第16話 慮る

 ヨロズハも有力一族の端くれ、領主と聞いてもそこまで驚かなかった。屋根裏にネズミが家を作っているとわかった時ぐらいの驚きである。


「カズハ……いい名前だな」


「君もね」


 そこからもヨロズハは歌の話をした。いかに王の素晴らしさを歌うか。何に例えるか。どのような表現にするか。いかに言い換えるか。


 ホシアカリと呼ばれた妖獣はサンの村のはるか上をゆっくりと旋回している。その背中で夜風を受ける二人の会話はのんびりと続く。


「王の前には星が跪く……こんな表現も族長は使っていたな。いい擬人法だ。こののところがキモなんだ。ここをいかに大きく、皆に認められているものにするか。これが王の素晴らしさを歌う時の注意点だと思う」


「そうだね」


 カズハの頬を風がくすぐった。しかし彼が笑ったのはそればかりの理由ではない。彼は口を開く。口の中に隙間風が転がる。言葉が出なかった。


「どうしたんだ?カズハ。もっと歌の話をしよう。すごく楽しいんだ」


 ヨロズハはカラコロと鈴のように笑う。彼女の笑顔がカズハには何よりも眩しく見えた。心の中で彼はそれを周囲が暗いせいにする。


「うん、僕も楽しい。もっと歌の話を聞かせてほしい」


 ヨロズハは意気揚々と声の出し方に話題を転換した。に合うような声のこと、音程、音の大きさ。


 それに愚直なまでにカズハは丁寧に相槌を打った。


 二人を乗せて飛ぶ妖獣ホシアカリはしばらくすると糸の切れた凧のように悠然と地面に向かっていく。急に下降を始めたのでヨロズハはぴたりと話を止めてカズハの顔を見た。


「ヨロズハ。寒くなってきた。宿まで送るよ」


 ホシアカリはヨロズハの案内で宿の前に降り立った。ヨロズハはまだまだ話し足りなかった。


 また明日話に来てもいいか。そんなことをカズハに聞こうとした。しかし彼女の口を手で優しくカズハが塞いだ。


 ヨロズハが目を丸くしていると、彼が懐から一対の耳飾りを取り出した。月のように青白い耳飾りだ。少し透き通っている。


「……受け取ってほしい」


「え?あ、ありがとう。しかし私は王に耳たぶに穴は開けないと言っていて……」


「おやすみ」


 カズハはヨロズハの言葉を意識的に聞かずにホシアカリと共に飛び去った。耳飾りと共に残されたヨロズハは小さくなっていくホシアカリを見つめた。彼らが闇に消えてもしばらく視線を動かさなかった。


 目が乾燥で濡れるまでじっと見つめていたが、数分を経てヨロズハは宿に戻った。


 襖を開けると、目の前にアイイロが少し慌てた様子で部屋を出て行こうとしていた。彼女はヨロズハに気づくと、目を大きくして驚いた。


「どこ行ってたのよ!遅いから探しに行こうと思ったのよ」


「ちょっと歌について話す相手ができてな」


 ヨロズハの無事を確認してアイイロは胸を撫で下ろし、どかっと床に腰をつけた。


「ふーん、もしかしてそれが恋文の相手?」


「……あ」


 ヨロズハは歌の話にすっかり夢中になっていた。そしてカズハが恋文を送ってきたことを失念していた。


 口をぱくぱくさせて目を泳がせるヨロズハ。そんな彼女の様子を心配したアイイロが尋ねる。どうしたのか、と。


「恋文のことを忘れて……歌の話ばかりしていた」


「ヨロズハに付き合えるなんて相当お相手も歌好きね。どんな歌の話をしたのよ」


 ヨロズハは意気揚々と答える。さっきの態度とは逆に嬉しそう表情を浮かべた。先の歌の話は彼女にとって至福の時だった。


「それはだな!マンヨウ王の素晴らしさをどう歌うか、という話をした!カズハは口数こそ多くないが、楽しそうに聞いていたぞ」


 ぴくりとアイイロが眉を動かした。そして目を細めて質問を続けた。


「そのカズハってのが恋文を送ってきた人よね」


「そうだ」


「ちょっと立ちなさいヨロズハ」


 ヨロズハは無垢な子供のように首を傾げる。彼女の目にはアイイロがイラついているように見えた。彼女の耳にはアイイロの声が怒気をはらんでいるように聞こえた。


 ヨロズハが少し戸惑いながら立ち上がると、アイイロも立ち上がった。


 刹那のうちにアイイロはヨロズハの袍の鎖骨あたりを掴んだ。ヨロズハは驚く間も無く天地がひっくり返った。それほど鮮やかにアイイロはヨロズハを投げてみせた。


 背中に衝撃が伝わってくる。一瞬空気が吸えなくなった。背中が一瞬針で刺されたように痛む。


「な、何を」


 倒れ込み、呻いているヨロズハの胸ぐらをアイイロは掴む。ゴシチとシチゴが飛び出してきてアイイロを威嚇するが、彼女は無視する。はだけるほどにヨロズハの胸ぐらをアイイロは引き、鬼の形相で吠えた。


「アンタ多少は人の心を慮りなさいよ!恋文を送った相手が他の男性のことを恍惚と、長ったらしく話していたらどう思うか!」


 ヨロズハは目を大きく見開いた。そして胸がどきりとするとともに、ちくりと痛み、ざらりとした。


 ヨロズハは自分の体験を思い出していた。マンヨウ王が他の家臣を手厚く扱っていたり、ベタ褒めしている時、彼女は歯噛みしていた。


 ヨロズハはマンヨウ王とは立場が違う。しかし彼女からやらかしたのはの話だ。それに気づいたヨロズハは呆然とした。


「う、歌の話になったから……でも……私はカズハのことを何も考えていなかったのか……」


 ヨロズハは自分の不甲斐なさに項垂れる。人の感情が全く意識できていなかった。それが痛いほどにわかった。いくらマンヨウ王のことが好きで、かの王に贈る歌に誇りを持っていたとしても。彼女はカズハを思わなすぎた。


 ヨロズハは深いため息をついた。目尻が湿る。申し訳なさで胸が圧迫されそうだった。


「……明日の朝……謝ってくる」


 

 翌朝ヨロズハは自然と早く目が覚めた。身支度を整え、寝息を立てるアイイロを横目に宿を出た。


 宿の主人にこの村の領主の館を尋ねたので、スムーズにカズハの館までたどり着く。ヨロズハは木の大きな門の前で深呼吸をした。


「……謝る。真摯に……よし」


 門の扉を叩く。すると待ち構えていたかのように扉は開いた。中には小道があり、その奥にさらなる扉が見えたが、そこまでいくことは叶わない。何故なら一つ目の扉を開けた子供がヨロズハの目の前に立っていたからだ。


 その子供はヨロズハが口を開く前に神妙な面持ちで言う。


「朱の髪一族のヨロズハ様ですね……主人は貴女には会いたくないそうです。申し訳ありませんが、お引き取りください」


 そう言われるや否や扉はゆっくりと閉められた。だんだんと狭くなる奥の景色。ヨロズハは叫んだ。


「ま、待って……」


 ヨロズハの声が聞こえていないかのように、無情に扉はその役目をしっかりと果たして閉まった。ヨロズハは手を伸ばしたが、そこには朝の冷えで湿った木の扉がしっかりと閉ざされている。ヨロズハは何も言葉が出てこなかった。


 


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