第5話 別れ

              (二)


ノラが絶体絶命に追い込まれていた時、ユメが突然、立ち上がり、悲痛な声で、

「やめて! 私はここの奴隷になります」と叫んだ。

「試合はこれまでだ。対戦した二匹を解放する」と親分が宣言を下した。


二人は家の外に放り投げられた。

勝ち誇ったブルーの目、光沢のある銀色の毛並の猫は、その場から離れようとした。

ユメは自分を犠牲にしてまで、ノラの命を助け出してくれた。この恩に報いなければ男ではない。

彼に呼びかけた。

「戦友。俺はノラと言う。ユメちゃんを助け出したい」

「助け出す? 無謀な考え、止めた方がいい」

二十五匹の戦士がいるから見つかれば殺されるのは必然だ。しかも監視体制は万全だと脅された。

もちろん、二十五匹と戦うつもりは毛頭なかった。盲点をついて助け出すことを強調した。

「内部の情報だけでもいい。教えていただけませんか」

「情報だけなら、教えてやってもいい」

「ありがたい。女奴隷はどこに閉じこめられていますか?」

地面に家の間取りを書き、

「ここの6畳間だ」と言った。

ノラと呼んで貰うことにし、彼をブルーと呼ぶことにした。


彼女が閉じ込められている部屋には二匹が見張っているらしい。見つかったら騒ぎ立て、みんなが集まってくると 冷ややかに説明された。

「みんなが寝るのは何時ごろですか?」

「昼の一時ごろだ。勿論、見張りの二匹は寝る事はない。どうやって部屋に入る?」

「二匹の見張りを移動させればいい」

「どうやって移動させる?」

ノラは方法を簡単に説明し、さらに質問を重ねた。

「この家に、食料が保管されていませんか?」

「奥にある台所の冷蔵庫の中に、入っている。でも、若い猫一匹が入口で見張っている」

「奥の台所に、誰も見られず、近づくことは出来ますか?」

「それは大丈夫だ。台所の近くに秘密の裏口がある」


ノラはしばらく思案を巡らせていた。老猫の教えを思い出していた。ピンチの時が運命を変えるチャンスだ。まず一歩踏み出すこと。それでダメなら普通考えられないことを実行する。まず人間関係をよくしてから大きなことに挑戦することが成功のカギだ。相手が褒めてほしいことを褒めることだ。


