第15話 万葉

 ヨロズハはどくんと胸が跳ねたような気がした。あまりに直球な物言いだった。目の前の青年の口から発せられた一言は彼女に初めての感情を抱かせた。マンヨウ王から褒められるのとも違う。


 白い髪の青年は頬を紅に染めているが、一方でヨロズハは口をぱくぱくさせる。彼がその次の言葉を捻り出そうとした時、ヨロズハは彼の口を急いで手で塞いだ。初心すぎる反応なことは彼女にも分かっている。だが彼女は青年の口を塞がないと生きていられそうになかった。


「ちょっとだけ……お願い……時間を」


 喘ぎ喘ぎにヨロズハは言った。なぜだか汗をかいていた。なぜだか息が荒い。なぜだかはねる心臓がおさまるまで、彼女は青年の口を塞いでいた。青年は何も言わずに目を閉じて待っていた。


 ヨロズハの頭の中で虹色の感情が渦巻いている。。それだけが彼女を彼女たらしめている。そのことを一番理解しているのは他でもないヨロズハだ。


 だからこそ現状に理解が追いつかない。自分の歌を聴き、に感情を伝えられるなんて夢にも思っていなかった。同時に青年の感情が恋文という形で送られたことに彼女はパニックだ。


 ゴシチとシチゴは彼女の脳内を表すかのように頭の上でくるくると踊っている。そんな二体がヨロズハの赤い髪の頭を十周するころ、彼女は青年の口から手を離した。


「わ、悪かった。落ち着いた……」


「気にしないでくれ……いきなり歌を送った僕が悪い。君が気分を害するのも当然だと思う」


「そ、そんなことはない!いい歌だった。ただああいう歌を贈られたのは初めてで……」


 ヨロズハは白い髪の青年の顔をだんだんと見られるようになってきた。月のように白い美しい肌に、星のように煌めく瞳。もう片方の瞳は傷によって閉じられている。


 彼はヨロズハの言葉に少し微笑んだ。


「いい歌か。ありがとう。アレは海の村っぽい感じを出しつつ、君に好意を伝えたかったんだ」


「そう!海らしさがあった!」


 ヨロズハは無邪気な笑顔で彼に詰め寄った。青年は彼女の勢いに少し仰け反った。先ほどのしおらしさは一切消えていた。満潮と干潮ほどの対照的な態度の急変だった。


「気持ちとモチーフにする概念を同居させるのは難しいんだ!それなのに貴方は潮と貝という二つのモノを歌に組み込み、気持ちも同時に表した!」


 早口に語るヨロズハ。それを見て青年は頬を緩めた。


「ありがとう。なんか照れるよ」


 自分のあまりの勢いに気づいてヨロズハは少し後退する。だが彼女の歌への気持ちは収まらない。


「あぁ……!そういう歌を私も歌いたい!まだまだ語り足りない!そこの茶屋で……」


 ヨロズハは青年の細腕をとった。しかしすぐに今が夜間であることに気がついた。


「ふふ、君は本当に歌が好きなんだな」


「あぁ、そうだ」


 青年は恋文の話から歌の話に移り変わっているのにも全く気にしない。一方でヨロズハはほぼ恋文の話を忘れかけている。ただこの目の前の青年と歌の話がしてみたかった。外で出会った誰よりも歌に造詣が深いであろう彼と。


「……僕も君と話をしたい。少しだけいいかな」


「無論!」


 青年は口笛を吹いた。ヨロズハは蛇が出るやもと地面に視線を配ったが、地面には影が落ちるのみだ。


 二人の頭上にオオワシのような妖獣が羽ばたいていた。その妖獣は二人が背中に乗っても飛んで見せた。毛並みは夜の闇を織り込んだように黒いが、眼光と羽毛の斑点は青く輝いていた。


「ありがとう、ホシアカリ」


 青年がそう呼ぶ妖獣は力強く空気を押す。そうするとグンと上昇する。雲のない月の空の下。ヨロズハは眼下にサンの村を見た。こんなにも小さな家々を見たのは初めてだ。窓から漏れる光が砂糖の粒のようだった。


「君が好きなのはどんな歌なの?」


「私は王の尊さを歌ったものが好きだな」


 青年は少し眉を吊り上げ、軽く笑う。その笑みには憂いのようなものが隠れていた。だがそんな機微にも気が付かないほどにヨロズハは夜風にあたり、夢中で歌について語っている。


「だから王の尊さを美しい露に例えたり、真珠に例えたり、試行錯誤が好きだ」


「勝てないなぁ……」


 ボソッと呟いたのは青年だ。しかしヨロズハの耳には届かない。彼女はすっかり夜風と歌の話で気持ちよくなっていた。


「何か言ったか?」


「なんでもない。そういえばこれだけ話してるのに名前を聞いていなかったね」


「確かに。私はヨロズハ。夜で見えにくいかもだが朱の髪一族だ」


 青年の目には自分の恋文のことを忘れているヨロズハが何故か先ほどよりも美しく見えた。彼女の燃えるような赤い髪も、ガーネットのような瞳も全てが青年の心を惹きつけた。だがこの気持ちはヨロズハには露ほども伝わっていない。


「貴方は?」


 ヨロズハの問いに、青年は口を開く。少しでも記憶に残ればいい。そんな気持ちで。


「僕はカズハ……サンの村領主だ」

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