トラ・ウマ

つきたん

短編

節分の頃、家の電気が止まった。再送電の見込みはない。手持ちのお金では、電気代が払えないのだ。


貧しい母と子は、先ずは冷蔵庫の中身を心配したが、中は空っぽだった。冷凍庫も、冷蔵食品も、何も無い。安心した。


次に、いつも使っている、電池式の蝋燭ろうそくを三つ、確認した。ちゃんと着く。

前回、クリスマスに電気が止まった時に、ドラッグストアに電池を買いに走ったのだ。


最後に、しばらく使われていなかった、一回り小さなプラスチックのベビー湯たんぽを、押し入れから探し出した。


これがあれば、当分、過ごせるわね。ガスはまだ止まっていないのだもの。私達はツイているわ。


母は、自分に言い聞かせるように小さく呟く。


可哀想な親子は、送電停止に手慣れていた。


「災害時の練習が出来るのだから、有難いわ。これで、いつ本物の大停電が起きても、我が家は安心ね!」


もう達観した面持ちの子供に向かって、母は、無理やりに明るく声掛けした。


そんな子供の頃を思い出していたからか、俺は、電気ケトルの湯を、少し溢してしまった。


危ない、気を付けないと。


俺は今日も、お気に入りのピンク色のベビー湯たんぽに、湯を入れる。


もう亡くなった母の声が、胸に蘇る。


俺は大学院を卒業してから、そのまま大学に残って研究者となった。

今は経済的に安定した暮らしをしている。


後悔しているのは、親孝行をしようという時に、母が子宮頚癌で亡くなってしまったことだ。


そんな母の形見の、小さな湯たんぽ。


真冬生まれの俺が、新生児の頃から使っている年代物だ。寒くなると、俺は人知れず、毎晩それに湯を入れて大切に足元に入れて眠る。


付き合った女に、この湯たんぽを笑われたので、別れた事もあった。

分かってくれると信じて、家に呼んだのに…。


俺はもう、誰も理解してくれなくても良かった。湯たんぽさえあれば、一人でも寂しくないのだ。


今夜は特に冷え込みそうだ。エアコンはつけて眠るが、それとは別に、俺の心には湯たんぽが必要だった。


どれくらい眠っただろう。普段は一度眠れば目を覚まさないが、珍しく起きてしまった。


すると足元で、モゾモゾと何かがうごめいている。俺はゾッとして背筋が凍った。


しかし直ぐに、母の湯たんぽが自分を守ってくれると思い直し、足で探った。


なんと、まさか、ドクドクと脈動していたのは、湯たんぽであった。


俺は夢を見ているのかと妙に納得し、恐怖も忘れ、ほんのりと温かい湯たんぽを手繰たぐり寄せ、抱きしめた。


一瞬、母の匂いがした。


頭がグラグラと揺れ、甘やかな喜びが俺を包み込み、そのまま眠りに落ちていった。


朝になって、昨夜の夢が忘れられなかった俺は、大学に病欠の連絡を入れ、急いで電気ケトルを沸かす。


そして湯たんぽの湯を入れ替え、布団の足元に入れた。

これで、又、母に会える。


気味の悪い、一抹の不安もよぎったが、期待の方が遥かに大きかった。


カーテンは閉じたまま。

出張時に飛行機で貰ったアイマスクを探して、着けた。ドキドキしながら布団に潜り込む。


程なくして、眠りに堕ちていたらしい俺は、足元のドクドクに気が付いた。


母だ!


俺はアイマスクを外し、布団を跳ね除けた。すると、シン、と動かない湯たんぽがあった。


俺は構わず、湯たんぽを抱きしめた。やはり、一瞬、母の匂いがしたような気がする。


気が、する?


俺は、この不思議な出来事の真実が知りたくて、この日から仕事に行かずに、朝も晩も、眠ることにした。


湯たんぽが脈動する日もあれば、しない日もあった。だが、毎回、母の匂いと面影は強く残るような気がして、ヤメラレナカッタ。


その内、大学から出勤催促の連絡が増え、わずらわしくなり、退職させてもらう事にした。


これで、誰にも邪魔されずに、母と抱き合う事が出来る。


俺は、これから始まるであろう幸せな毎日を想像して、胸の震えを止められなかった。


俺の可愛い湯たんぽも、喜んでいる。


fin






















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トラ・ウマ つきたん @tsuki1207

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