かわいらしきもの、お猫様。

あまくに みか

第1話 猫の名は。

 猫という生物は、けしからん。


 なんて可愛いのだ! このモフモフは! 可愛すぎる!


 猫は自分が可愛いことを知っているから、人間を毛玉のように手の上でコロコロと転がしている。そんなところも、可愛い。もっと転がしてくれ。




 我が家には、猫が二匹いる。


 正確には実家に住んでいる。私はもう家を出てしまったので、なかなか猫に会えない生活を送っている。今すぐ、猫吸いがしたい。(猫吸いとは、猫の後頭部に顔をうずめて、深呼吸をすること。これにより、精神が安定するとかしないとか)



 一匹は、アビシニアンのオス。オレンジ色の毛並みに逆三角形の顔。古代エジプトにいそうな気品のある猫だ。


 もう一匹は、三毛猫のメス。ねずみ捕りにひっかかっていたところを私が助けた。人間が嫌いで用心深く、未だに私と母にしか懐かない。

 


 この二匹は、山の中で育ったためか、ねずみや蛇、鳩などをとってきたりと、ワイルドすぎて猫らしくない。


 例えば、以前ネットで話題になっていた、猫がキュウリに驚く現象も、我が家の猫は全く驚かないし、動じない。むしろきゅうりを食べそうな勢いだった。


 そして、猫が大好き『チャオチュール』も全く見向きもしない。


「そんな少量で、わたくしを満足させようというつもりなの? あなた、正気?」という目線を投げかけてくる。


 『猫の99.6%が遊んだ』といううたい文句のおもちゃも、全く遊ばない。(これは、三歳の息子が喜んで遊んだ)


 ゆえに、猫らしくないお猫様たちなのである。





 オス猫の方は、狩りが上手い。そして、性格がイケメンだ。


 久しぶりに実家に帰った時、猫なりの歓迎なのか、食卓の上に死んだねずみを置かれたことがある。自慢気に「久しぶりだな。ホラ、食えよ」と言わんばかりのドヤ顔をしていた。


 息子に対しても、自分より弱くて小さいやつ、と思っているのか、トカゲをとってきて「ほ〜ら、遊ぼうぜ」と与えていた。


 けれどもお猫様の目論見は外れて、突然目の前にトカゲを置かれた息子は、ウネウネと動き回り、尻尾を切り離したトカゲを見て、こちらがびっくりするくらいギャン泣きした。



 一方、メス猫の方は人間が嫌いなので、父や姉の前では一切姿を現さない。


「ツチノコを見つけるくらい、姿を見るのは難しい」と同じ屋根の下に住む父が、さみしそうにつぶやいていた。



 そんなマイペースで個性的なお猫様たちは、母の前ではイチコロである。


 お腹をコロリンと見せ「みゃ~ん」と猫みたいな(猫なのだが)可愛らしい声をあげ、ワイルドさを微塵も感じさせず、猫のように甘えるのだ。



 猫たちにとって、母は偉大な存在であり、名付け親でもある。猫を語るには、まず母のことも語らねばならない。




 母は超がつくほどのマイペースで、謎多き人物である。


 スーパーボールのことは、なぜだかスマートボールと呼ぶし、電話のメモ帳には『妻夫木聡』と書いてあった。


 それにお酒が飲めないのに、毎年せっせと梅酒を作る。(それは、ただのオブジェになる)


 さらには、私の鎖骨あたりにあるホクロをノミと勘違いして「大変! ノミがついてる!」と叫んで、猫パンチならぬ平手を飛ばしてくる。



 そんな不思議に包まれる母は、猫の名付けにおいても独自のペースで、波乱を巻き起こしている。


 オス猫の名前は、マロン。


 私が大学生になった時に、我が家にやって来た。姉と私であーでもない、こーでもない、と言いながら名前をつけた。


 決まった名前は、ロビンだった。ディズニー映画『ロビン・フッド』の主人公に似ていたからだ。ただしロビン・フッドは猫ではなく、キツネである。


 しかし、次の日の朝。名前が変わっていた。

 もちろん、母である。


「マロンちゃん」と読んでいるではないか。キツネから栗になっている。


 何度、母にロビンだと説明しても、マロンと呼ぶ。


「マロンのが言いやすいから」

「ロと発音しようとすると、マが出てくる」


 という傍若無人な言い訳をのべ、そしていつの間にかロビンはマロンになっていた。


 猫本人も「マロン」と呼べば「おっ! ごはんか?」としっぽを上げてやって来る始末である。


 マロンもロビンもあまり変わらないか、と私は渋々納得するのである。



 しかし、その四年後。


 私が連れて帰ってきた三毛猫の名付けの時だ。先住猫がマロンなので、可愛らしくと名付けた。


 なんと丸っこくて可愛らしい響きであろうか。愛らしいお猫様にぴったりの名である。


「くるみ、くるみ。あなたは、くるみ」


 私は嬉しくなって、まだ子猫だったくるみの頭をなでなでしながら名を呼んだ。



 が、またしても母である。

 次の日、名前が変わっていた。



「みーちゃん」


 母はそう呼び始めたのである。言い訳っぽく「くるみの、みーちゃん」と母は言った。


 だが、事件は起きる。


 くるみは、拾ってきた猫なので動物病院へ連れて行かねばならなかった。私は仕事があるため、母に任せた。


 くるみを連れた母は、動物病院の受付でカルテを書いた。『猫の名前』という欄で、母のペンは止まったという。


「本名なんだっけ?」


 母は考えた。「み」しか思い出せなかった。

 仕方がなく『みー』まで書いて、ふと疑問に思った。


「なんか、さみしいわね」


『子』


 母はつけ加えた。

 くるみの名前はその瞬間に、みー子になった。




 なんでやねん! 私の中の関西人がほえる。

 あなや! 私の中の平安時代の人が嘆いた。




 病院の診察券も、猫の保険証も、『みー子』と記載されている。


 我が家は母が台風の目になり、ぐるんぐるんと家の中を、自由にきままにかき回している。まさに、母は猫の親玉と呼ぶにふさわしい人物であった。


 だからだろうか、猫たちは母が大好きなのだ。母に絶対的な信頼をよせ、その上で召使いのように私や父たちを手のひらで転がす。



 誰かが言っていた。「猫を飼っているのではない。お猫様にいていただいているのだ」と。


 本当にそのとおりである。


 ごはんも、おもちゃもお猫様のお気に召すままなのだ。 


「人間が満たされるために、あたしたち、居るわけじゃないのよ」


 仰る通りです、お猫様。


 私はお猫様のためのごはんを用意する。「もっと」というご要望にもお応えする。


 ごはんを食べ終えたお猫様を抱き上げて、私は猫吸いをさせていただく。お猫様は少しだけ嫌そうな顔をしつつも、黙ってされるがままになっている。


 ゴロゴロと喉をならす音が聞こえてきた。お昼寝をするのでなでろ、ということのようである。


「かしこまりました!」


 私は喜んでそのフニフニのほっぺをなでてやる。


 猫にコロコロ転がされてもいい。

 だって、可愛いんだもの。

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