第50話 業務報告みたい
「珠子ちゃん!良かった!目を覚ました!」
「良かった!珠子ちゃん!珠子ちゃん!」
「本当に良かったよ〜!」
翌朝、様子を見に来た和子ちゃんが泣き崩れて、その和子ちゃんを支えた信子ちゃんは安堵のため息を吐き出し、カマラーダ四人組は崩れ落ちるようにして私の回復にホッと胸を撫で下ろしたらしい。
カマラーダ四人組は松蔵さんに、私のことを気にかけてね〜と言われていたけれど、うまく対処ができなくて忸怩たる思いを抱き続けていたんですって。なんとか和子ちゃんに声をかけて私と信子ちゃんを誘ってお茶会を開いてくれたのが一昨日のことになるんだけど、まさかその後、こんなことになるとは思いもしなかったって。
今は農閑期で畑まで出なくて良いと両親から言われた和子ちゃんと信子ちゃんが、日中は私の面倒を見ると断言してくれました。
「とにかく松蔵さんが捕まえてきたオンサが凄いのよ!」
「大きいの!肉を剥いで広げたらすっごい広さで!」
「皮をなめす作業?と言うのをやらなくちゃならないから、昼間は不在になるんだけど、私たちが珠子ちゃんの面倒を見るから心配しないでね!」
夕方になると肝っ玉母ちゃんである久恵さんまでもがやって来て、
「芋粥を作って来たからきちんと食べなさい!とにかく食べる!分かった?」
と言って、大鍋を置いて帰って行きました。
次の日にはエレーナがパン粥を持って来てくれたので、
「珠子ちゃんの面倒を見るって言っても、食事を作る必要がないから楽だわー!」
と、おかゆのお相伴を受けながら、二人が嬉しそうに笑っている。だけど、しょっちゅう熱が上がるし、汗びっしょりになったら体を拭いて着替えをさせてくれたりするので、言うほど楽じゃなかったと思うけど、
「いいの!いいの!」
「困ったときにはお互い様よ!」
と、二人は笑顔で言ってくれたのだった。
家を飛び出してから、何故か松蔵さんの家に厄介になるようになり、二人のお友達が日中は家の方まで来て面倒を見てくれたわけだけれど・・
「和子ちゃん、何か良いことあった?」
と、思わず聞かずにはいられません。
だって、明るく話していても、いつでも自分の目のことを気にして、顔だけは俯きがちだった和子ちゃんが、前髪をピンで止めて、前を向いて明るく楽しくおしゃべりしているのですもの。
「恋よ!恋!」
信子ちゃんがそんなことを言い出したため、
「やめてよー!嘘!嘘!嘘!信子ちゃんは嘘をついているのよ!」
と、真っ赤な顔の和子ちゃんは飛び上がって否定をし出したけれど、これは完全に『恋』しているんじゃあないのかな?
「え?誰?誰?」
「どうも、茂さんが相手みたいなの」
「えええー!」
信子ちゃんの爆弾発言に、思わず寝床から落下しそうになりました。
茂さんといえば、カマラーダ四人組のうちの一人じゃないですか!
