第2話 妖獣の紡ぐ歌一首

 王宮の門の前でヨロズハは丈夫な布の袋を背負った。干し肉や道中交換できるような指輪などの高級な装飾品が入っている。


 マンヨウ王はヨロズハを前にして、鉄と木を組み合わせた門をふれた。


「この門は堅牢で、いかなる者も通さない。だがお前が帰る時は盛大に開け放とう。ワシの素晴らしさを広めること、そして民の歌を集めること。頼んだぞヨロズハ」


 ヨロズハは返事をし、深々と頭を下げた。最初の一歩が重く感じた。ヨロズハは滅多に王宮の敷地内から出ない。そのため彼女の歌はときたま視野が狭いと評されることもある。


 彼女は重々しく歩き出す。背負った布袋の中身がゴソゴソ動くのを背中で感じた。その背中をマンヨウ王は見えなくなるまで家臣とともに見つめていた。


 王宮のあるナルの都は広く、有力者の一族の家々、畑から牧場まである。道を歩くヨロズハは久方ぶりにその街並みに触れる。


 目立つ赤い髪を人々はジロジロと遠慮なく視線を送るが、彼女にそれを気にする様子はない。それよりも街並みに感嘆していた。


「あぁ、さすがマンヨウ王の治世……建物や畑、庭園に至るまで素晴らしい」


 そんなようなこと十回は呟いた。その頃にはナルの都の街並みは後方にあった。目の前には自然と言えば聞こえはいいが、新緑の生い茂る森が広がっていた。


「シチゴ、ゴシチ。出ておいで」


 ヨロズハの袍には武官のように脇が開いている。木簡に歌をしたためる時に腕が動かしやすいという理由のほかに、彼女の使たるシチゴとゴシチが出入りできるようにだ。


 シチゴとゴシチは紫色の光のような煙のような不定形の体をふよふよ動かしながら、鬼のような見た目の顔をヨロズハに近づけた。彼女は二体に告げる。


「森の中を先導してくれ」


 ゴシチとシチゴは螺旋を描くように舞い上がると、再び降りてきてヨロズハの前を飛んだ。


 ザカザカと彼女は落ち葉や枝の落ちる道をいく。シチゴとゴシチの体から発せられる微かな光が当たりを怪しく照らす。


 ふとゴシチとシチゴがぴたりと空中で動きを止めた。そして同時に金切り声のような音を出す。すぐさまヨロズハひ身構えた。二体は警告をしているのだ。


 ヨロズハたちの視線の先。草むらが震えるように動いた。そこから滲み出すようにゆっくりと姿を現したのは妖獣だ。


「カゲクマだ。シチゴ、ゴシチ。


 カゲクマは人里に降りては自分の影の中に食料を溜め込んでは帰っていく傍迷惑な妖獣である。そして人を襲うこともある。目の前のカゲクマはよだれを垂らし、薄いヨロズハの体を値踏みするように凝視した。


「カゲクマよ!お前らが生きながらえているのはマンヨウ王のおかげだ!奪われる用の食料を各家庭に配っているのだからな!そして私はマンヨウ王の命を受けたものだぞ」


 そんなことを言ってもカゲクマに言葉は通じない。それは彼女もわかっていた。だからシチゴとゴシチに命令を出したのだ。二体はヨロズハの喉に溶け込むようにして入って行った。ほんのりと彼女は自分の喉が温かくなるのを感じる。


 ゴシチとシチゴがヨロズハに宿ったのだ。それは同じ妖獣へとヨロズハの言葉が翻訳されることを意味する。


 グルルと低い音を口の奥からカゲクマは鳴らす。喰われる前にヨロズハがやることはただ一つ。歌うのだ。彼女は王の権威、素晴らしさ、尊さを五七七五として歌う。


「妖獣を 獣と思わぬ 海より深い 懐よ」


 ヨロズハが最初の一音を歌ったその瞬間から、カゲクマはぴたりと動きを止めた。目の前の人間から自分たち妖獣の言葉が発せられているのだから当然だ。


 ヨロズハの歌が響いた。新緑がざわめきたち、彼女の歌、そしてマンヨウ王を祝福している。そんな荘厳かつ貴い雰囲気をカゲクマは感じ取る。そして目元の毛が涙で濡れ始めた。