「あんたは毛並みもいいし、きれいな青い目をしている。なぜ野良猫になったの?」

ブルーは満足げな表情に変わった。

彼はロシアンブルーだ。ブリーダーのもとで生まれた。ところが、目の色が少し薄かった。良い猫はもっと濃い青の目をしている。要するに、出来損ないだった。

「売れ残って捨てられた。そしてあの組織の罠に嵌った」

「じゃ、あの組織の一員だったわけ?」

「そうだ」

半年ほど一員だった。でも、あのような組織にいることが嫌になったらしい。自由になりたかった。組織に反発し、結果、物置に閉じ込められていたのだ。


ここでノラは判断を下した。ブルーとは、人間関係がよくなった。普通、考えられないことを実行しよう。

「一人で、野良猫生活したことある?」

「ほとんどない。餌を探していたら、奴らにつかまった」

「俺たちと同じだ。一人で、野良猫生活するのは大変だよ。俺たちと組まないか。三人でやれば、餌も簡単に手に入る」

「ちょっと待てよ。あの子を助け出すのに、俺も加われというのか。それはごめんだぜ。自殺するようなものだ」

「あんたが協力してくれれば、必ず、うまくいく」

助け出す方法を丁寧に説明した。


話に耳を傾けていたブルーは、

「かなりリスクが高い。リターンは?」と尋ねた。


四十キロぐらい先に、ものすごい猫好きの家族がいる。その家に行く途中であることを伝えた。

「あんたは容姿端麗だから、真っ先に飼い猫として引き取ってくれる」

「お前ら、頭がおかしいのではないか。たとえ、どんな猫好きがいたとしても、四十キロ先の家にたどり着くなど不可能だ」

「不可能と思えば不可能になる。必ず、可能だと思えば可能になる」

「何を言っているのか分からない。どういうことだ?」

「老猫に教えてもらった。必ず、可能だと強く思えばその通りになる」

「本当かよ。信じられないな」

「本当だよ。それで俺はいろいろの奇跡を起こしてきた」

太陽が沈む方向に進めばいいこと。しっかりした目標もあることも強調した。

詳細を話した。


ブルーはあれこれ思考を巡らせていた。何か良いことを思い出したようだ。やがて、乗ってきた。

「やってみるか。猫人生、リスクを取らないと」

ノラは歓喜の声を上げた。

二人は必要なものを求めて商店街を探索した。ノラはあたり一帯を探したが、なかなか見つからなかった。そんな時、魚を釣る大きな看板が目に飛び込んできた。

その店のごみ箱をあさっていた。大きな釣り針のついた釣り糸を見つけた。二十メーターほどの長さがあった。それをくわえてブルーのいるところに戻った。


ブルーは、はたきの枝のないものを見つけていた。

「いいもの見つけたな。釣り針にこれをつければ完璧だ」ブルーが感心した。

「はたきもいいじゃない。昼の二時に実行しよう」

ノラは得意と媚とが入り混じった笑顔を浮かべた。


午後二時。家の秘密の裏口から家に侵入し、台所の入口を挟み、両方に分かれた。

台所の入口に、若い猫が退屈そうに座っていた。

ブルーが釣り針にはたきをつけたものを、若い猫の前まで足で蹴っ飛ばした。

彼は驚きの表情を浮かべ、さっと立ち上がる。

ブルーは冷笑を浮かべて少しずつ手前に引いた。

若い猫は思わずじゃれついてきた。

ブルーはしてやったりの表情を浮かべた。


ノラは隙を見て台所に入り、冷蔵庫を開けた。魚や肉がたくさんあった。大きなステーキを口にくわえ、冷蔵庫をそっと閉めた。入口からちらっと様子をうかがった。

相変わらず、若い猫はじゃれついていた。


台所の裏に回り、ブルーに合図した。

ブルーは思いっきり、釣り糸を引っ張った。

若い猫は諦め、元の場所に戻った。


ブルーの所に行き、くわえていたステーキを床に吐き出した。はたきを釣り針から外し、ステーキを釣り針につけた。ノラはそれをくわえ、天井にむき出しになっている梁まで登った。梁を伝って進み、奴隷がいる部屋の前の、二匹が見張っているところまで来た。

二匹の見張りは眠そうに座っていた。

そのそばに、ステーキを吐き出して落とした。

二匹の見張りは思わず息をのみ、目を丸くしてステーキに目線を移した。さっと立ち上がり、動いていくステーキを追った。

ブルーは七メーターほど手前に、見張りの二匹をおびき寄せ、手を離して秘密の裏口から逃げた。


ノラは天井から降り、様子をうかがった。

二匹の見張りは肉を食べるのに夢中だった。

そっとドアを開けた。

五匹の猫が眠っていた。

ユメを手で突いて起こした。

ユメは寝耳に水の表情を浮かべた。

ノラはユメの口に手を当て二人はすぐに部屋から飛び出し、正面の入口から逃げた。


「ありがとう。どうしてこんなことが出来たの?」ユメは目を真ん丸にして言った。

「ブルーのお陰だ」

「ブルー? だれ」

「あそこに立っているやつだよ」

「ノラちゃんと戦った相手じゃない」

三人に歓喜の輪が広がった。ノラとユメ、ノラとブルー、ユメとブルー、それぞれハイタッチした。

「ブルーさん。本当にありがとうございました」愉悦を覚えながら言った。

「さんはいらないよ。友達だからね」

「どうして協力していただけたの?」

「俺がノラの息の根を止めようとしたときの、あなたの言葉が忘れられなくて。もう一度、会いたいと思ったわけだ」

「ありがとう。私、ユメ」

ノラは嫌な予感を感じていた。ブルーは容姿端麗の上に、女性を引き付ける歯が浮くような言葉を平気で言うからだ。

ユメもぞっこんのようだ。彼を見る表情は、今まで見せたことのない喜びであふれている。杞憂であればいいが。この先、長く困難な道が続く。三人が協力しなければいけないのだ。


ブルーに狩りの方法を教えた。そしてこのタッグは非常にうまくいった。目的地にだいぶ近づいた。しかし、近づくにつれ、餌場はどんどん少なくなってきた。もう三日も餌にありついていない。


