自分の夢だから頼りにしてしまうのかもしれない

崇期

(一)夢について語ってみようと思う

 いつか夢についてまとめてみたいと思っていた。

 

 自分の人生の中で、印象に残っている夢が三つある。そのほかの夢は、ひどい悪夢だろうがシュルレアリスム級の脳内作品だろうが、その後、現実世界で関連するような出来事が起こったという記憶はまるでない。予知夢なんて、そうそうあるわけがない。

 ただ今から語る三つの夢だけは、私にとっては捨て置けないほどミスティカルだった。私の現実をある意味予知し、表現していた──と思っている。とても切実に。野生の直観が、ぼうっと生きているように見える私にも存在するのだと思った。人生のおぼつかなさに対する必死の抵抗力を発揮し、自分に「警告」、あるいは役立つ「知らせ」を送ったのでは? と思う。


 夢のことを語る前に自分が何者かを話しておきたい。


 私は九州の田舎町で生まれ育った。子どものころから教師という職業にあこがれていた。海外の児童文学が大好きで、国語の教師がよさそうだったが、高校時代、クラブ活動の際の人間関係で体を壊し、それがきっかけで健康信者として生まれ変わった。文章からはわかりにくいだろうからいっておくと、性別は女性で、一九七四年生まれである。

 高校を卒業後、隣県の大学の教育学部の厚生科に進んだ。厚生科なんて教えられる学校は少ないし、せいぜい企業か学校の保健指導員になれるくらいだぞと軽い脅しのジャブを周囲からいただいたけれど、そのとき私の頭にあったのは「白衣を着て窓口に立ちたい」の一択だった。窓口というのがなんとも具体的だが、要するに接客か相談業務をやりたかったのかもしれない。別に白衣じゃなくてもいいから「薬局に勤めるのでもいい」と思っていた気もする。自分で推測するに、夢見がちな少女だったのだと思う。麦わら帽子をかぶったらそれだけで夏気分を味わえるみたいに、健康に関われるならなんだってよかったのだろう。

 確固たる計画や目標がなかったことで、「ちょっとした荒波」を味わうことになるとも知らずに。

 

 

 

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