 シチゴは音声的に人間の言葉を翻訳する。一方でゴシチは歌い手の心を翻訳する。朱の髪一族の力を持ってすれば、その歌はどんな人間や獣、妖獣にも響く最強の武器となる。


 マンヨウ王の行った妖獣への施しを心でも耳でも感じ取ったカゲクマは吠えるように泣き出した。太い声だが、赤子のような声。ヨロズハはカゲクマの歩み寄り、その顎を撫でた。


「マンヨウ王の素晴らしさ、お前の仲間にも知らせてくれ」


 そう言い残し、感動して泣き喚くカゲクマの横をヨロズハは通り過ぎた。妖獣一体、されどマンヨウ王の素晴らしさが広まったのは確実な一歩だ。ヨロズハは軽く微笑んだ。


 彼女が森をさらに進もうとすると、カゲクマが爪を使って優しくヨロズハの背中をつついた。突然のことに体をビクと震わせる。彼女が振り向くと、首を動かし、何かを訴えかけるような仕草をカゲクマがしている。


「なんだ?ゴシチ、シチゴ、今度は耳に宿ってくれ」


 ゴシチとシチゴはヨロズハの喉から抜け出すと、体を伸ばした。二体の癖であるが、不定形な体に意味は果たしてあるのか、とヨロズハはいつも思っている。二体が耳に宿ると、カゲクマの言葉が聞こえてくる。


「すンばらしい王様だぁ!ぜひ感謝の歌を返させてくれぃ」


 ヨロズハは目を丸くした。よもや妖獣からの返歌があるとは夢にも思っていなかった。カゲクマら目を瞑り、歌い始めた。


「影に落とすぞ 食い物を ボンボンポン 赤子に食わせる食べ物だ 貯めては食わせる 毎日よ

ボンボンポン それもみんな 王のおかげさま」


 楽しそうに地面を腕で叩きながらカゲクマは歌った。型に当てはまっていない上に、人間があまり使わないような擬音が入っている。しかしヨロズハは満足そうに頷いた。


「私はマンヨウ王も好きだが、歌も好きだ。カゲクマ、お前の歌。気に入った!」


 彼女は早速細い木の板を取り出し、カゲクマの歌を書き留めた。


 マンヨウ王の命令の目的は歌を通して、各地の人の暮らしを知ることだ。妖獣の気持ちや文化、暮らしをこの歌からは確かに読み取れる。ヨロズハは目的の一欠片を達成できたようで嬉しくなった。それだけではない。彼女は歌そのものが好きだ。だからこそ、妖獣にさえも歌を歌ってもらえることが幸せだった。


 カゲクマはバンバンと地を鳴らすように腕を叩きつけると、興奮したように吠えて去っていく。ヨロズハはその背中を見えなくなるまで見つめた。


「よし、ありがとう。シチゴ、ゴシチ。出てきて良いぞ」


 二体の紫色の妖獣はヨロズハの耳から出てくると、再びモゾモゾと彼女の服の中に潜り込んだ。再び彼女は歩き出すが、頬は紅潮していた。旅の出だしは好調だ。


「シチゴ、ゴシチ、嬉しいよな。カゲクマの歌が聞けるなんて。お前らのおかげだ」


 ゴシチとシチゴはヨロズハの言葉を完全に理解している。ゴシチとシチゴ、種族名フヨフヨウたちは主人である朱の髪一族各人の栄養を少しだけ吸う代わりに、あらゆる仕事をこなしてくれる。


 そして同じ栄養を摂っているので、ときどき主人である人間の言葉や周囲の人間の言葉を理解する個体も現れる。それがシチゴとゴシチだ。


 日が傾いてくる。森は一層薄暗くなる。狼の鳴く声も聞こえてくる。ヨロズハは顎に手を当てた。


「そろそろ寝るか。夜の行動は危険だしな」


 ヨロズハは布袋から貝殻を取り出す。それを開けると、中にはどろりとした液体が入っている。めかぶのネバネバを抽出したモノだ。


 彼女はそれを指に取ると、あたりの木に塗りつけ始めた。縄張りの印のように自分の周りの木にそれを塗りおわる。ネバネバを塗りつけた木を結ぶとヨロズハを囲むようになっている。


 一匹の虫がヨロズハの方に来ようとしたが、透明な壁に阻まれた。彼女は少し笑って呟いた。


「悪いな。ちょっと呪術の壁を張っておいた。なに、明朝には解ける」


 ヨロズハは落ち葉を集め、寝床を作ると、ガサリと覆い被さるように転がり、寝息を立て始めた。


 

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