我々は公園のベンチの下で眠っていた。

眠りから覚めたユメが、

「今、ビーフステーキを食べる夢を見たわ」とブルーに話しかけた。

ここのところ、ユメはノラにほとんど話しかけてこない。ブルーと話すことが楽しくて仕方がない様子だった。

「その夢をかなえてやろうか?」

「冗談を言わないでよ」

「冗談ではない。よし、ステーキをゲットしてくる」

さっと立ち上がり、胸を張った。

「俺も行こうか?」とノラが二人の間に割り込んだ。

「いや。俺一人の方がやりやすい。一時間ほど、待っていてくれ」と言って立ち去った。


ノラとユメは顔を見合わせ、仰天の表情を浮かべた。

「本気かしら?」

「かなり、自信ありげの様子だったな」

二人はあまり期待しないで、一時間ほど、待っていた。


大きなステーキをくわえてブルーが姿を見せた。

ノラは度肝を抜かれた。

ユメは両目をかっと見開いたまま瞬きさえ忘れているようだ。

「ブルーちゃん。すごい! 私、目を疑ったわ」

「俺はやると言ったら、必ず、やる男だ」ドヤ顔になっていた。

「私の夢をかなえてくれたのね。私のヒーローよ」すっかり舞い上がっていた。

ノラは舌を巻いた。ブルーに嫉妬さえ覚えた。


「どうやってこれを?」

「あるとこにはあるものだ。ちょっと、いただいてきた」

「泥棒猫か?」

言ってはいけない言葉がポロリと出てしまった。

「なんだと。死ぬぐらい腹をすかした野良猫が、人の家から盗んだら悪いと言うのか?」

「あまり良いとは言えないな」

ノラは意地になっていた。自分でもまずいことを言ってしまったと思った。嫉妬心からついケチをつけてしまった。


「むかつく野郎だな。お前にはやらない」

「ちょっと待ってよ。ノラちゃんが悪いわ」

腹を空かせていた二人のために、ブルーが餌を持ってきてくれた。ありがたいと思わないといけないところだ。餌の獲得方法など問題ではないという彼女の言葉に説得力があった。

ノラは苦渋の色を浮かべていた。

「ノラちゃん、謝ってよ」

「謝る必要はない。お前の餌はない。今から、探しに行け。俺たちの食事タイムに邪魔だ」


ノラの頭の中は真っ白になっていた。ゆっくり立ち上がり、首をうなだれてその場を離れた。いったん、公園の外に出て再び戻り、二人の会話が聞こえる程度の草むらに隠れた。


二人は美味しそうにステーキを食べながら話していた。

目的の場所まで、まだ半分以上もある。

「猫好きの家まで行けると思う?」ブルーは疑心暗鬼の顔つきで言った。

「三人が力を合わせれば、行けると思う」

「甘いな。俺は端から不可能だと思っていた」

「じゃ、どうしてついてきたの?」

「ユメちゃんと離れたくなかったからだよ」

自分を犠牲にしてまで、ノラの命を助けた。 そんなユメに惚れたようだ。相変わらず甘い言葉を投げかけている。

「ありがとう。私も好きよ」

「だったら、俺たち二人で、新しい生活をしない? 」

「えっ! 目的地に行かないの? ノラちゃんは?」

「あんな馬鹿とは、今日限りで、お別れだ」

「駄目よ」

移動しながら餌を確保するのは困難だ。彼は何処か良い所に、定住しようと提案を持ちかけていた。

「駄目。三人が一緒じゃないと」

「金輪際、ノラとは一緒に行動しない」

ノラは喧嘩に弱いし、行動力が弱い。そんな奴と二人で目的地に行けると思ったら大変な目になるのは火を見るより明らかだと口説いている。

「ブルーちゃんともノラちゃんとも、別れるのはいや!」と首を激しく横に振りながら言った。


ブルーとノラが別れるのは決定的だ。問題はユメがどちらにつくかだ。この一時間で決めるよう依頼している。ユメは決めかねているようだ。

「俺はユメちゃんを幸せにする自信があるし、愛していることを忘れないでほしい」

「いや!」泣き出しそうな大きな声を出した。

「俺は公園の入口で、一時間、待っている。必ず、来てね」

ブルーは公園の入口の方に歩を進めた。

「戻ってきて!」と大きな声で叫んだ。

彼は振り向いて手を振った。


ノラは取り返しのつかない失敗してしまったことを悟った。塗炭の苦しみに陥り、肩を落として公園の別の入口に向かった。餌を見つける気力など無くなり、ただ茫然と街を歩いていた。ユメがブルーの所に行くのかどうか、今となっては、どうでも良くなった。やけっぱちになっていた。あまりにも大きな過ちを犯した。そのツケを払わなければいけない。

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苦しいときに思い出す猫 泉 清寂(イズミ セイジャク)) @seijyaku

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