が神秘的に光って見えた。
「あ、ユージン様……」
自分が夜着姿なのを思い出したのか、カーディガンを寄せ合わせる。
「す、すみません、このような格好で。それからわたくしのことはヒルデとお呼びください」
「まあ、これから外に出るのにいちいち女王様なんて呼んでたら大変だからな」
彼女は不名誉な濡れ衣を着せられ、民衆から誤解されている。そして幽閉されている身なのであるから、自由に出歩いていると知られるわけにはいかないのだ。
「なあ、一つ聞いてもいいか?」
「は、はい。わたくしに答えられることでしたらなんなりと」
「あんた、星の杖を修復できるかもしれないと聞かされたのに、どうして興味すら示さなかった? いや、もちろんそんなことはあのバカの世迷い言だが」
つくづくマヤに余計なものを見られたことが悔やまれる。
ただ、ここにいたる経緯はともかくとして、ヒルデガルトの無関心ぶりは腑に落ちなかったのだ。
「……確かに、昨今、人々を苦しめている問題に解決方法があるなら、それは夢のようです。ただわたくしには、必要ありません」
ヒルデガルトは小さく息を吸う。
どう説明するか、自分で整理しているようだった。
ユージンは根気強く彼女が口を開くのを待つ。
「……わたくしが、魔法が使えないということは比較的幼い頃に発覚しました。本来、王位継承権を失うはずですが、父母はわたくしを守り、事実を明るみに出ないようにしてくれました」
「王位継承の儀式があるんだろ?」
「ええ、それについても、今回マヤ様にそうしていただくように、替え玉を用意しようという算段になっていたそうです」
望ましいことではないでしょう、と言い置きながら、それでもヒルデガルトは続ける。
「もう、魔法は衰退し、これからは魔法が使えるかどうかは王族にとってたいした意味を持たないというのが父母の考えでした」
それよりも、安定した治世をということだろう。
実際、こうした魔法が使えるかどうかが条件になっている場合、多くはどんなちっぽけでも――それこそロウソクの火を点すのがやっとという程度の小さな魔法でも問題なしとされることが多いようだった。
ヒルデガルトの両親は、元からそういう主義なのか、それとも娘がおかれた状況からそうなったのかはわからないが開明的な人物だったようだ。
「わたくしは、嬉しかった。魔法王国の王族として、当然持っているはずの力を持っていない――欠陥品のわたくしでも受け入れてくれた両親に感謝していました。そして、王の条件がこの国の人々を豊かにするというのであれば、わたくしは一生をそのために捧げようと思ったのです」
本来は追放されるところだったからこそ、良き統治者を目指したのだ。
「必死に勉強しました。歴史も、政治学も、軍務についても。ですが、叔父が土壇場で裏切りました」
「秘密を公表したということか?」
「ええ、それも、わたくしが継承の儀を行うその日、代わりに魔力を込めてくれる予定になっていた侍女を拉致し、儀式を失敗させたのです」
思い出すだけで身が震えるとヒルデガルトは呟いた。
「事実が明るみに出たあとも、私はすぐには事の深刻さを理解していませんでした。聖殿から戻る頃には王都に人々が押しかけていて、口々に、わたくしを汚いものだと罵りはじめました。この国では魔法を失った人間は穢らわしい存在だという概念が根強いですから……」
「背信者、だったか?」
「はい、そう言われております。かつて、貴き方を裏切り、その怒りに触れた者が魔法の力を失ったからだと言われています」
「なるほど……」
「彼らの怒りも、仕方ないものです。わたくしは彼らをずっと騙していたのですから……」
封建的なこの国では、人々は王家に対して絶対的な畏敬の念を抱いている。
それに慣れていたヒルデガルトだったが、一瞬で手の平を返した人々は口汚く罵り、石を投げ、自分達が騙されたと武器を持ちだし害しようとする者までいたという。
当時、ヒルデガルトはたった一二歳。
王家を支える家臣は多くいたが、それでも彼らは肉親ではない。うまく扱わなければ不安や叛意が生まれてしまう。
そんな中で、彼女はあまりにも呆気なく引きずり下ろされてしまったのだ。
「さすがに、わたくしの命を奪おうとした者は取り押さえられましたが、このように情けなくも王位を剥奪され幽閉されてしまったのです」
以来、四年間。
彼女はマリアベルを守りながらこうして過ごしてきたらしい。
「外からきた俺からすれば、その程度のこと、なんだがな……。けどそれなら、余計に魔法を取り戻してそいつらを見返してやりたいって気にならないのか?」
少し考えてから、ヒルデガルトは首を横に振った。
「姉様を救う魔法が身につくなら別ですが……」
「それはまたどうして?」
「わからなくなったのです。必死で良き女王となるため勉強してきました。ですがわたくしは誰のためにそうなろうとしているのか、わからなくなったのです……」
魔法が使えないから罵倒される。
たとえ、ヒルデガルトが魔法を取り戻しても、その一点以外、中身は何一つ変わっていないのに再び人々は彼女を女王として崇めるのか。
だとすれば人々にとって、現実のヒルデガルトと理想のヒルデガルトの差は「魔法」の一点でしかなくなる。
それがロウソクの火ほどの小さな力しかなかったとしてもだ。
恨んだわけではないだろう。
ただただ、無力感に苛まれたのだ。
「もうわたくしには姉様しかいません。姉様に命を永らえてもらい、叶うのであれば普通の体に戻っていただければ……」
「……悪かったな。俺があんたの姉さんを治してやれなくて」
諸悪の根源は適当なことを吹き込んだマヤなのでユージンが詫びる必要はないのかもしれないが、それでも素直にそんな言葉が口から出ていた。
ヒルデガルトは淡く笑みを浮かべ、首を横に振った。
「……だが、俺と引き合わせることを条件にして、レヴェンナの計画に協力することになったんだろ?」
「はい、そうです」
「あんたにとっては、王位を望んでいるわけでもなく、唯一の望みである姉を救えるわけでもない。それでもこのまま協力するのか?」
当然のことだが王位奪還は遊びではない。
ヒルデガルトが矢面に立って戦うことはないだろうがレヴェンナが集めた傭兵達が敗れてしまえば、命の危険すらある。
今のところ、彼女は何一つ得るものがない。それでも、
「はい、約束ですから」
ヒルデガルトは迷うことなく頷くのである。
その眼差しも、その笑みも、ユージンがかつて出会ったとある女性と通じるものがあった。
「似てるな……」
「え………?」
「いや、こっちの話だ。……わかった、手伝ってやる」
ユージンが告げると、ヒルデガルトは目をしばたたかせる。律儀な彼女のことだから、出発前にユージンを解放しようとでもしていたのだろう。
せっかくの厚意を無駄にするようだが、ユージンはこの不器用な元女王様に肩入れしてやりたくなっていたのだ。
「早く寝なよ。明日は早いんだろ?」
「は、はい、ユージン様も、お休みなさいませ」
ユージンが抱いていた王族のイメージとは違い、どこまでも慎ましく、しとやかな仕草で頭を下げるとヒルデガルトはその場を立ち去っていった。
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