第2話 訪レル非日常


「はい、そこまで」

 武道教室の講義を終え、生徒達を帰路に促す。

「兵蔵先生」

「ん? おお、はるかか」

 その少女は剣道を習う高校生だった。

「先生、暴漢を捕まえたって聞きました」

「あ、ああ……」

 表向きにはそうなっている、なっているのだが。

「すごいです」

「いや、まあ、な。遥も帰り道には気を付けてな」

「はい!」

 頭を下げて遥は武道教室を後にする。

 教室にもう誰もいない事を確認すると鍵を閉める兵蔵。

「さて……どこを探せばいいものやら」

 あの日以来、兵蔵は句天を探していた。しかしとんと異形の噂も常人ならざる者の業の話も聞かないのだ。

「手詰まり、か」

 帰り道、日課の神社参りに来たところだった。

「む、ああ、そうか、そうだった。今日は縁日だったな」

 出店が出ているのを見て兵蔵はそれを思い出す。

「せっかくだ。なにか買っていくか」

 りんご飴を見つけ、店主にそれを頼もうとした時。

「すまない、これをひと――「ひとつちょうだい!」

 誰だ割って入って来た奴はと睨みを効かせてみれば句天だった。

「あら?」

「お前……どこに居たんだ!?」

「……これも運命、かしらね」

「なにをわけのわからんことを」

 りんご飴を買い上げるとその場を去ろうとする句天の裾を捕まえる。ギリギリのところだった。

「なによ」

「お前には聞きたい事が山ほどある」

「まずその『お前』ってのやめなさいよ」

「む……すまない。句天……さん」

「よろしい。んでなによ」

 句天は近場の椅子に腰かけるとりんご飴を舐め始める。

「まずは澱とはなんだ。あの異形の名か?」

「……ま、いいか遅かれ早かれよね。正確には違うわ」

「というと?」

「集合的無意識って言葉はご存知?」

 聞いた事はある。確か心理学の言葉だ。兵蔵は無言で頷く。

「その中でも破滅願望がとびきり顕著ね。人に普遍的に宿った無意識が歪んで偏って再び人に憑りつくモノ、それを私達は澱と呼んでいるわ」

「私?」

「あー……御祓局おはらいきょくの事は今はいいわ」

「む、そうか。ではあの時、その澱を倒した業について」

はらえね。古今東西、異能の総称を私達はそう呼んでいるわ」

 異能、人ならざる業。それならば納得できる。ゴクリ、と兵蔵は喉を鳴らす。もう少し、もう少しで手が届きそうなのに、と。

「それは誰にでも扱えるモノではないな?」

「ええ、よくわかってるじゃない。祓の発動条件は二つ『檻に憑りつかれた事のある者』そして『自力で澱から目覚めた者』よ」

 澱とやらにとんと縁がない兵蔵は落胆する。それでは自分には資格がない。

「しかし……あんな状態から自力で目覚められるのか?」

「私自身の存在がその証明よ」

「ふむ」

「信用ならない?」

「いやそういうわけではないが」

 するとりんご飴を丸かじりして残った棒をゴミ箱に投げ捨てる句天。

「いいわ、証明してあげる」

「だから人の話を聞け、決して句天……さんの実力を疑っているわけではない。むしろ――」

「あんたはいずれ祓わなきゃいけないんだから、今ここで祓ってあげるって言ってんのよ」

――は?