「え?どうして?どうして?何があったの?」
「それは私も良く分からないんだけど・・」
ニヤニヤ笑いながら信子ちゃんが和子ちゃんを見ると、和子ちゃんが真っ赤な顔で前髪のピンを取ろうとするので、
「和子ちゃん!ピン取っちゃダメ!せっかく似合っていたのに勿体無いよ!」
と、私は声を上げました。
「私、本当の本当に、こんな遥かに遠いブラジルまで来て、日本人以外、誰も気にしないようなことに気を遣っている和子ちゃんが勿体無いと思っていたの!」
「珠子ちゃん、茂さんと同じことを言っている・・」
乙女のように可憐に自分の口元を覆い隠した和子ちゃん、恋しているわ。本当の本当に恋しているわ。
「それで?珠子ちゃんはどうなの?」
「はあ?」
「松蔵さんと、二人は祝言をあげる仲なんでしょう?」
「はあああ?」
信子ちゃんの直球の質問に、思わずあんぐりと口を開けた私は、
「え?祝言って?」
意味不明という感じで固まっていると、
「あ・・ごめん!そこのところをきちんと説明していなかったよ」
と、表の扉が開いて、松蔵さんが顔を覗かして来たのでした。
「え?ええ?」
「あ、松蔵さん、今の時間帯は外でオンサの皮をなめす作業をしているのよ」
信子ちゃんは至って冷静に説明をしてくれました。
「いつ、珠子ちゃんの家族が来るか分からない状況だし、私たちじゃ到底、あの人たちの排除は出来ないから、日本人労働者が帰ってくる時間帯になると家の前で作業をしてもらうようにして貰っているの」
「えええーっと」
意味がわかりません。
「なんで私の家族が来るのかな?」
「そりゃ、あの人たち、全然家事が出来ないからよ!」
和子ちゃんが憤慨したように言い出した。
「今まで全てを珠子ちゃんに任せていたツケが回って来たのよ。今日も朝にちらっと見たけど、満足に洗濯もしない(出来ない)ものだから昨日着ていたものと同じものを着ていたもの」
口元に指先を当てながら、天井を見上げて信子ちゃんが言い出した。
「食事もパンと珈琲で凌いでいるみたいだけど、卵が食べられないことに対して恨み言を言っていたわね」
「卵っていうと・・ピヨちゃんたちは・・」
「珠子ちゃんが丹精込めて育てていた鶏たちは、九郎さんが持っていってしまったわ。何と言って取り上げたのかまでは分からないんだけど、とりあえず、今は徳三さんのところで面倒を見ているから心配しないでねって言っていたわ」
おおー、徳三さん、だいぶ元気になったのかな?
あの人の差配は微に入り細に入りの細かいところまで手が届くやり方なので、私のピヨちゃんたちの命も助かったということになるのだろう。
「珠子ちゃん・・それで・・祝言についてなんだけど・・」
手とか顔とかを洗っていたらしい松蔵さんが、手拭いで拭きながら家の中へと入ってくると、寝床に座っている状態の私を見下ろしながら言い出した。
「僕が君を守ためには、それって必要なことなんだ。そこのところは了承してくれると有り難いんだけど?」
と、言い出した。
「もちろん、今すぐ祝言をするとかそういうことではなくて、祝言をする予定の仲だから君は僕の家で保護をしている。ということで、ジョアンも支配人も了承してくれているんだ」
と、言い出した。
「みんな君のことは気にしていたし、心配していた。せっかくあの家を出ることが出来たんだから帰る必要はないって、皆んな言ってくれている」
それは、本当の本当に有り難いです!自分としても、もう、あの家に帰るのは無理、無理の無理。私のピヨちゃんが鬼畜な親に食われるようなことにならないのなら、他の誰が食ってくれても良いです!という心境に陥っていますから!
「それで、君はまだ契約期間が切れたわけじゃないし、後、数ヶ月はこの農場で働かなければならないんだけど、珈琲畑の方じゃ自分の家族と顔を合わせるかもしれないってことで、農場主の邸宅の方で、ファシネイラ(掃除婦)として働くことになると思う」
「ええ?私、マンサオン(邸宅)で働くことになるの?」
「そうだよ、待遇は今までの百倍は良いと思うんだけど」
「そりゃそうですよ!食事付きで、お給料も農場よりかは全然高いって聞いているもの!」
「日本人労働者は渡航費をパトロンが負担している関係で、ブラジル人よりかは貰うお金が少なくなるんだけど、君、今まで家では無賃で働いていたんでしょう?」
「そうです!そうです!」
「良かったね!今度はきちんと賃金が貰えるよ?」
「やったー!」
この時の私たちのやりとりを聞いていた和子ちゃんと信子ちゃんは、
「全然甘味がない」
「業務報告みたいになっているけど、祝言の話はどこに行ったのだろうか・・」
と、ぼやくように言っていたらしい。
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