 兵蔵は何を言われたのか分からなかった。自分を祓う? どういう意味だ。思考が止まる。手刀を構える句天。周りから人の気配が消える。

「結界術――可惜夜あたらよ

「なっ」

「さあ、あんたもいい加減、出てきなよ」

「だからさっきから何を!」

「あんた自分で分からないの? 身体も精神こころ

――ふと水たまりに映る自分の顔を見た。醜く歪んだ表情はまさに異形。

「……ああ、そういう事だったのか」

「納得した? 得心した? 心得た? 準備はいい?」

「一つ、願いがある。俺と戦う時は全力で死合って欲しい。でないと俺が句天を殺してしまう」

「へぇ……面白い冗談ね」

 自分に澱が宿っているのなら使えるはずだ。異能が祓の極みに届かなくとも異形のすべが使えるはずだ。それを全力で行使する。

 刹那、兵蔵は全力で疾駆する。疾走する身体は瞬く間に煙に消えるように見えた。

――獲った。

 句天の背面に周る。がら空きの背中に向かって爪を突き立てる。異形の爪だ。殺す気でいた。脳裏に過るのは血濡れの刃。心の形。これが澱という物のせいだと言うのなら。思う存分、暴れてやりたかった。

「甘い」

 句天は手刀で兵蔵を斬り払った。一撃の重みはこの前の異形を遥かに凌ぐ。思わず身体が宙に浮く。逃げ場が無くなる。

――心の中で化け物が叫ぶ。まだ消えたくないと。

――ならば共に来い。

――そう願った。

「結界術――虚空域」

「――祓!?」

 句天の見よう見まねだった。空中に投げ出された時点で足元に力場を作り無理矢理、足場にした。それに力を込める。句天の追撃をすんでのところで躱す。

「そこまで!!」

 返す刀で反撃を試みた兵蔵とそれを迎え撃とうとする句天。

 二人の間に毅然とした男の大声が響いた。

「双方、刀を収めよ」

「し、師匠!?」

「句天の、師匠?」

 甚兵衛に身を包んだ美丈夫は豪快に笑う。

「如何にも。この童女は実力はあるが性格が伴わん。故に常にこうして見張っているのだ」

「師匠、もういい歳なのですから童女はやめてください……あとそれストーカーですよ」

「ガハハッ! 私からしたらいつまで経っても童女は童女よ!」

 後半の言葉は無視したらしい。兵蔵の方に顔を向ける美丈夫。

「さて……お主、名前は」

「残井兵蔵」

「ふむ……む? 残井? 残井と言ったか?」

「ああ、言った」

 しばらく句天の師匠という男は考え事をした後、懐から紙束を取り出しぱらぱらとめくり出す。

「あった! 残井猛ざんいたける! 共に戦場いくさばを走った仲だ! よもや縁者か? 親類縁者はいないと聞いていたのだが」

「猛は確かに父の名だ。だが俺と父に血のつながりはない。俺は拾われた」

「なるほど! 納得した! あれはそういう男だ」

 自分よりも父の事を分かってそうな言葉に少し棘を覚える兵蔵。しかしそれよりも男の覇気に圧倒される。それはまるで全盛期の父を想わせて――

「それで? 猛は元気か?」

「……父は死んだ。病だった」

「む……そうか……誰しも澱に勝てても病には勝てんか」

「師匠も気を付けてくださいよ。特に酒!!」

「そ、そう言うな。酒は百薬の長と……」

 師弟漫才が始まろうとしたところを兵蔵が制す。

「死合いを止めた理由はなんだ? 句天の師匠とやら」

「む? ああ、そうだ名乗っていなかったな。我は読天とうてんと言う」

「名前を聞いているのではなくてだな!」

「許せ青年。その若さで命を落とす事はない。もうその身に澱は無い。お主が一番よく分かっているのではないか?」

 再び水たまりに目をやる。そこに歪んだ顔は無く。いつもの自分の顔があった。

「結界術――かい

 そう句天が唱えると再び人の群れが現れる。

「む、今日は縁日か。良い良い! 二人共、甘酒でもいただこうではないか」

「……はぁ本当に師匠がいると調子狂うわ」

「みたいだな」

 同情じみた言葉を投げかけながら兵蔵は心の中では喜び勇んでいた。

――俺にもまだ伸びしろがあった。

 異能を手にし、青年の心はあの時に戻っていた。

 そして思いもしない、これから訪れる非日常に。

 自分が胸を躍らせる事になるだなんて。

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